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2013クリスマスコンサート   制作者:多摩のけん
・「芭蕉布」 ・芭蕉布(ばしょうふ)とは、バショウ科の多年草イトバショウから採取した繊維を使って織 られた布のことで、沖縄県および奄美群島の特産品です。
・「ガンダーラ」 ・ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国で、天国といわれた伝説があります。
・「アニーローリー、他」 ・アニーローリーは説明不要のスコットランド民謡ですね。
・「モルダウ」 ・スメタナの「わが祖国」のサビの部分を合唱曲にしたものです。
・「みんなで歌おう:ふるさと、荒城の月」 ・会場のみなさんと合唱しました。
・「勿忘草、出船」 ・指揮者の独唱です。ピアノ伴奏は指揮者の奥様です。
・「ジングルベル、赤鼻のトナカイ」 ・会場のみなさんと、手製のパーカッションを振りながら、楽しく歌いました。
・「聖夜ほか」 ・最後はクリスマス・キャロルをアカペラで厳かに演奏しました。
 
東京駆け足観光   制作者:多摩のけん
・「目黒天空庭園」 ・目黒天空庭園は、首都高速道路大橋ジャンクションの上に2013年3月30日にオープンしました。
・「陽春の浅草」 ・初夏を思わせる1日、浅草を散策しました。外国人や修学旅行の生徒も多く、仲見世は活気に溢れていました。
・「柴又の鰻・帝釈天」 ・創業安永年間(1770年代)という鰻の老舗で鰻を食べた後、近くの柴又帝釈天を散策しました。
・「KITTE」 ・JR東京駅前の中央郵便局が「KITTE」に生まれ変わり、2013年3月21日にオープンしました。地下1階地上6階で、屋上は公園になっています。その東側に「JPタワー」(38階)が聳えています。
・「歌舞伎座」 ・新装なった歌舞伎座を見物しました。歌舞伎座ギャラリーも見たのですが、残念ながら撮影禁止でした。
 
 
地中海・カナリア諸クルーズ   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅は、成田からローマに飛び、ローマを観光した後ローマ近郊のチベタベッキアからMSCディヴァーナ(139,400ton. 乗客3,952人、乗務員1,325人)に乗り、ジェノバ、バルセロナ、カサブランカ、テネリフェ島、マデラ島、マラガを観光し、ローマから帰国しました。(約4分40秒)
・「ローマ駆け足観光」 ・ローマ観光の定番、コンスタンティアヌスの凱旋門、コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場を駆け足で観てまわりました。(約5分)
・「乗船」 ・何回クルーズしても、乗船する時は胸がときめきます。今度の船室は船首エレベーターに近い12階で、テラスからの眺望は最高でした。(約5分)
・「ジェノバ寸描」 ・コロンブスの出生地ジェノバです。ジェノバにはコロンブスのアメリカ大陸発見により、巨大な利益を得た人の子孫がまだ数多く残っており、その人達が豪邸(宮殿)を次々建て、その地域がストラーデ・ヌオーヴェの名で世界遺産に登録されています。(約5分)
・「バルセロナ点描」 ・バルセロナは3回目の訪問でした。街にある、カサ・バトリョ、カサ・ミラなど、ガウディの作品を車窓観光した後、グエル公園、サグラダ・ファミリア教会に行きました。サグラダ・ファミリア教会は、前回行った時より、工事がかなり進んでおり、大聖堂として、ミサが行われるそうです。
・「ナイト・ライフ」 ・クルーズは、夜の時間が充分にあります。ダンスを楽しむ人、スロット・マシーンを楽しむ人、ショーを楽しむ人、みんな好きなことをして楽しんでいます。
・「ショー・タイム」 ・とにかく、チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトと現代風にアレンジした白鳥の湖をジックリとご観賞下さい。
・「カサブランカ港」 ・カサブランカ(モロッコ)港の、朝の入港風景です。大小の船の行き来が激しく、見ていて飽きませんでした。
・「ハッサン2世モスク」 ・世界第2のモスクがカサブランカの海の上にありました。世界第1のモスクはもちろんメッカにあります。
・「カサブランカ寸描」 ・世界でモロッコにしかない植物「アルガン」から抽出した「アルガン・オイル」専門店に行って、その効果の講釈をタップリと受けました。その後、旧市街の市場を散策し、新市街では、昨年12月に開通したばかりの市電が走っているのを見ました。
・「Music and Dance」 ・クルーズ船には、いたるところにロビーがあり、音楽を奏でています。その音楽に合わせて、みんな昼も夜も踊っていました。(約3分40秒)
・「Fashion Show」 ・3階吹きぬけのメイン・ロビーで行われたFashion Showは、ユーモアがあって、笑わせてくれました。
・「カリアナ諸島テネリフェ島」 ・カリアナ諸島テネリフェ島は、今回のクルーズの寄港地の目玉の一つでした。この島にあるテイデ山は標高3,718mの万年雪に覆われる名山で、ここにロープウェイでのぼる予定でした。スペイン本土の山より高く、「スペイン最高峰」なのです。ところが、妻が体調を崩し、船内にある病院に行ったりしたので、私も船に残ることにしました。
・「マディラ島1」 ・マディラ島は、1984年の国際シンポジウム参加以来、実に29年ぶりの訪問でした。私たちが泊まった「カジノ・ホテル」やシンポジウムが行われた「コングレス・センター」は当時のままの姿で、今もありました。その近くのカテリーナ公園を散策しながら、マディラ島最初にできた聖カタリーナ教会、フンシャル大聖堂、イエスズ教会、フンシャル市庁舎、裁判所などを見ながら散策しました。
・「マディラ島2」 ・聖マリア通りの壁画を見ながら、ロープウェイで標高550mの丘陵モンテに登りました。モンテには15世紀末に建てられた聖母教会がありました。また、モンテでマディラワインを試飲し、購入しました。最後にマディラ名物ドボガン(人力木製ソリ)に乗って2kmの急な坂道を一気に下りました。
・「クラシック音楽」 ・ピアノとヴァイオリンによるウィンナー・ワルツの三重奏です。
・「Music and Dance2」 ・軽快な音楽に合わせて、楽しくダンスをしていました。この船には、ダンスのできるフロアーが数多くありました。
・「Golden Bar」 ・Golden Barでは、色々なイベントが行われます。この日は、ストレッチ体操、クイズ、ナプキン・ワーク、ビンゴ、ラインダンス教室などが、分単位で行われていました。
・「白い村ミハス」 ・このクルーズ最後の寄港地マラガ(スペイン)から、アンダルシア地方のハミスの街を観光しました。この街は、建物の壁が白で統一された落ち着いた美しい街でした。歩いて散策した後、ロバ車に乗って、もう一度巡りました。
・「地中海料理を楽しむ」 ・オードブルに若鶏の肉、鶉の卵とキャビア、青魚の寿司などが出てきました。メインのビーフステーキにはチョコレートが付いていましたが美味でした。デザートはほおずきとチーズケーキでした。フルーツはメロン、キウイ、イチゴなどの盛り合わせでした。
・「Show MICHAEL JACKSON 1」 ・ショー・タイムの1コマです。
・「Show MICHAEL JACKSON 2」 ・ショー・タイムの1コマです。
・「Dance Dance Dance!」 ・クルーズの余暇の1コマです。
・「ブランチで下船説明会」 ・長かったクルーズもこの日が最後、明日下船します。この日は終日クルーズだったので、16階の特別レストランで皆さんとブランチをとり、この場を利用して下船説明会がありました。16階の広い窓から快晴の航海風景は最高でした。
・「マンドリンにのせて」 ・クルーズの余暇の1コマです。
・「ピアノにのせて1」 ・クルーズの余暇の1コマです。
・「ピアノにのせて2」 ・クルーズの余暇の1コマです。
・「Last Night」 ・下船前夜は、夜遅くまで盛り上がりました。
・「下船・帰国」 ・12日間過ごした船を降りることは、さびしいことでした。港に用意されたバスに乗るとそのような船への感傷に浸るまもなく、ひたすらに空港に走り、アッと言う間の帰国でした。
 
 
地中海クルーズ   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・年末の忙しい時でしたが、いいクルーズのようでしたので、思い切って出かけました。(約4分10秒)
・「乗船」 ・クルーズは、憧れの豪華客船に「乗船」する時が一番ときめきを感じます。今回の船は「ブリリアンス・オブ・ザ・シーズ(90,000トン)」でした。(約4分10秒)
・「船内生活」 ・乗船した翌日、船のどこに何があるのか「船内探検」をしました。(約5分10秒)
・「マルタ」 ・今回のクルーズ初めての訪問地「マルタ」に上陸しました。船の上から見たマアルタは、「全島要塞」という感じで、全身が震えるほど感動的でした。(約8分20秒)
・「アテネ寸描」 ・アテネは2回目の訪問なので心理的に余裕があり、団体行動の後もバスを途中で降りて市内散策しました。一番の収穫は、開館したばかりの「国立古代博物館」に開館記念料金1ユーロで入れたことです。(約9分30秒)
・「ロードス島寸描」 ・オスマントルコと十字軍の激戦地であったロードス島は、島全体が要塞のようでした。私にとっては2回目の訪問で懐かしい感じでした。(約9分)
・「キプロス寸描」 ・キプロス島は「キプロス共和国」(トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める)で首都はニコシアです。キプロス島の一部は、イギリス海外領土です。今回訪問したところは、紀元前5世紀のクリオン遺跡や野外劇場、紀元前8世紀のアポロン神殿、標高1000メートルの修道院。ブランデーのように強いキプロス・ワイン...もう一度行ってみたい島です。(約7分30秒)
・「アレキサンドリア寸描」 ・巨大な地下墓場、ローマ時代の円形劇場などの古代遺跡と近代化した美しい海岸、近代都市の中に点在する従来の町との大きな落差...(約10分)
・「クルーズの余暇」 ・船は最終寄港地アレキサンドリアから、一路バルセロナに向かってクルーズを続けました。その間、船内では色々なイベントが行われました。(約5分20秒)
・「クルーズの余暇2」 ・アレキサンドリアからバルセロナまでは25時間、普段立ち寄らないイベントも この間ばかりはしっかり見て回りました。(約8分08秒)
・「下船」 ・いよいよ下船です。11泊もしたら船室はわが家の一室のような感じになり、部屋を出るときは感慨無量でした。(約3分30秒)
・「グエル公園(スペイン・バルセロナ)」 ・バルセロナではツアーに乗らず、タクシーと地下鉄、それに歩きで、マイペースで観光しました。まず、ガウディが設計したグエル公園をのんびりと散策しました。(約5分)
・「サグラダファミリア教会(スペイン・バルセロナ)」 ・本当は「バルセロナ寸描」にしたかったのですが、バルセロナの街はグエル公園を設計したガウディが基本設計したサグラダファミリア教会抜きには考えられません。1882年に建設が始まり現在も建築中のこの教会は未完成でありながら、世界遺産に登録されています。(約6分)
・「バルセロナ・ガウディの建物(スペイン・バルセロナ)」 ・バルセロナの街にはガウディが設計した建物が数多くあるばかりでなく街灯もありました。それらを求めて雨の中歩き回りました。(約5分20秒)
・「カテドラルとカタルーニャ音楽堂(スペイン・バルセロナ)」 ・雨の中、バルセロナのメインストリート「ランブラス通り」を散策しました。思いの外、カラルーニャ音楽堂の当日券が手に入りましたので、旅行最後の夜をクラシック音楽で楽しみました。(約6分)
 
アラスカ氷河クルーズ   制作者:多摩のけん
・「シアトル寸描」 ・クルーズ船インフィニティ(91000トン)が出航するシアトルを観光しました。イチロー選手が活躍するマリナーズ球場を外見だけでもできたこと、スターバックスの1号店に行くことができたのは感激でした。また、ボーイングの工場も遠景ながら見えました(約3分50秒)
・「乗船・出航」 ・いよいよ豪華客船インフィニティ(91000トン)に乗船です。乗船したら、まず10階の展望レストランでシアトルの街を見ながら食事をしました。出航はドラもテープも汽笛もなく、滑るように港を離れました。(約3分40秒)
・「クルーズの夜」 ・ディナーの時、初めてツアーのメンバーとユックリ顔合わせをし、楽しく歓談しました。食後に大ホールを覗いたら、大きなスクリーンに、地球温暖化による氷河の大崩落の様子がビデオ放映されでいました。(約2分30秒)
・「船内探検」 ・客船にはいろいろな設備(有料。無料)があるので、どのようなものが、どこにあるのか、添乗員に案内されながら、船全体を見てまわりました。(約3分30秒)
・「クルーズの夜2」 ・クルーズのディナーはセミ・フォーマルとフォーマルがあって、フォーマルの日は、それなりの服装をしていかなければなしません。大ホールではミュージカル・ショーをしていましたが、なじみのある曲ばかりでした。(約3分20秒)
・「ケチカン寸描」 ・ケチカンは今度のクルーズで、初めての寄港地です。水陸両用車に乗って、陸からと海からケチカンを見た後、「クリーク通り」の可愛い土産店を見てまわりました。(約3分50秒)
・「ハバード氷河」 ・ハバード氷河はアラスカの州都ジュノーの北西にあります。全長122Km、高さ90m、幅9.6Kmあると言われています。今まで広かった海が次第に狭くなり、遥か彼方にあった銀嶺が客室のテラス間近にまで迫ってきて、流氷で覆われるようになり、船は、氷河の500mくらいまで接近しました。そして、氷河に崩落が...(約3分30秒)
・「クルーズの余暇」 ・航海中は自由な時間が充分あります。ボーリングをしたり、展示された写真を探したり、ビンゴをしたり...みんな夫々好きなことをして過ごします。(約3分40秒)
・「クルーズの朝」 ・日の出前の海は静かで清々しく、日の出は感動的で、銀嶺が朝日に映え、生命が洗われる思いでした。(約3分50秒)
・「ジュノー入港」 ・ジュノーはアラスカの州都です。港には11万トン級の豪華客船が数隻停泊しており、水上飛行機が頻繁に発着していて、活気がありました。(約3分40秒)
・「メンデンホール氷河」 ・バスで氷河まで行きましたが、車窓の景色は素晴らしいものでした。氷河近くでバスを降り山道を散策しながら氷河に行きました。帰途の昼食のバーベキューも楽しいひとときでした(約4分40秒)
・「ジュノー寸描」 ・ジュノー港の真ん前から出ているロープウェイでロバート山に登りました。山頂からの眺望は素晴らしく、また、アラスカにしかいないという「白頭鷲」も見ることができました。(約4分40秒)
・「クルーズの余暇2」 ・クルーズ中は、時間が充分あるので、大々的なバーゲンセールが開かれました。また、音楽、美術、ゲーム、水泳、スパなど、好きなことをして楽しみました。(約3分50秒)
・「クルーズの夜3」 ・ディナーで、シェフやウェイターによる「イタリアン・ナイト」というイベントがありました。食後は、カジノのゲームや、大ホールのミュ−ジカルで楽しみました。(約3分)
・「クルーズの朝2」 ・朝の清々しい海の景色を見ながら食事をした後、船内をブラブラ散歩し、大ホールのクッキング教室を見物しました。(約3分10秒)
・「ビクトリア港」 ・ビクトリア港は、水上機、ヘリコプター、帆船、小型ボートなどが盛んに行き交って、活気にあふれていました(約2分40秒)
・「ビクトリア寸描」 ・ビクトリアは、アメリカではなくカナダです。メインストリートは150〜200年前の建物がズラリと並んでいました。ライトアップされた夜景も見事でした。(約4分30秒)
・「ブッチャート・ガーデン」 ・アップ・ダウンをうまく利用した広大な庭園には様々な花のほか、池、噴水、滝などが数多くあり、見事でした。「日本庭園」は、欧米人にも人気があり、港からくる人は、まず日本庭園に入るようになっていました。(約4分30秒)
・「シアトル入港」 ・巨大な客船の入港する時の様々な作業や、下船風景、ついでに上陸後のシアトルのスーパー風景を紹介しました。(約4分)
 
カリブ海クルーズ   制作者:多摩のけん
・「マイアミの朝」 ・マイアミ港に行くまでの朝のひととき、ホテル近くの公園を散策しました。(約5分)
・「いよいよ乗船」 ・いよいよ豪華客船カーニバル・フリードム号(110000トン)に乗り込みます。(8分30秒)
・「クルージング寸描」 ・カリブ海航行中船内生活の1コマです。(約12分50秒)
・「トウルム遺跡・メキシコ」 ・カリブ海の断崖の上にあるマヤ遺跡。海の青と雄雄しい遺跡のコントラストが印象的でした。(約14分)
・「グランドケイマン島巡り・イギリス領」 ・カリブ海にありながら住民の90%がアフリカ系黒人を祖先に持つ島の今は?(約13分)
・「ダンズリバー滝登り・ジャマイカ」 ・カリブ海の砂浜に流れ込むダンズリバー滝を胸まで水に浸かりながらみんなで手をつないで上流に登って行くスリル!(約11分30秒)
・「クルージング寸描2」 ・カリブ海航行中-クルージングに慣れてきた頃の船内生活の1コマです。(約14分30秒)
・「マイアミ港入港」 ・夜明け前の港の灯りと日の出後の朝日に輝くマイアミの高層ビルが印象的でした(約5分)
・「エバーグリース国立公園」 ・ワニが棲息する沼地を大きなプロペラのついた船でクルーズしました。また、この公園にはハゲタカなどもいました。(9分30秒)
 
第2回カリブ海クルーズ   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅行は、成田からヒューストン経由、フロリダのオーランドに行き、オーランドのポートカナベラルから豪華客船「ソブリン・オブ・ザ・シーズ」(8万トン)でバハマ諸島をクルーズしたり、首都ナッソーに上陸して、常夏の島をエンジョイしました。
・「出航」 ・豪華客船「ソブリン・オブ・ザ・シーズ」は、オーランドのポートカナベラルから、バハマの首都ナッソーに向けて、出航しました。
・「クルーズのひととき」 ・船が港を離れ大海に出ると、夕食までの時間を、デッキのプールサイドでダンスをしていました。初めてのディナーでは、レストラン従業員による歓迎コーラス、食時後のバンド演奏、ミュージカル・ショーなど、多彩なイベントがありました。
・「クルーズのひととき2」 ・朝食まで船内をぶらつき、朝食後はビンゴ大会を覗いてみました。
・「ナッソー入港」 ・朝起きてデッキに出た時には、既に船はナッソー港に入港していました。私達の船の他にも、同じような大きな観光船が入港しており、さらに、入港しようとしている船もありました。
・「ナッソー上陸」 ・港に近くは、民芸品を火主にした土産店がズラリと並んでいました。上陸した日は12月18日。常夏の島もクリスマス商戦で賑わっていました。
・「船長招待パーティ」 ・船長招待パーティには、客は正装して出席します。ロビーのラセン階段などを利用して記念写真を撮っている人も多くいました。パーティのアルコールは無料で、ダンス、バンド演奏の後、船長が船の主なスタッフを紹介します。
・「子供たちの夜」 ・船長招待パーティを早めに切り上げて、子供を中心に一家団欒を楽しむ家族もありました。国籍には関係ない、子供たちのあどけない笑顔が、心を和ませてくれました。
・「クルーズの夜明け」 ・7時頃デッキに出てみると、丁度日の出でした。朝早くから大勢の子供たりがプールで遊んでいました。
・「クルーズの余暇」 ・ココケイに入港の予定でしたが、悪天候のため入港できず、その近海でクルーズを続けました。大幅に自由な時間ができたので、男性の「ベストレッグス・コンテスト」なるものが開催されました。欧米人は、このような催しには気軽に参加するものだと感心しました。
・「楽しいディナー」 ・クルーズ最後のディナーは、バンドの人達がテーブルをまわり、リクエストに応じて、楽しい曲を演奏してくれました。
・「ショータイム」 ・クルーズ最後の夜を音楽とショーで楽しみました。
・「下船」 ・クルーズ最後の朝食を落ち着いた5階のレストランで済ませた後は慌しい下船となりました。
 
カナダの旅   制作者:多摩のけん
・「ケベック へ」 ・成田からバンクーバーに飛び、バンクーバーで乗り換えてトロントに行き、更に乗り換えてケベックにいきました。
・「ケベックのパリ祭」 ・ケベックに着いた夜は、丁度7月14日の金曜日でした。フランスを母国にするケベック市民は週末のパリ祭を夜遅くまでたのしんでいました。
・「ケベック朝の散歩」 ・ホテルの近くに公園があり、可憐な花が色とりどりに咲き乱れていました。住宅の庭ではリスがリンゴを持て遊んでいました。
・「ケベック城の衛兵交代」 ・大きな黒い帽子に赤い制服を着た大勢の衛兵が延々1時間にわたって交代の儀式をいていました。音楽隊も参加して華やかでした。
・「ケベック散策」 ・ケベック城の衛兵交代を見た後、サン・ルイ門を通ってサン・ルイ通りに出ました。ケベックの顔、シャトー・フロントナックを眺めながら、ダルム広場にあるケーブルカーで港のあるロワイヤル広場に下りました。ロワイヤル広場は、セント・ローレンス川に面しており、川には大きな観光船が発着していました。
・「ケベック・クルージング」 ・観光船に乗って、セント・ローレンス川からケベックの街を眺めました。船は、ケベックとオルレアン島を結ぶオルレアン橋まで行き、モンモランシーの滝を遠望しました。この滝は、高さがナイアガラの1.5倍あるそうです。
・「ケベック・サマー・フェステバル」 ・パリ祭の翌日の土曜日とあって、ケベックは街をあげてのお祭さわぎでした。公道でピエロがクルマを止めていたずらしたり、幼い子供にフェイス・ペインティングしたり、日本では見られない光景でした。
・「モントリオール へ」 ・ケベックからモントリールへは電車で移動しました。約3時間の旅でしたが、普通列車にもかかわらず、飲物や軽食の車内サービスが3回もありました。
・「ナイアガラ へ」 ・モントリオールから空路トロントに飛び、ロトントからQ.Eハイウェィでナイアガラにむかいました。1時間30分の行程でした。途中、アーリントン大橋を渡り、世界3位のウェーランド運河(98km)を見ながらのバス移動でした。
・「ナイアガラの滝」 ・ナイアガラの滝は、聞きしに勝る迫力のある滝でした。岸からアメリカ滝、カナダ滝を見た後、ボートでしぶきに濡れながら滝の近くまで行きました。上流(エリー湖)からの眺めも雄大でした。
・「モントリオールの夕べ」 ・モントリオールの湖に面したホテルでのディナーの1コマです。手回し式の由緒ある大型オルゴールが印象的でした。
・「バンフ へ」 ・カナディアン・ロッキーに行くため、バンフに前泊しました。モントリオールから空路カルガリーに飛び、カルガリーからバスでバンフに行きましたが、このバス移動が長く、バンフに着いたのは、深夜11時を過ぎていました。このホテルには日本食堂があり、サシミと生ビールは格別の味でした。
・「カナディアン・ロッキー1」 ・カナディアン・ロッキーには氷河と湖が数多くありますが、まずルイーズ氷河とルイーズ湖、ボー氷河とボー湖、ペイト氷河とペイト湖を見ました。
・「カナディアン・ロッキー2」 ・コロンビア大氷原アサパスカ氷河では、巨大な氷上車に乗って氷河の奥まで行き、氷河の上を歩きました。
・「バンフ散策」 ・バンフの街はきれいな土産店が建ち並び、観光客で賑わっていました。土産物の代表は、7000万年以上前の生物アンモナイトの化石、アンモライトです。街角のいたるところで、ロッキーの霊峰が遠望できました。
・「モントリオール1」 ・ノートルダム大聖堂、ヴィクトリア・ブリッジ、市庁舎、議事堂などを見ながら旧市街にも足を伸ばしました。
・「モントリオール2」 ・プラス・ジャック・カルチェ、チャイナタウン、BAYデパートなどを散策しました。
・「Mc.Gill大学付属ロイヤルビクトリア病院」 ・Mc.Gill大学付属ロイヤルビクトリア病院を見学しました。広大な敷地に規模の大きな病院でした。小児救急、女性患者への配慮が印象に残りました。
 
ディズニー・リゾート   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・アメリカ・フロリダ州にあるディズニー・リゾートに家族6人で行きました。二人の孫中心の旅でした。
・「MGMスタジオ1」 ・ディズニー・リゾート内のホテルから船でMGMスタジオに行きました。MGMスタジオはアクション系のテーマパークでした。
・「MGMスタジオ2」 ・
・「MGMスタジオ3」 ・
・「マジック・キングダム」 ・マジック・キングダムは、昨年末に続いて2度目の訪問です。孫たちが喜ぶ、いわゆる「ミッキーマウスの世界」です。
・「アニマル・キングダム」 ・アニマル・キングダムのパークテーマはもちろん動物で、広大なサファリー・パークや動物をテーマにしたイベントがありました。
・「エプコット」 ・エプコットのパーク・テーマは「実験未来都市」です。
・「ユニバーサル・スタジオ」 ・ユニバーサル・スタジオは、ディズニー・リゾートとはまったく違った感じのテーマパークでした。
 
フロリダの旅   制作者:多摩のけん
・「NASA」 ・カリブ海クルーズの終了後、「NASA」に足を伸ばしました。広い敷地に、アポロやスペース・シャトルの実物が展示されていました。
・「ディズニー・ワールド マジック・キングダム」 ・本場のディズニーランドを覗いてきました。日本のディズニーより数段スケールが大きく、イベントの内容も徹底していました。私たちも年齢相応の乗り物に乗り、楽しんできました。
・「ディズニー・ワールド クリスマスパレード」 ・行った日が12月21日だったので、本格的なクリスマスパレードを見ることができました。
 
アメリカ西海岸の旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅は、サンフランシスコを見た後、主に西海岸の国立公園を中心に観光し、最後にロサンゼルスを見て、ロサンゼルスから帰国しました。
・「サンフランシスコ湾クルーズ」 ・金門橋をくぐり、元刑務所として使用されていた断崖絶壁の「アルカトラズ島」を間近に見るクルーズは素敵でした。
・「サンフランシスコ駆け足観光」 ・日程の関係で、自由時間が1時間弱しかとれませんでしたが、一度乗ってみたかった名物の走っているケーブルカーに途中からとび乗り、途中でとび降りたことはいい想い出になりました。
・「アメリカは広い!」 ・カルフォルニア州東部にある「ヨセミテ国立公園」に行くため、バス移動しましたが300km走りました。カルフォルニア州は南北には長いですが、東西でも400km以上あります。
・「ヨセミテ国立公園」 ・渓流にそって奥深く渓谷に入っていきました。そこには巨大な断崖・岩石、美しい滝など素晴らしい自然がありました。
・「ラスベガスへ」 ・グランド・キャニオンに行くため、サンフランシスコから空路ラスベカスに移動しました。ラスベカス空港には、いたるところにスロット・マシンがおいてありました。
・「ルート66を行く」 ・旧きよき時代のアメリカ西部劇の舞台を回想させる「ルート66」ですが、今は土産店が1軒あるだけです。
・「グランドキャニオン」 ・今度の旅の目玉、グランド・キャニオンです。夕陽の動きに刻々と渓谷の岩肌の輝きが変わりました。
・「朝日に輝くグランドキャニオン」 ・朝日に輝くグランドキャニオンは、前日に見た夕陽に映えるグランドキャニオンとは違った趣きがありました。
・「グランドキャニオン空中遊覧」 ・ヘリコプターからの眺めは「絶景かな!」の一語です。
・「モニュメント・バレー へ」 ・両側荒涼とした赤岩石の標高2000mの高原を280km移動しました。モニュメント・バレーはアメリカ現住民の居住地区で、宿泊するホテルも原住民の経営でした。
・「モニュメント・バレー」 ・モニュメント・バレーは巨大な岩の一部が雨などで削られて巨大な岩石像として残されたものです。名前がつけられたもの、無名のものが無数にありました。ここで西部劇のロケがよく行われました。
・「モニュメント・バレーの朝」 ・数多くのモニュメントの向こう側から昇る朝日を4倍速で見て頂きます。
・「アンテロープ・キャニオン」 ・巨大な洞窟には空に向いて数多く穴が開いており、そこから射し込む日の光は幻想的でした。(約7分50秒)
・「再びラスベガスへ」 ・砂漠のようなアンテロープ・キャニオンから夜の帝都ラスベガスへの400kmの大移動です。(約8分10秒)
・「ラスベガスの夜」 ・夜のラスベガスは華やかでした。ベラッシオ・ホテルの噴水・ショーは印象的でした。(約9分30秒)
・「ロサンゼルス へ」 ・ラスベガスから、空路ロサンゼルスに移動しました。(約5分10秒)
・「ロサンゼルス駆け足観光」 ・サンタモニカ、ビバリーヒルズ、ハリウッドなどを駆け足で観てまわりました。ハリウッドでは、往年の女優エリザベス・テイラーやスーザン・ヘイワードの手型と握手(?)しました。(約11分20秒)
 
ハワイの旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・家族6人でハワイにいきました。2人の孫中心の旅になりました。
・「ホノルル観光」 ・アメリカ戦没者墓地パンチボウルの丘、ヌアヌ・パリ展望台、イオラニ宮殿など定番の観光地をバス車窓からの駆け足観光でした。
・「ハワイの余暇」 ・日本ではできない銃の実弾射撃をした後、シェフの芸術的手さばきを見ながら食事を楽しみ、ホノルルの夜を散策しました。
・「潜水艦に乗る」 ・側面に窓がある潜水艦に乗り、海中の魚を観察しました。海中では、潜水艦の中の色が緑1色になりました。
・「サンセット・クルーズ」 ・クルーズで海上からホノルルの街を眺め、釣りや食事をしながら、サンセットを待ちました。日没後は、ウクレレ演奏や花火を楽しみました。
・「ハワイ島」 ・ハワイ諸島の中で一番大きな島、ハワイ島にいきました。宝石ペリドットが採れるブラナウ黒色海岸、ヒロの虹の滝、蘭が咲き乱れていたアカツカ・オーチャード・ガーデン、サーストン・ラヴァ・チューブ溶岩トンネルなど見るところは沢山ありましたが、圧巻は何といっても、キラウェラ火山でした。
・「ハナウマ・ベイ」 ・ハナウマ・ベイは、遠浅の砂浜で、水が澄んでいる海岸です。浪打際まで大きな魚が泳いでいることでも有名です。
・「ダイヤモンド・ヘッドに登る」 ・暑い中、長い坂道を登った苦労も、頂上から見下ろすワイキキの浜辺を見た途端、吹っ飛びました。孫娘が「来てよかった」とつぶやいた声が、今も脳裏に残っています。
・「最後の夜」 ・ハワイの最後の夜を、ワイキキ海岸を望むホテルのバーベキュー・レストランで、ゆっくりと食事を楽しみました。
 
エジプトの旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅行は、エジプト・カイロのギザ、メンフィス、サッカラのピラミッド、スフィンクスを見た後、空路ルクソールに行き、船でナイル川をクルーズしながら、古代王朝の古墳・遺跡をみながら、最終的にはアスワンまで行きました。
・「ギザのピラミッドとメンフィスの遺跡」 ・ギザの3大ピラミッドを見ました。スフィンクスも素敵でした。(約6分)
・「フク王のピラミッド」 ・ピラミッドの中で一番大きなフク王のピラミッドの中に入りました。(約7分10秒)
・「スフィンクス神殿とギザの下町」 ・一般に「スフィンクス」と呼ばれている有名なギザのスフィンクスは実は神殿で、体内に入ることができました。予想よりはるかに大きく、地面から5mほど掘り下げられていました。
・「カイロからルクソールへ」 ・未だ夜が明けきれぬ早朝5時半、ホテルを出発し、カイロ空港から眼下にナイル川を見ながら、空路ルクソールに向かいました。
・「カルナック神殿」 ・カルナック神殿はエジプトにきて初めて見た神殿ですが、そのスケールの大きさに驚きました。(約8分30秒)
・「ルクソール神殿」 ・ルクソール神殿はカルナック神殿と対をなすもので、両神殿の参道はつながる予定だったそうです。したがって、両神殿は似た造りでした... ルクソール神殿はカルナック神殿と対をなすもので、両神殿の参道はつながる予定だったそうです。したがって、両神殿は似た造りでした。(約5分20秒)
・「乗船」 ・5隻で1船団を組み、これらの船が横列に並んで河畔に停泊しているのですが、このような船団が数え切れないほど数多く停泊していました。
・「カルナックナック神殿・音と光のショー」 ・夜、船をおりてカルナックナック神殿に行き、音と光のショーを観賞しました。神殿がライトアップされ、効果をあげるボリューム満点のトークがありましたが、エジプト語でしたので、理解できませんでした。
・「ハトシェプト女神殿」 ・早朝にハトシェプト女王神殿に行きました。朝日が神殿の部屋の奥まで届くように設計されていました。(約6分50秒)
・「村のホテルでの食事」 ・ハトシェプト女王神殿に朝食抜きで行ったため、帰りに村のホテルにより、屋上で食事をしました。(約1分50秒)
・「ツタンカーメンの墓」 ・王家の谷にあるツタンカーメンの墓に行きましたが、内部は撮影禁止でした。(約5分)
・「出航」 ・ いよいよ出航です。船で昼食をとっていたら、窓の風景が動き出したので、直時をそのままにして、デッキに出て、出航の様子を楽しみました。数多い船団が次々に出航する光景は素晴らしさに感動しました。(約6分20秒)
・「エスナの水門」 ・昼すぎルクソールを出航した多くの船団は、夕方エスナの水門に到着しました。水門は1隻ずつしか通れないので、水門の近くの広い水域... 昼すぎルクソールを出航した多くの船団は、夕方エスナの水門に到着しました。水門は1隻ずつしか通れないので、水門の近くの広い水域に多くの船が順番待ちをすることになり、この船の客を相手に、商品を積んだ多くの小舟が寄ってきて、面白い駆け引き豊な名物商売がはじましました。(約10分10秒)
・「エドフ・ホルス神殿」 ・夜エスナの水門を通過した船は、早朝エドフに到着しました。ここでホルス神殿を観光しましたが、この神殿は「塔門」と呼ばれる塔のように高い塀にかこまれた壮大な神殿でした。(約10分30秒)
・「ナイル川クルーズ」 ・エドフを出航した船は、ナイル川をクルーズして次の寄港地コモンボにむかいました。(約8分10秒)
・「コム・オンボ神殿」 ・ コム・オンボに夕方到着し、港のすぐ後ろにあるコム・オンボ神殿に行きました。ライトアップされた神殿は、何か神秘的な雰囲気でした。(約6分40秒)
・「ガラベーヤ・パーティ」 ・ ガラベーヤ・パーティは、船客がエジプトの民族衣装をまとい、エジプト料理を食べ、最後は大広間でダンスを楽しむパーティでした。(約7分10秒)
・「古代石切り場とアスワン・ハイダム」 ・古代石切り場で、史上最高になる筈だった未完成のオベリスクを見ました。アスワンハイダムは、ナイル川の氾濫を治める目的で作られました。
・「フィエラ島のイシス神殿」 ・フィエラ島のイシス神殿はフィエラ島にありましたが、アスワン・ハイダム建設のためフィエラ島が水没するので、アギルキア島に移築されました。
・「ナイル川帆船クルーズ」 ・大きな船を降りて、ナイル川を帆船でのんびりとクルーズしました。(約10分40秒)
・「アスワン散歩」 ・夜のアスワンを散歩しました。両側に土産店、食料品、香辛料の店などがズラリと並んでいて、冷やかして歩くのも楽しいものでした(約4分)
・「アブシンベル神殿」 ・今回の旅行で、最南端のアブシンベルに空路飛び、アブシンベル神殿を見ました。アブシンベル神殿はラムセス2世が建立したもので、ラムセス2世の巨大な像が4体並んでいました。(約7分50秒)
・「エジプト考古学博物館」 ・カイロのエジプト考古学博物館でエジプトの遺跡を見ました。光り輝く黄金の品々は、往時の王族の権勢を彷彿させましたが、圧巻は何といってもツタンカーメンの棺でした。(約10分20秒)
・「アズハル・モスク」 ・カイロ最大のモスク、アズハル・モスクは広い礼拝堂に継ぎ目無しの見事な絨毯に坐って、大きなコーランを読んでいる人たちの姿が印象的でした。(約3分40秒)
・「カイロ寸描」 ・カイロの下町を散歩しました。頭に荷物を乗せた人や、貨物馬車、無秩序に並んだ古い車、果物等の露天商...文字通りの下町風景です。(約7分10秒)
 
南米の旅   制作者:多摩のけん
・「アルゼンチン・ブエノスアイレス寸描1」 ・ブエノスアイレスは、日本の裏側。1月の訪問でしたが、真夏! 時差も丁度12時間です。世界3大オペラ劇場の1つ「コロン劇場」の中をゆっくりと見学しました。
・「アルゼンチン・ブエノスアイレス寸描2」 ・タンゴの発祥の町、「カミニート(小径)」をぶらつきました。1ドルでタンゴを踊ってくれる女性がいました 。
・「アルゼンチンのタンゴショー」 ・バンド・ネオンの歯切れのいいタンゴにのって踊るタンゴは、日本で見られるタンゴとまったく異なるタンゴでした。
・「イグアスの滝1」 ・アルゼンチン側のイグアスの滝です。ナイアガラとは、全く比較にならない スケールの大きさに驚きました。
・「イグアスの滝2」 ・国境のタンクロード橋を渡った、ブラジル側のイグアスの滝です。パラグアイを含めた3国の接点には、3国のモニュメントがありました。
・「イグアスの滝3」 ・ボートに乗って、滝の真下まで行きました。突然、大波がきて、危うくビデオカメラをダメにするところでした。
・「ブラジル・リオデジャネイロ観光」 ・ハワイのワイキキを連想させるホテルの前のコパカバナ海岸、サッカーの殿堂マラカナン・スタジアム、20〜30万人入るリオのカーニバル会場、ローマ時代の水道橋をおもわせるカリオカ水道橋、超モダン建築のメトロポリターナ大聖堂、ポン・デ・アルカール(砂糖パンの山)など、見るところは豊富でした。昼食のレストランは、肉の種類100種以上あって、象やワニの肉を食べました。(約14分)
・「ブラジル・リオの夜 サンバ・ショー」 ・リオの夜を本場のサンバ・ショーで楽しみました。(約10分)
・「ブラジル・リオデジャネイロ寸描」 ・ブラジルは宝石産出世界一です。大きな宝石工場をジックリ見学しました。(約9分)
・「ペルー・リマ寸描1」 ・ペルー独立の父、サン・マルティン将軍の像とサン・マルティン広場、カテドラルなどを観ました。大統領官邸の衛兵交代は見ものでした。
・「ペルー・リマ寸描2」 ・占拠された旧日本大使館と新築された現在の大使館。天野コレクションを展示した「天野博物館」。海が見える丘の上にバルセロナのグエル公園に似た「恋人たちの公園」がありました。
・「ペルー・クスコ へ」 ・リマから空路クスコに飛びました。車窓にウルバンバ河を見ながら、バスでタライ村の露天商、ピサック市場など観光しました。
・「ペルー・オリャンタイタンボ へ」 ・クスコから、オリャンタイタンボへバスで移動しました。バスの中では、現地ガイドのパカエなる木の実を試食しました。途中、ウルバンバの町で昼食を摂りました。
・「ペルー・ユカイ村の子供たち」 ・クスコに近いユカイは標高2863mの高地にある村です。こどもたちの素朴な遊びや、あたたかい家族とのふれあいが心を暖めてくれました。 (約7分)
・「ペルー・ユカイの宿」 ・ユカイの宿舎は、ホテルと寮の中間のような宿でした。庭園が広く、アルパカやリャマが飼われており、教会もありました。
・「ペルー・インカ帝国の都 世界遺産 マチュピチュユ」 ・標高2700mの山岳に築かれた一大要塞「マチュピチュ」をくまなく歩いた時の記録です。(約18分)
・「ペルー・世界遺産 オリャンタイタンボ遺跡」 ・マチュピチュの東北にあるオリャンタイタンボ遺跡は、険しい山の傾斜を利用した要塞を兼ねた神殿です。300段の石段を上り詰めたところに巨大な石柱が横たわっていました。 (約9分)
・「ペルー・クスコ への高原列車」 ・世界遺産マチュピチュを見た後、高原列車でオリャンタイタンボからクスコまで移動しました。車内では、果物のガナリヤや、乳酸飲料のような弱いアルコール、コカ・サワーなどを飲みながら、雄大な車窓からの風景を見ながらの楽しい旅でした。
・「ペルー・インカ帝国の都 クスコ寸描」 ・ホテルから歩いて行けるところに「サント・ドミンゴ教会」がありました。「太陽の神殿」は「インカの石垣」で作られた囲いと門があり、中に入ると正面にアーチ型の祭壇のようなものがありました。四方の壁はもちろん「インカの石垣」で、一部の隙もなくキッチリ固められていました。(約11分30秒)
・「ペルー・インカ帝国の都 クスコ周辺の遺跡」 ・サクサイワマン城址、赤い砦(プカ・カブラ)、タンポマチャイ遺跡、水の神殿、ケンコ遺跡、プカプラカ遺跡、雷の神殿、などを観ました。民族衣装を着たインディオの幼い女の子がアルパカを連れて、写真の撮るアルバイトをしていました。(約7分20秒)
・「ペルー・クスコからナスカ へ」 ・クスコのホテルを午前4時半に出て、一旦リマに飛び、リマで小型機2機に分乗して地上絵のあるナスカ方面のイカに向いました。イカ空港は砂漠の中の小さな空港でした。
・「世界遺産 ナスカの地上絵」 ・ナスカ空港はユダヤ人の個人経営で、空港が大きな庭園になっていました。一行は2機のセスナ機に分乗し、同時に飛び立ちました。案内はパイロットが、下手な日本語で「右ハネの下、モンキー」「左前の方、ドッグ」のような調子でしてくれました。(約10分)
 
ルーマニア・ブルガリアの旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅は、成田からフランクフルト経由で、ルーマニアのブカレストに入り,ブカレスト、ブラショフ、ビカズ渓谷、クンブルンク・モルドベネスク、ビストリッツァ、トゥグレ・ムレシュ、シギショアラ、ブラン、シナイア、ブルガリアに入ってイワノヴォ、ペリコタルノボ、カザンクラ、プロヴディブ、ソフィアなどを観光し、ロンドン経由で帰国致しました。
・「ブカレスト・国民の館」 ・ブカレストにある国民の館は、アメリカのペンタゴンについで世界で2番目に大きい建物です。上から見ると正方形で、どの面も同じ姿をしています。工事は700人の建築家、2万人の労働者で昼夜兼行で6年を費やしましたが、ルーマニア革命のため、未完成です。内部は天然の大理石、壁は絹張り、床は継ぎ目無しのペルシャ絨毯です。会議室は100以上、部屋数は3107室あります。
・「ルーマニア・ブカレスト寸描」 ・ルーマニアとは、ローマに似た街ということに由来しています。
・「ルーマニア・ブラショフ へ」 ・ルーマニアは産油国です。バスの沿道にパイプラインが延々と続いていました。また、北緯45度付近でしたので、気候が温暖で、広大な小麦畑が続いていました。
・「ルーマニア・ブラショフの朝」 ・朝食前にホテルの近くの公園を散歩しました。アマポーラとバラが見頃でした。
・「ルーマニア・世界遺産 聖ニコラウス教会」 ・14世紀なかばに起源を発するルーマニア正教の教会です。500年前のイコンが残っていました。教会には、15世紀初頭に建てられたルーマニア最初の学校が併設されていて、当時の教科書や謄写版が残っていました。
・「ルーマニア・ブラショフ寸描」 ・ブラショフは、ルーマニア人が住んでいたところにドイツ人が入り込んできて作った街です。14世紀後半から15世紀初頭にかけて造られた黒の教会が有名です。
・「ルーマニア・クンブルング・モルトベネスク へ」 ・ブラショフからクンブルング・モルトベネスクへ約300km北に移動しました。途中、ビカズ渓谷国立公園という、素晴らしい景観のところを、バスを降りて歩きました。
・「ルーマニア・クンブルング・モルトベネスクの朝」 ・ホテルの窓からの景観は素敵でした。朝食後、近くで開かれていた朝市に行きました。果物が豊富に出ていました
・「ルーマニア・モルドヴィツァ修道院」 ・モルドヴィツァ修道院は頑丈な城壁に囲まれていました。鐘楼は敵の見張り台を兼ねていました。本堂の壁画は見事なフレスコ画が描かれていました。
・「ルーマニア・スチェヴィツァ修道院」 ・スチェヴィツァ修道院は1辺100m、高さ6m、厚さ3mの正方形の城壁に囲まれていました。本堂は、バロック様式とビザンチン様式でした。本堂に「貞操の梯子」という、有名なフラスコ画がありました。
・「ルーマニア・アルボーレ教会」 ・チャールス皇太子も来たことがあるレストランで昼食をとりました。ママリナというトウモロコシでできた郷土料理が出ました。アルボーレ教会は、1500年代当初に建てられました。殉教の場面や、サロメの場面のフラスコ画がありました。
・「ルーマニア・フモール修道院」 ・1530年に建立されたフモール修道院は教会は残っていましたが、修道院は残っていませんでした。トルコが攻めてこなくなった後建てられたので、城壁はありませんでした。赤とオレンジ色が基調のフレスコ画でした。フレスコ画にはキリストの一生が描かれていました。
・「ルーマニア・ヴォロネツィ修道院」 ・世界遺産、ヴォロネツィ修道院は1488年トルコ戦争に勝ったシュテファン大公が建立しました。ヴォロネツィ・ブルーの名がある特徴のある青を基調としたフレスコ画でした。当時の女性の髪型、民族楽器を演奏しているフレスコ画もありました。
・「ルーマニア・ディナー・ショー」 ・夕食で、特産のアプリコット・リキュールを飲みました。民族楽器タンバロンなどを交えた民族音楽と民族舞踊のショーでした。民族音楽ではありませんが、モンティのチャールダッシュのヴァイオリン演奏が印象に残りました。
・「ルーマニア・ドラキュラ伝説」 ・トラキュラ伝説のあるピラッツァ峠にあるホテルに寄りました。近くの公園に、小説「吸血鬼ドラキュラ」の作家ブラム・ストーカーの胸像がありました。シギショアラにもドラキュラゆかりのホテルがありました。
・「ルーマニア・トゥグル・ムレシュ寸描」 ・トゥグル・ムレシュで最初に出あった大聖堂はカール1世によって建立されました。ビザンチン教会や、カトリック教会もありました。18世紀に建てられたバロック建築の荘厳な家並が素敵でした。博物館、美術館、図書館、劇場などが入っている文化宮殿はオーストリア支配下の時に造られました。市庁舎にはローマ皇帝から送られた紋がありました。
・「ルーマニア・シギショアラ寸描」 ・シギショアラは文化遺産に登録されています。15世紀に造られた城門をくぐって14世紀に作られた時計台を見に行きました。この時計台にはからくり人形があり、また時計台にのぼると、街一面が展望できました。
・「ルーマニア・ブラン城」 ・ブラン城はドラキュラのモデルになった城です。フェルドナンド1世と王妃マリアの居城です。2階から3階に通じる細くて長い秘密の階段がありました。中庭には、城外に脱出できる秘密の通路がある井戸がありました。
・「ルーマニア・ブラン城の近くで」 ・ブラン城の近くに大きな土産店がありました。土産物の多くはドラキュラ関連でしたが、何故かここに化粧品のジェロビタールがあり、女性はみんな化粧品店に殺到しました。
・「ルーマニア・ペレシュ城」 ・ペレシュ城に行く途中に民芸風、お城仕立ての素敵なホテルがたくさん並んでいました。ペレシュ城はカルル1世が造りました。建築様式はバロック様式、ゴチック様式にベネチア様式が加味されています。王の書斎から王妃の寝室につながる秘密の扉がありました。グランドピアノ、エレベーター、クリスタルの屋根などがあるモダンなお城でした。
・「ルーマニア・シナイヤ修道院」 ・シナイヤ修道院は1695年に建立されました。修道院には約300年前のフレスコ画がありました。イコノシュタットの前には、玉座と王妃の座席がありました。ブカレストから来ている鉄道のシナイヤ駅にも寄ってみました。
・「ルーマニア・シナイヤの朝」 ・食事の前にホテル近くの公園を散策しました。第一次世界大戦の戦没者墓地がありました。
・「国境を越える」 ・ルーマニアのシナイヤから、ブルガリアのヴェリコ・タルノヴォまで約300kmの移動です。国境近くの売店で、ルーマニアの現地通貨を使いきってしまいました。ルーマニア側のギルギュウのドナウ川に架かる鉄橋の中央が国境です。昼食をしたブルガリア側のホテルの駐車場で、ブルガリアのバスに乗り換えました。
・「ブルガリア・世界遺産 イヴァノヴォの岩窟教会」 ・イヴァノヴォの険しい山の岩窟の中に13世紀に造られた教会がありました。岩壁には修復されていないオリジナルのフレスコ画がありました。
・「ブルガリア・ヴェリコ・タルノヴォ寸描」 ・ヴェリコ・タルノヴォの街に入る前にスヴェタゴラの丘にある展望台から、街を展望しました。第2次ブルガリア王国の宮殿の近くでバラの香水を売っていました。旧市街はトルコの影響を受けた古い家が並んでしました。
・「ブルガリア・カザンラクのばら摘みまつり」 ・今回の旅行は、この「ばら摘みまつり」にあわせて企画されたものです。ばら園に行くと、民族衣装を着た村人たちが、民族音楽に合わせて民族舞踊で歓迎してくれました。
・「ブルガリア・カザンラクのばら博物館」 ・1907年に設立されたカザンラクのばら博物館は、ばらの庭園の中にありました。館内には300年前からばら産業が発展した過程の資料や歴代のばら女王の写真、ばら香水の蒸留器などが展示されていました。因みにカザンラクの地名は「蒸留釜」の意味です。
・「ブルガリア・カザンラクのばらまつりパレード」 ・ばらまつりのメインイヴェントです。ブルガリアの元首相を先頭に、民族衣装を着た村の人たちが踊ったり、ばらの花びらをまいたりしながらパレードしました。時折、馬に乗った人が、ばらの香水をスプレーするとあたり一面、ばらの香りにつつまれました。
・「ブルガリア・カザンラクのばらまつり民芸バーベキュー」 ・ばらまつりパレードの後、近くの大規模なバーベキュー会場で昼食をとりました。ワインなどアルコール類も飲み放題でした。民芸的な食器が印象的でした。庭園ではブルガリア式八木節を踊っていました。
・「ブルガリア・カザンラクの博物館」 ・カザンラクにはばら博物館のほかにも、民族博物館、世界遺産トラキア王の墓、歴史博物館などがありました。
・「ブルガリア・プロヴディフ点描」 ・夕刻プロヴディフに到着後、夕食までの時間、ホテルの近辺を散策しました。ホテルは川沿いにあり、橋は洒落たアーケードになっていました。
・「ブルガリア・プロヴディフ寸描」 ・世界遺産に登録されたトルコ式住宅の美しい家並、紀元前4世紀に造られた要塞門(ヒサル・カピヤ)、昔の貴族の大邸宅などを見ながら、街全体が展望できる丘に行き、街全体を展望しました。2世紀に造られた6000人収容の円形劇場は、今も使われているそうです。
・「ブルガリア・ソフィア寸描」 ・昼食の後、世界遺産ボヤナ教会に行きました。緑あふれ、リスもいる公園の中にある、この教会は13世紀に造られました。1部200年前に修復され、現在も他の部分を修復していました。国立歴史博物館、アレキサンドル・ネフスキー教会、聖ソフィア教会、聖ニコライ・ロシア教会、旧王宮、旧共産党本部などを見ながら、メイン・ストリートを歩きましたが、大統領官邸の中庭にはローマ時代の浴室、4世紀に造られた円形の教会がありました。
・「ブルガリア・コウノトリ村」 ・ リラの僧院に行く途中にコウノトリ村に寄りました。この村には、コウノトリが屋根や煙突に巣を作っていました。
・「ブルガリア・世界遺産 リラの僧院」 ・ リラの僧院は海抜約1150のリラ山の山奥にあります。僧院は四方を高い建物で囲まれており、門を入ると中庭の中央に聖母誕生教会がありました。教会にはビザンチン皇帝から贈られた32人の聖人の指の骨がありました。周囲を取り囲んでいる建物は、修道僧の宿舎でした。
 
ロシアとバルト3ヶ国の旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅行は、成田からモスクワ経由でサンクトペテルブルクを観光した後、エストニアのタリン、ラトビアのガウヤ国立公園とリガ、リトアニアのカウナス、ヴィリニュスを見た後、再びモスクワに飛び、モスクワをかんこうして帰国しました。(約5分40秒)
・「サンクトペテルブルク寸描」 ・サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝によって、18世紀初頭に人工的に作られた街でロシア帝国の首都でした。それだけに都市美にあふれた街でした。(約7分50秒)
・「エルミタール美術館」 ・エルミタール宮殿にあるエルミタール美術館の規模の大きさ、内容の豊富さに圧倒されました。(約12分40秒)
・「ピョートル大帝 夏の宮殿」 ・バルト海に面した小高い丘の上にある宮殿の素晴らしさにもまして、宮殿正面の噴水は印象に残りました。(約6分50秒)
・「エカテリーナ宮殿」 ・「エカテリーナ宮殿」は、女帝の宮殿らしく外観がエレガンスに富んでおり、部屋も女性らしい装飾でした。(約6分40秒)
・「国境の城」 ・ロシアからエストニアに移動しました。ロシアとエストニアの国境はナルヴァ川で、ハルヴァ川を挟んで、両国の要塞が対峙していました。(約5分)
 
クロアチア・スロヴェニアの旅   制作者:多摩のけん
・「スロヴェニア・リュブリアナ寸描」 ・スヴェロニアの首都リュブリアナの一コマです。(約10分)
・「スロヴェニア・ブレッド湖」 ・ブレッド湖に浮かぶ真珠「ブレッド島」と世界遺産「ブレッド城」です。(約8分)
・「スロヴェニア・世界遺産ボストイナ鍾乳洞」 ・世界遺産「ボストイナ鍾乳洞」の雄大な規模と類人魚「ウーハー・ルーパー」をご覧下さい。(約7分20秒)
・「クロアチア・ポレチェ寸描」 ・世界遺産「エウフラシウス聖堂」の5世紀に創られた「金のモザイク」が、1500年後の今も燦然と金色に輝いていました。(約7分30秒)
・「クロアチア・プーラ寸描」 ・円形闘技場、凱旋門など、シーザーの指示により創られたローマ遺産が数多く残っていました。(約10分20秒)
・「クロアチア・リエカ寸描」 ・ベネチア支配当時の狭い道を挟んで建てられた高い建物の旧市街とオーストリア支配当時の由緒ある落ち着いた建物の対比が印象的でした。(約5分)
・「クロアチア・シベニク寸描」 ・シベニクは城壁に囲まれた小さな町です。今も城壁を利用した建物が数多くありました。(約10分)
・「クロアチア・トロギール寸描」 ・トロギールはクロアチア本土と橋で結ばれた小さな島です。やはり周囲を城壁で囲まれていました。(約8分20秒)
・「クロアチア・スプリットの朝」 ・スプリットのホテルの前は朝早くから大型観光船が行き来していました。そして丁度山の端から...(約3分)
・「クロアチア・スプリット寸描」 ・小高い丘陵に囲まれ、美しい湾に面したスプリットの古い家並と、13世紀に建造された壮大なディオクレティアヌス宮殿...(約12分)
・「クロアチア・ドブロブニク寸描」 ・街全体が高い城砦に囲まれ、城砦の上には、その昔兵士がオスマントルコからの攻撃に備え、数多くの見張りの塔が海を見下ろしていた。(約12分)
・「モンテネグロ・コトル寸描」 ・コトルは城壁の中にあり、旧い家並が残っていました。背後の丘陵には万里の長城に次ぐ長い城壁があり、私たちはそのほんの一部を登ってきました。(約10分)
・「クロアチア・世界遺産プリトビッツェ湖群国立公園」 ・紅葉と湖と滝と...小鳥の啼き声を聴きながら、大自然の中を散策しました。(約12分)
・「クロアチア・ザグレブ寸描」 ・クロアチアの人口の1/4が住む首都ザグレブ。古都の顔と近代都市として発展している顔がありました。(約10分20秒)
 
ロシアとバルト3ヶ国の旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅行は、成田からモスクワ経由でサンクトペテルブルクを観光した後、エストニアのタリン、ラトビアのガウヤ国立公園とリガ、リトアニアのカウナス、ヴィリニュスを見た後、再びモスクワに飛び、モスクワをかんこうして帰国しました。(約5分40秒)
・「サンクトペテルブルク寸描」 ・サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝によって、18世紀初頭に人工的に作られた街でロシア帝国の首都でした。それだけに都市美にあふれた街でした。(約7分50秒)
・「エルミタール美術館」 ・エルミタール宮殿にあるエルミタール美術館の規模の大きさ、内容の豊富さに圧倒されました。(約12分40秒)
・「ピョートル大帝 夏の宮殿」 ・バルト海に面した小高い丘の上にある宮殿の素晴らしさにもまして、宮殿正面の噴水は印象に残りました。(約6分50秒)
・「エカテリーナ宮殿」 ・「エカテリーナ宮殿」は、女帝の宮殿らしく外観がエレガンスに富んでおり、部屋も女性らしい装飾でした。(約6分40秒)
・「国境の城」 ・ロシアからエストニアに移動しました。ロシアとエストニアの国境はナルヴァ川で、ハルヴァ川を挟んで、両国の要塞が対峙していました。(約5分)
・「エストニア野外博物館」 ・海の見える小高い丘の上の広大な敷地に、昔ながらの藁葺き(素材は違うかも?)の農家がいくつもありました。高齢の女性が編み物などしていましたが、昔の日本の農家とほとんど同じでした。農民の生活は、基本的には洋の東西を問わず同じだと思いました。(約5分40秒)
・「カドリオルク公園・歌の原」 ・カドリオルク公園にあるカドリオルク宮殿は、オモチャのように小さな可愛い宮殿でした。(約3分)
・「エストニア・タリン寸描」 ・エストニアの首都タリンの旧市街は、城砦の中にあります。美しいロシア正教教会が印象的でした。(約6分40秒)
・「エストニアからラトビア へ」 ・エストニアとラトビアは小さな川を挟んでの国境でしたが、見える範囲には城壁や見張りの塔などは無く、のんびりムードでした。(約2分30秒)
・「ラトビア・トウライダ城」 ・トウライダ城はガウヤ国立公園の中にあります。大きな高い塔に登った後、場内にある博物館を見学しました。(約6分)
・「ラトビア・リガ寸描」 ・ラトビアの首都リガを散策しました。新市街では「アールヌーボ建築」と呼ばれる建築様式が立ち並び、世界遺産になっていました。旧市街は城壁に囲まれ、古い建物が数多く残っていました。(約9分)
・「ラトビア・ルンダーレ城」 ・ルンダーレ城は「バルトのベルサイユ」と言われてますが、素晴らしい宮殿でした。18世紀の古伊万里のコレクションも素敵でした。(約10分)
・「リトアニア入国と十字架の丘」 ・バルト3国の最後の国リトアニアの国境は実に簡単な国境でした。「十字架の丘」はクリスチャンでない私には、次元の異なる異様な光景でした。(約3分40秒)
・「リトアニア・トラカイ城」 ・14世紀半ばに建設された世界遺産トラカイ城は、ガルヴェ湖の島にある美しい城です。当時のものか数多く残されていました。(約8分30秒)
・「リトアニア・カウナス寸描」 ・カウナスは元のリトアニアの首都。14世紀半ばに建設されたカウナス城をはじめ、古い建物や教会が建ち並んだ美しい町でした。(約5分30秒)
・「リトアニア・ヴィリュニュスの朝」 ・リトアニアの首都ヴィリュニュスの朝の清々しい光景です。(約3分)
・「リトアニア・ヴィリュニュス寸描」 ・リトアニアの首都ヴィリニュスは、丘の上のヴィリナス城に守られた教会の多い街でした。(約8分20秒)
・「ロシア・モスクワ寸描」 ・モスクワの街は近代建築物と歴史的建造物の交錯する美しい街でした。(約4分40秒)
・「ロシア・クレムリン宮殿」 ・「クレムリン」と言えば「ロシア(ソ連)共産主義の伏魔殿」の先入観がありますが、その起源を遡れば12世紀に端を発して、営々と建設が進められた世界第一級の宮殿です。(約6分30秒)
・「ロシア・赤の広場」 ・ロシア語で「赤」は「美しい」と言う意味で「Red」の意味ではありません。スケールの大きな広場は美しく、特にロシア正教の教会の美しさが印象に残っています。(約6分10秒)
・「ロシア正教のアレルヤ」 ・ロシア正教教会のキューポラでの男声アレルヤです。キューポラの音響効果もあって、素晴らしいハーモニーです。(約5分)
 
北欧4ヶ国の旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅行は、ヘルシンキ、トゥルク、ストックホルム、ベルゲン、グドバンゲン、カウバルゲル、レイカンゲル、ヘルシルト、ゲイランゲル、ロム、オスロ、コペンハーゲンをまわりました。
・「フィンランド・ヘルシンキ散策」 ・ヘルシンキ到着後、午後の自由行動は市内電車でヘルシンキの町を散策しました。郵便博物館、港の青空市場、魚市場などを見物しました。
・「フィンランド・ヘルシンキの朝」 ・ホテルの前のヘルシンキ湾やその周囲の公園には水鳥が多く、岸には色とりどりの花が咲き乱れていました。(約9分50秒
・「フィンランド・ヘルシンキ寸描」 ・シベリウス公園、オリンピック競技場、元老院広場、大聖堂、ヘルシンキ大学、ウスペンスキー大聖堂、テッペリアウキオ教会などを見学しました。
・「フィンランド・トゥルク寸描」 ・トゥルクは昔のフィンランドの首都です。トゥルク城、野外博物館の手工芸博物館、13世紀創設のトゥルク大聖堂、ムーミンワールドなどを観光しました。
・「スウェーデン・ストックホルム」 ・トゥルクから、シリアラインでバルト海をクルーズし、ストックホルムにきました。ストックホルムでは、ストックホルム・シティホール、王宮、衛兵交代、などを見ました。
・「スウェーデン・ストックホルム散策」 ・午後からの自由行動で、観光船でストックホルム湾をクルーズし、洋上からストックホルムの市街を観光しました。その後、ドロットニングホルム宮殿、ストックホルム中央駅、リッダルホルム教会、国会議事堂、旧市街ガムラスタン、などを見てまわりました。
・「テーマパーク・スカンセン」 ・スカンセンはストックホルム最大のテーマ・パークです。様々な草花が咲き乱れる公園には野鳥が放し飼いにされ、乳牛や山羊が放牧さていました。園内を一周するトロッコもありました。
・「スウェーデン・ストックホルム点描」 ・次の訪問地ベルゲンに出発するまでの時間、バーサ号博物館を見た後、オペラ劇場付属のレストラン「オペラシェラーレン」で昼食をとり、地下鉄クローベン駅前の商店街に行きました。
・「ノルウェー・ベルゲン へ」 ・ストックホルムから空路ノルウェーのベルゲンに飛びました。ベルゲンのホテルで夕食を摂った後、白夜のベルゲンの街を散策しました。
・「ノルウェー・グリーク博物館」 ・トロルハウゲンの丘にあるグリーク博物館にはグリークの家、グリーク記念音楽ホール、近くの湖畔にはグリークの墓がありました。
・「ノルウェー・ベルゲン寸描」 ・ベルゲンではハンザ博物館をみて、登山電車でフロイエン山に登りました。下山後、木造建築の建ち並ぶ旧市街を散策しました。
・「ノルウェー・ベルゲンの朝」 ・出発まで、朝のベルゲンの街を散策しました。ベルゲン港に行った後、丘の上の住宅地区からベルゲンの街を見渡しました。べルゲンで一番古い聖マリア教会がありました。
・「ノルウェー・グドバンゲン へ」 ・ベルゲンからグドバンゲンのソグネフィヨルドなど、フィヨルドや氷河を通りながら、オスロまで950kmの大移動です。途中、スタインダールの滝、ツヴィンデの滝などを見ながら、ソグネフィヨルド・クルーズの出発地グドバンゲンに行きました。
・「ソグネフィヨルド・クルージング」 ・グドバンゲンから船に乗りました。フィヨルドは墨水画の山々そのもので、その山々の峰のいたるところから滝が豊富な水を落としていました。
・「ノルウェー・レイカンゲルの宿」 ・レイカンゲルの宿はレイカンゲル フィヨルド ホテルでした。このホテルには港があり、船が直接接岸できました。秋篠宮が独身時代に宿泊したことがあり、その部屋がそのまま残っており、公開されていました。
・「ノルウェー・ブリスクダール氷河 へ」 ・ブリスクダール氷河へのバス移動は、いくつものヘヤピンカーブを通りながら、眼下にフィヨルドを見ながらの移動でした。
・「ノルウェー・ブリスクダール氷河」 ・ブリスクダール氷河にはバスは入れないので、馬車に乗っていきました。馬車道のすぐそばに落ちてくる滝は迫力がありました。氷河の先端近くで馬車を降り、歩いて氷河に行きましたが、実際に氷河の上に立つことができました。
・「ノルウェー・ゲイランゲルフィヨルド」 ・ブリスクダールからヘルシントまでバス移動し、ヘルシントからゲイランゲル・フィヨルドをクルージングしました。
・「ノルウェー・ゲイランゲルの朝」 ・ゲイランゲルのユニオン ツーリスト ホテルはフィヨルドの中にあり、ホテルのすぐそばに大きな滝が落ちでいました。
・「ノルウェー・オスロ へ」 ・ゲイランゲルからダレスニッパ展望台でゲイランゲル・フィヨルドを展望した後、ロムのスターブ式教会(木造教会)を見学した後、オスロに向かいました。950kmの大移動でした。
・「ノルウェー・オスロ散策」 ・オスロのステファン・ホテルで夕食を済ませた後、白夜のオスロの街を散策しました。
・「ノルウェー・オスロの朝」 ・朝食後、出発までの時間、ステファン・ホテルの近辺を散策しました。近くに国立劇場があり、王宮では衛兵の交代を行っていました。広い公園を抜けると広場があり、朝市が開かれていました。
・「ノルウェー・オスロ点描」 ・フログネル公園にはヴィーゲランの彫刻が数多くありました。
・「デンマーク・チボリ公園」 ・オスロから空路コペンハーゲンに飛びました。ホテル・メルキュールで夕食を摂った後、夜のチボリ公園を散策しました。
・「デンマーク・コペンハーゲン寸描」 ・コペンハーゲンではホルメンス教会、国会図書館(クリスチャンボー城)、馬術練習場、カステレッツ公園、人魚の像、ゲフィオンの泉、アマリエンボー宮殿、女王の宮殿などを見ました。
・「デンマーク・コペンハーゲン散策」 ・昼食後の自由時間は、ロイヤル・コペンハーゲン工場、市庁舎広場、ストロイエ通り、ガメルトウ広場、コペンハーゲン中央駅などを散策した後、コペンハーゲン中央駅のビストロで夕食をとりました。
・「デンマーク・コペンハーゲンの朝」 ・朝食後、ホテル近くの聖ヨエンス湖畔を散策し、コペンハーゲン市立博物館前のコペンハーゲン・ミニチュア・ガーデンも見てきました。
 
ギリシャの旅   制作者:多摩のけん
・「出発」  ・今回の旅は、成田からアムステルダム経由でアテネに入り、アテネのアクロポリスなどを見た後、デルフィ、メテオラ、ロードス島、クレタ島、サントリーニ島などを観光しました。
・「アクロポリス」  ・アテネの代表的遺跡「アクロポリス」の観光です。(約6分40秒)
・「アテネ寸描」  ・オリンピック競技場、古代オリンピック競技場などを観光しました。大統領官邸の前では、衛兵が独特の歩き方で官邸を警備していました。(約9分50秒
・「デルフィ散策」 ・海岸沿いの車窓風景を楽しんでデルフィのホテルに到着。夕食まで、デルフィの町を散策しました。(約2分30秒)
・「デルフィ遺跡」 ・デルフィの古代神殿遺跡を観光しました。(約8分)
・「ラカンバラ散策」 ・奇岩・巨岩に囲まれたラカンバラの町は、のんびりとしていました。
・「メテオラの修道院」 ・多くの巨岩の上に修道院が建てられていました。その中の1つの修道院を見学しました。(約7分40秒)
・「イコン工場」 ・メチオラの修道院の近くにイコン工場がありました。イコンを1枚1枚手作業で作っていました。(約3分30秒)
・「ロードス島の朝」 ・ロードス島の朝は清々しい朝でした。海岸に出て、新鮮な空気を胸いっぱいすいました。(約2分40秒)
・「ロードス島I-リンドス・エリア-」 ・ロードス島のリンドス地区は島の南端にあり、古代遺跡が残っていました。(約7分40秒)
・「ロードス焼工場」 ・リンドスから北にもどったところに「ロードス焼」の窯元があり、独特のロードス焼を作っていました。(約2分59秒)
・「ロードス島II-ロードス・エリア」 ・ロードス地区はロードス島の表玄関で、大型観光船も、この港に接岸する。「騎士団長の館」が観光の目玉です。(約10分40秒)
・「クレタ島散歩」 ・ロードス島からアテネに帰り、そのままクレタ島にきました。夕食までクレタ島を散歩しました。(約3分50秒)
・「クレタ島寸描」 ・ギリシャ正教のA〜Zがわかる「アギオス教会」などを観光しました。
・「イラクリオン考古学博物館」 ・クレタ島の「イラクリオン考古学博物館」は、クレタ島近海で採取された古代遺跡が展示されていました。金の装飾品も数多くありました。(約6分)
・「クノッソス宮殿遺跡」 ・3階建ての、鮮明な色彩の王と王子の部屋の壁画が印象的です。下水道も残っていました。(約7分)
・「クリティ海クルーズ」 ・クリティ海はエーゲ海の南の海域です。クレタ島から、サントリーニ島へ、片道4時間のクルーズを楽しみました。(約9分)
・「サントリーニ島寸描」 ・白い壁と丸い屋根。いたるところに鐘がある可愛い街でした。(約9分30秒)
・「ポセイドン神殿遺跡」 ・ポセイドン神殿遺跡は、アテネ郊外スニオン岬の丘の上にあります。アクロポリス以前に建てられたといわれています。(約2分50秒)
 
スペイン・ポルトガルの旅   制作者:多摩のけん
・「スペイン・バルセロナ散策」 ・
・「スペイン・サグラダファミリア教会」 ・今も建築が進められている大聖堂 (7分)
・「スペイン・バルセロナと建築家ガウディ」 ・ガウディの奇抜な建造物
・「スペイン・モンセラー」 ・標高1245mの山にある巨大な奇岩と大聖堂
・「スペイン・ペニスコラ」 ・南仏カンヌを思わせる海岸と海岸の絶壁にあるペニスコラ城(約11分)
・「スペイン・バレンシア散歩I」 ・バレンシアは陶器の町。(約8分)
・「スペイン・風車とドン・キホーテ」 ・スペイン内陸 ラ・マンチャ地方のノンビリした世界(約7分)
・「スペイン・中世の古都コルドバ」 ・スペインの南部にあるコルドバはイスラム教とキリスト教に交互に支配されたため、独特の文化が今もなお残っています。
・「スペイン・マドリード散歩」 ・スペインの首都マドリードは見るところが数多くありましたが、中でもプラド美術館のゴヤの作品は圧巻でした。
・「スペイン・中世都市トレド」 ・マドリードの南70kmに位置するトレドは城壁と川に守られた、中世の面影を今もそのまま残しています。
・「スペイン・アルハンブラ宮殿」 ・スペイン南部のアンダルシア地方に発展したグラナダは今もイスラム文化の高いかおりを伝えています。その代表がアルハンブラ宮殿です。
・「スペイン・ヘネラリフェ離宮」 ・ヘネラリフェ離宮はアルハンブラ宮殿の城壁の上に造られた長い通路で宮殿と結ばれた離宮です。
・「スペイン・セビリアの夜」 ・スペイン最後の夜を本場のフラメンコで楽しみました。(約8分30秒)
・「スペイン・セビリア」 ・セビリアはアンダルシア地方だ第一の都市です。オペラ・カルメンの舞台になったところであり、コロンブスのゆかりの地でもあります。(約9分20秒)
・「スペイン・アルカサール」 ・アルカサールとは城砦という意味です。セビリアのアルカサールの起源は8世紀に遡ります。(約9分30秒)
・「スペイン・グラナダ寸描」 ・スペインの南部アンダルシア地方に発展したグラナダは、今もイスラム文化の高いかおりを伝えています。(約8分)
・「スペインからポルトガルへ」 ・スペインのセビリアからポルトガルのリスボンまで440kmの大移動です。(約10分)
・「ポルトガル・大航海時代の記念碑」 ・16世紀初頭のポルトガル国勢全盛期は世界の中心はリスボンでした。(約10分)
・「ポルトガル・シントラの街」 ・リスボンの西北西約30kmのところにあるシントラはタイルの街で、街の至るところにタイルの大壁画があります。(約8分20秒)
・「ポルトガル・ロカ岬」 ・ロカ岬はユーラシア大陸最西端で、詩人カモンエスの「ここに陸尽き、海始まる」の石碑がありました。(約5分)
 
中欧5ヶ国の旅   制作者:多摩のけん
・「ポーランド・ワルシャワ散策」」 ・旧市街、旧王宮、キューリ夫人の生家などを見学しました。(7分20秒)
・「ポーランド・ショパンの生家」 ・ワジェンキ公園にあるショパンの像を見た後、ショパンの生家に行きました。生家の中は撮影禁止でしたので、資料から映像を作りました。(4分)
・「ポーランド・世界遺産 ヴィエリチカ岩塩採掘坑」 ・ヴィエリチカ岩塩採掘坑は、紀元前4500年から掘られている岩塩坑で、全長1500km、最深部、地下327m の想像を絶する巨大な岩塩坑です。
・「チェコ・オロモウツ散策」 ・オロモウツは、ローマ帝国の軍事拠点として1063年に司教座がおかれた古い街です。街には古い石の建物の並び、敷石道の多い落ち着いた街でした。(5分50秒)
・「チェコ・プラハ散策」 ・プラハは神聖ローマ帝国の首都になったこともある歴史的に重要な街です。旧王宮は旧市庁舎で、公開されています。カレル橋を中心とした美しい街でした。(8分50秒)
・「チェコ・プラハ散策 II」 ・市街散策をした後、民族音楽のディナー・ショーを楽しみました。(6分)
・「チェコ・カルルシュティン城」 ・ボヘミア地方のカルルシュティン城は丘の上にあり、馬車に乗って行きました。城内は残念ながら、撮影禁止でした。しかし、城から見下ろす秋の紅葉は素敵でした。(4分20秒)
・「チェスキー・クルムロフ散策」 ・チェスキー・クルムロフは神聖ローマ帝国時代のボヘミア王国です。現在も残ってきる大きな城からの街全体の眺望は素敵でした。(7分20秒)
・「スロバキア・ブラチスラバ散策」 ・ブラチスラバは10世紀初めにハンガリー王国の国境要塞として発達しました。現在も残っているブラチスラバ城に登りました。(14分20秒)
・「ハンガリー・ブダペスト散策」 ・漁夫の砦、マーチャーシュ教会、英雄広場、聖イストヴァーン大聖堂など市内観光した後、ドナウ川をクルージングしました。(14分)
・「ハンガリー・ブダペストの夜」 ・古城のレストランで、この旅最後の晩餐を楽しみました。夜景の美しさと、本場のチゴイネルワイゼン、ハンガリア舞曲の演奏が印象に残っています。(7分40秒)
・「オーストリア・ウィーン駈足観光」 ・何度も訪問しているウィーン... 今回は、スケジュールの関係でバタバタの駆け足観光でした。(5分40秒)
 
ベネルックス3ヶ国の旅   制作者:多摩のけん
・「オランダ・アムステルダム寸描」」 ・運河クルーズを楽しんだ後、アムステルダム国立博物館で、レンブラント、フェルメール、ヤン・ステーンなどの名画をゆっくり鑑賞しました。(約12分30秒)
・「オランダ・ザーセンスカンスの風車風景」 ・もっともオランダらしい風車風景です。(約6分)
・「オランダ・キュウケンコフ公園」 ・オランダのもう1つの代表チューリップが満開でした。(約8分)
・「世界遺産・キンデルダイクの風車」 ・キンデルダイクには風車が19基並んでおり、壮観でした。(約7分30秒)
・「オランダ・ハーグ寸描」 ・ハーグは国連の地方裁判所などがあり、実質上の政治の中心都市です。マウリッツハイス美術館ではフェルメールなどの名画をじっくりと鑑賞しました。(約9分)
・「クレラー・ミューラー美術館」 ・クレラー・ミューラー美術館はデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園の中にありました。ゴッホの絵が数多くありました。前衛的な絵、彫刻、オブジェが多かったのも印象に残っています。(約7分30秒)
・「オランダ・マーストリヒト寸描」 ・マーストリヒトはマース川に沿って発達しました。聖ヤンス城は2.5kmに及ぶ城壁に囲まれた頑強な城で、その周囲には実際に使用された大砲が並んでいました、旧市街は石畳道の両側に石造りの家が並んでいました。(約13分40秒)
・「ルクセンブルク寸描」 ・ルクセンブルクではノートルダム大聖堂、聖ミカエル教会などを観光しました。首相官邸の衛兵が独特の動きで官邸のまわりを歩いていました。(約8分40秒)
・「ベルギー・アントワープ寸描」 ・アントワープは古い建物が並ぶ落ち着いた街でした。ノートルダム大聖堂の宗教画はルーベンスが描いたものです。パイプの数約5700本の素晴らしいパイプオルガンがありました。(約8分)
・「ベルギー・ブリュッセル寸描」 ・(約12分20秒)
・「ベルギー・モダーブ城」 ・城の中をゆっくり見てまわりました。家具、美術品など流石にいいですね。(約6分)
・「ベルギー・デュルビュイ寸描」 ・(約4分)
・「ベルギー・アンヌボア城庭園」 ・ 噴水がいくつもある庭園です。噴水は動力を使わず、地形の高低差を利用したものです。(約5分)
・「ベルギー・ゲント寸描」 ・(約12分)
・「ベルギー・ブルージュの夕べ」 ・夕食後、ブルージュの街を散策しました。(約4分)
・「ベルギー・ブルージュ寸描」 ・聖母マリア教会には、ミケランジェロから直接購入したという、500年前の大理石のキリストを抱いた聖母マリア像がありました。(約9分)
・「ベルギー・ブルージュ古都めぐり」 ・ブルージュの街を運河をクルーズしながらの古都めぐりです。(約7分)
・「ベルギー・ブルージュのフリータイム」 ・早朝のブルージュや、観光馬車に乗っての観光です。(約4分30秒)
 
ドイツの旅   制作者:多摩のけん
・「ハイデルベルク寸描」 ・ハイデルベルクは大学の街です。学生専用の牢獄がありました。また、16世紀に建てられた家・家並とネッカー川にかかるカール・テオドール橋の美しさは感動的でした。(約5分)
・「世界遺産・ハイデルベルク城」 ・世界遺産ハイデルベルク城は14世紀に建造されましたが、17世紀の2度の戦争により、徹底的に破壊されました。19世紀に修復が始まり、現在も修復中です。城から見るハイデルベルクの街の美しさに感動しました。(約5分)
・「ローテンブルク寸描」 ・ローテンブルクは頑丈な城砦に囲まれていました。城砦には回廊があり街が一望できました。街には、由緒ある古い建物が残されていました。(約5分)
・「ロマンチック街道とミュンヘンのビール」 ・ロマンチック街道は、「ローマへの巡礼の道」のことです。沿線には古都や古城が多く、今はロマンチックな道と受けとめられていますね。ミュンヘンは何といってもビールの本場です。(約4分)
・「世界遺産・ヴィーズ教会」 ・ヴィーズ教会は18世紀に建てられましたが、この教会にある「涙を流すキリスト」が世界遺産です。丁度日曜ミサが行われており、パイプオルガンが演奏されていました。(約1分20秒)
・「世界遺産・ノイシュバンシュタイン城」 ・ノイシュバンシュタイン城はバイエルン王ルードヴィヒ2世により19世紀後半に建造された美しい城で、ディズニーランドの白雪姫の城のモデルになったとも言われています。ルードヴィヒ2世は、オペラ・タンホイザーの愛好家で、城には吟遊詩人の間があり、室内にはタンホイザーに因んだ絵や彫刻が飾られていました。(約5分30秒
・「ニュルンベルク寸描」 ・ニュルンベルクは皇帝城をはじめ、石造りの旧い重厚な建物が並ぶ、落ち着いた街でした。(約5分30秒)
・「世界遺産・バンベルク寸描」 ・バンベルクの旧市街は世界遺産に登録されています。12〜1300年代に建てられた教会、1500年代の住居など数多く残っていました。旧市庁舎のフレスコ画が印象的でした(約5分20秒)
・「ドレスデン寸描」 ・ドレスデンはエルベ川に沿った美しい街です。エルベ河畔の「ブリュールのテラス」や再建されたフラウエン教会のドームの上からの眺望は最高でした。13世紀にマイセンの陶器25000枚を使って作られたモザイク壁画「君子の行列も見事でした。(約5分40秒)
・「ベルリンの朝」 ・やっとドイツの首都ベルリンに着きました。ホテルは旧東ドイツ地区でしたが、すぐそばに大きな川沿った遊歩道がありました。(約1分40秒)
・「ペルガモン博物館 - ベルリン - 」 ・ペルガモン博物館は、トルコのペルガモン周囲から発掘された遺跡を展示したものですが、通常の展示物とはスケールの大きさが格段に大きいがウリです。(約4分)(約6分30秒)
・「ベルリン寸描」 ・ベルリンは終戦64年を経た現在でも、戦後の東西分割の爪痕が生々しく残っていると感じました。(約5分30秒)
・「ツェツィリンエンホフ宮殿 -ポツダム- 」 ・ウィリアム王子とツェツィリン妃の離宮です。ドイツの戦後処理や日本に無条件降伏を求める米英仏露の4ヶ国会談が行われた会場でもあります。(約4分)
・「ベルリンの夜」 ・ドイツはビールは美味しいのですが、食事はイマイチでした。(ドイツ料理は、美味しいとはあまり聞きませんね) ホテルにサウナなどありましたが、利用する時間的余裕はありませんでした。残念!(約2分)
・「バス旅行の幕間」 ・ベルリンからワイマールまで、約300kmの移動の途中の休憩の1コマです。(約1分30秒)
・「ワイマール寸描」 ・ワイマールは、シラーやゲーテ、トルストイのような詩人・文豪、画家クラナッハ、音楽家リストなどとゆかりが深く、住んでいた家や泊まっていたホテルが残っていました。マルトス広場は昼食どきで、ありのままの寛いだ市民の表情が見られました。(約5分30秒)(約10分)
・「リューデスハイムの夜」 ・リューデスハイムは、ライン川に沿った小さな港町で、ライン川下り起点の街です。観光客が多く、楽しい酒場が並んでいました。(約5分30秒)
・「リューデスハイムの朝」 ・リューデスハイムの朝は清々しい朝でした。ほとんど人がいない石畳の細い小路の両側には可愛い小さな家が並んでいました。(約3分30秒)
・「ライン川下り」 ・リューデスハイムからザンクト・ゴアまで、川の両岸にある古城を見ながら、小船を貸し切ってライン川を下りました。城建築の目的が「船からの税の徴収」であり、川の中洲に作られた城もありました。何といっても感動的なのはローレライの岩の真下の急流の通過でした。(約4分30秒)
・「ケルン寸描」 ・ケルンはオーデコロン(「ケルンの水」の意)発祥の地です。現実的には壮大な「ケルン大聖堂」を中心に生活が営まれているようです。(約3分50秒)
フランスの旅   制作者:多摩のけん
・「ニース寸描」 ・コート・ダジュールを中心に世界の代表的な避暑地ニースの美しい海岸をお楽しみ下さい。
・「シャガール美術館」 ・シャガールは旧約聖書の世界です。
・「モナコ・エズ寸描」 ・F1サーキト直前のモナコに行きました。
・「カンヌ寸描」 ・国際映画祭直前のカンヌに行きました。
・「マルセイユ寸描」 ・本場のブイヤベースを食べました。
・「アルル・アヴィニオン寸描」 ・巨大なローマ水道、円形闘技場、アヴィニオンの橋など。
・「アヴィニオンの法王庁」 ・アヴィニオンにも法王庁がありました。法王庁 (Palais des Papes) 1309年、フランス人ローマ教皇、クレメンス5世 (ClemensX) は、教皇庁をアヴィニョンに移した。それは、アヴィニョンへいってローヌ川の急流に橋を架けよというものだった。
・「リュベロン地方」 ・素朴なリュベロン地方にも足をのばしました。
・「エクスアン・プロバンス寸描」 ・セザンヌゆかりの地、温泉と噴水の都。(約6分)
・「セザンヌのアトリエとその周辺」 ・セザンヌのアトエにあったものは? (約9分40秒)
・「高速列車TGV」 ・フランスの新幹線の乗り心地は? (約6分30秒)
・「世界遺産・シャンボール城」 ・ロワール河畔に咲いた数ある古城の中でも華麗な城(約8分)
・「シュノンソー城」 ・橋の上に造られた華麗な古城に秘められた2人の女性の葛藤は?(約6分20秒)
・「世界遺産・モンサンミッシェル」 ・満潮時には島の入り口が水浸しになる魅惑の町。(約12分)
・「世界遺産・モンサンミッシェル修道院」 ・10世紀から500年かけて岩山に築かれた要塞機能を持ち10年戦争も戦い抜いた修道院。(約10分40秒)
・「オンフルール寸描」 ・古い港町と船大工が建てた木製の聖カトリーヌ教会。(約10分)
・「ルーアン寸描」 ・ジャンヌダルクが処刑された町。モネの絵が残るノートルダム大聖堂。(約8分30秒)
・「ルーブル美術館」 ・ミロのヴィーナス、ダ・ヴィンチのモナリザなど数々の名作。(約9分)
・「ヴェルサイユ宮殿」 ・日頃公開していない王様、王妃の寝室が期間限定で公開されていました。(約12分30秒)
・「セーヌ川クルージング」 ・マリーアントワネットが断頭台に消える最後の2ヶ月の過ごした牢獄を、船の上から見ました。(約15分40秒)
 
イギリスの旅   制作者:多摩のけん
・「エディンバラ城」 ・エディンバラ城は、石造りの壮大な規模の城でした。内部は王宮や礼拝堂などもあり、最上階からは、エディンバラ旧市街が一望されました。
・「エディンバラ寸描」 ・世界遺産都市エジンバラは、昔の貴族の落ち着いた街並み、世界金融発祥の地の古い建物と近代建築のコントラストが印象的でした(約5分)
・「湖水地方散策」 ・湖水地方の小さな町を2つ散策しました。どちらも古い、落着いた小さな町でした(5分)。
・「詩人 ワーズワースの世界」 ・ワーズワースが住んだイングランド湖水地方は、今ものんびりとした酪農風景が続く村でした。平らな自然石を積み上げて作った家が印象的でした。(5分40秒)
・「ニア・ソーリー村」 ・湖水地方の酪農村の農家を訪問し、村を実際に散策しました。(約4分30秒)
・「ジルおばさんのクッキー教室」 ・ニア・ソーリー村でのクッキー教室に参加しました。
・「ピーター・ラビットのふるさと」 ・ニア・ソーリー村のヒルトップはピーター・ラビットの世界です。丘の小径、丘の上の小さな家、家の窓から見える風景、すべてピーター・ラビットの絵の背景に描かれていました(3分)。
・「ウィンダミン湖クルージング」 ・静かな湖でのクルージングをゆっくりと楽しみました。クルージングの後散策したボーネスの町も小さな可愛い町でした(5分40秒)。
・「チェスター寸描」 ・「ザ・ロウズ」は、長い建物の2階部分を「筒抜け」にしたアーケードですが13世紀に造られたと聞いて驚きました。17世紀に建てられた木造建築の街並みも趣がありました。(8分)
・「ウェッジ・ウッド工場」 ・お馴染みの陶器ウェッジ・ウッドの工場見学です。売店で規格外の食器を廉く買い込みました。(4分)
・「シェークスピアのふるさと」 ・シェ−クスピアの生家は、日本の田舎の藁葺きの農家のような感じで、庭には薔薇の花がいっぱい咲いていました(3分)
・「ストラッドフォード・アポン・アイボン散策」 ・イングランド原住民ピクト人の子孫が伝統に則って建てた旧い住まいが今も残っている落ち着いた小さな町でした。(3分40秒)
・「グロスター散策」 ・ハリー・ポッターの舞台になった町ですが、ピーター・ラビット・グッズの店と、大聖堂のスケールの大きい回廊が印象に残っています。(3分30秒)
・「カッスル・クーム散策」 ・カッスル・クームは美しい薔薇の花に飾られた旧い石造りの家が並ぶ小さな村でした。(3分40秒)
・「世界遺産・ローマ時代の大浴場」 ・街の地名になったローマ時代に造られた大浴場は、今も滾滾と温泉と湧出していました。(5分)
・「世界遺産・ストーン・ヘンジ」 ・あの巨大な石をどのようにして運んできたのか? どのようにして垂直に立てたのか? 信仰の対象として造られたのでしょうが、信仰心は何をも成し遂げる力を発揮するそのエネルギーはどこからくるのか?神秘的な気分になりました。(2分30秒)
・「ウィンザー城」 ・ウィンザー城は1070年、ウィリアム 1世によって建設が始められました。今でも、エリザベスII世が週末にこの城で過ごしています。(約6分)
・「ロンドン塔とタワーブリッジ」 ・ロンドンのシンボル「タワーブリッジ」は実際に渡って素晴らしかったですが、その近くにある「ロンドン塔」は英国権力闘争で敗れた貴族の牢獄であったという忌まわしい過去を持っています。
・「バッキンガム宮殿の衛兵交代」 ・今までに、各地で衛兵交代を見てきましたが、この城のそれは、実にスケールのの大きさは、比較にならないほどの大きさでした。
・「リージェント・パークの薔薇 ロンドン」 ・ ロンドン市外の中心部にあるリージェント・パークは、広大な敷地に薔薇園と池を配した規模の大きな公園で、旅の疲れが癒されました。(約4分)
・「大英博物館 ロンドン」 ・古代エジプトの遺跡を集めた大規模の博物館です。(約6分20秒)
 
スイスの旅   制作者:多摩のけん
・「出発」 ・今回の旅行はスイスの三大名峰ユングフラウヨッホ、マッターホルン、モンブランをトレッキングする旅です。(約6分20秒)
・「ルツェルン寸描」 ・ルツェルンは山と湖に囲まれた旧い町です。屋根のある木橋「カペラ橋」の近くの眺望とそれに続いた家並がいいですね。(約5分40秒)
・「世界遺産都市・べルン寸描」 ・大きな時計台とその下に広がる大規模なアーケード街、それとは対照的な旧市街の木製瓦の住宅群(世界遺産)が印象的でした。(約6分40秒)
・「ユングフラウヨッホ」 ・ いくつもの登山電車とエレべーターを乗り継いで、ヨーロッパで一番高い展望台「トップ・オブ・ヨーロッパ(3454m)で見たものは...(約7分30秒)
・「ユングフラウヨッホ・トレッキング」 ・アルプスの雪渓を眺めながら、高山植物を見たり、小川のせせらぎを聞いたり、カウベルの響きを耳にしながら、トレッキングを楽しみました。(約6分40秒 
・「銀嶺を行く」 ・ユングフラウヨッホの登山口グリンデルワルトから、マッターホルンの登山口ツェルマットまで、「ヨーロッパの屋根」を伝いながら、途中ローヌ氷河や、フルカ峠を見ながらのバス移動です。(約7分)
・「ローヌ氷河とフルカ峠」 ・ローヌ氷河とフルカ峠(標高2436m)の雄大さに圧倒されました。歩いて通った氷河トンネルの美しさが印象的でした。(約4分20秒) 
・「氷河特急」 ・氷河特急で、ユングフラウヨッホを見たアンデルマットからマッターホルンを見るツェルマットに移動しました。傾斜したワインブラスでワインを楽しみながら、雄大なアルプスの峰を見ながらの3時間は快適な旅でした。(約5分20秒)
・「ツェルマット寸描」 ・放牧場から小屋に帰る山羊の群れと、夕日に輝くマッターホルンが印象的でした。(約4分)
・「ツェルマットの朝」 ・朝日に輝くマッターホルンを撮影しようと、朝5時に起きて撮影しました。(約2分)
・「マッターホルン」 ・雲一つない快晴の中、ゴルナーグラード展望台(標高3130m)から望むアルプス連峰は最高!!でした。(約6分30秒)
・「アルプス・トレッキング」 ・マッターホルンを眺めながらの散策です。(約5分20秒)
・「ロートホルン」 ・地下登山電車と、2つのロープウェイを乗り継いで行ったロートホルンは、標高303mで、マッターホルンを見るもう一つのポイントでした。(約6分30秒)
・「シヨン城」 ・レマン湖畔に佇む世界遺産・シヨン城は遠く1160年に起源を発する。バイロンの「シヨンの囚人」の舞台でもあります。(約2分20秒)
・「シャモニー」 ・モンブラン眺望の街シャモニーはフランス領です。タウンカーで街を一周した後、2つのロープウェイを乗り継いで行ったブレベント展望台(標高2525m)からの眺望は素晴らしかったのですが、残念ながらモンブランは見えませんでした。(約7分30秒)
・「郷土料理と民族音楽」 ・スイス最後の夜を、郷土料理フォンデュを食べながら、アルプホルンをはじめ、カウベル、レッフェル、ターラーシュビンゲンなどの民族楽器の演奏、ヨーデルなどを楽しみました。(約6分40秒)
・「レマン湖畔散策」 ・スイス最後の日、朝食後の自由時間をのんびりとレマン湖畔を散策しました。レマン湖を象徴する大噴水と、花時計が印象的でした。(約6分20秒)
・「ローザンヌ寸描」 ・帰国で搭乗予定のエール・フランスのストライキで帰国が遅れ、予定外のローザンヌを観光しました。ローザンヌに行く途中の水で有名なエビアンが見える丘からの眺めが印象的でした。(約6分50秒)
 
釜山の旅  制作者:多摩のけん
・「釜山へ」 ・福岡から釜山に行きました。福岡から高速水中翼船ビートルで釜山までは、わずか2時間55分です。
・「釜山寸描」 ・釜山港の展望台から、釜山の街を展望した後、マイクロバスで釜山の繁華街に行き、衣料店、食料店、鮮魚店などがゴタゴタを並ぶ、いかにも韓国らしい街をぶらつきました。
・「仏国寺」 ・釜山の北部にある仏国寺は広い庭園の中に多くの仏院が並ぶ由緒あるお寺でした。
・「陶器工場」 ・最初、窯のそばに山のように積み上げられたガレキで、その工場で作られる陶器の特徴の説明をうけた後、製品展示場で美しい陶器を観賞しました。
・「大陵苑」 ・広大な庭園になった古墳群です。古墳の中にも入りましたが、残念ながら内部は撮影禁止でした。
・「釜山散策」 ・出航までの時間、釜山の街を気ままに散策しました。
・「帰国」 ・わずか1泊2日の短い旅でしたが、博多から気楽に行ける「外国旅行」釜山を体験しました。
 
台湾の旅  制作者:多摩のけん
・「宝覚寺」 ・台中 台湾を5日間で一周する駆け足観光です。まず台中に行きました。大きな布袋さんと、日本人納骨所が印象に残りました。(2分20秒)
・「日月潭」 ・日月潭は標高760mのところにある風光明媚な湖です。湖を見下ろすようにして、文武帝の壮大な廟がありました。(3分20秒)
・「赤嵌楼・台南」 ・赤嵌楼は今から400年前、当時、この地方を占領していたオランダ人によって建築されたオランダ風の城砦です。夕陽に映えた赤い姿が海に映ったのが、名前の由来だそうです。(約2分40秒)
・「開山王廟・台南」 ・オランダの占領から台湾を奪回した鄭成功を祀る祠です。(約1分40秒)
・「蓮池潭と忠烈祠・高雄」 ・蓮池潭は高雄にある美しい湖です。そこにあるツィンの七重の塔は、いかのも中国風でした。忠烈祠は、台湾のために生命を落とした人たちの祠です。(約3分20秒)
・「高雄の夜市」 ・高雄の夜市は商店街の両側にギッシリ夜店が並び、人と料理の臭いでムンムンしていました。(約3分30秒)
・「花東海岸の3名所」 ・花東海岸は、台湾の東側中央付近の海岸です。ここに、「三仙台」(八拱橋)、「八仙洞」、「北回帰線」の巨大な標識塔がありました。(約3分30秒)
・「阿美族の民族舞踊・花蓮」 ・花蓮地方に今も住んでいる阿美族の力強い民族舞踊です。結婚式などの風習なども取り入れられていました。(約3分)
・「特急列車と九分散策」 ・特急列車は新幹線ではなく在来線でしたが、車内販売や駅ごとに弁当(台湾では「便当」)を売りに来たり、楽しいひとときでした。九分は映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町です。狭い商店街を抜けると下りの長い石段の道があり、独特の風景でしたが、これが「千と千尋」の宮崎監督のモチーフになったそうです。(約3分40秒)
・「台北寸描」 ・台北観光の目玉「故宮博物館」は素晴らしかったのですが、撮影禁止が多く、残念でした。「行天宮」は、お供え物を準備する風景が初めてで面白く、また、漢字ばかりの難しそうな経典を老人が読んでいるので驚きました。(約4分20秒)
 
 
京都の旅   制作者:多摩のけん
・「晩秋の東福寺」 ・東福寺は鎌倉時代、摂政関白・藤原(九條)道家が、東大寺の「東」と興福寺の「福」の2字を譲り受け、九條家の菩提樹として建立しました。広い庭園は紅葉の最盛期でした。
・「晩秋の常寂光寺」 ・昔から紅葉の名所として知られる小倉山の中腹にある日蓮宗の寺院です。慶長元年(1596)、大本山本圀寺十六世究竟院日ワ辮lが、この地に隠棲して開創しました。
・「晩秋の小倉山二尊院」 ・小倉山二尊院は、天台宗の寺院です。正式には小倉山二尊教院華台寺といいます。二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二つの如来像があるからです。 小倉山は万葉の昔から紅葉の名所でした。
・「晩秋の宝筐院」 ・平安時代に白河天皇によって建立され、善入寺と名づけられました。室町時代に2代将軍・足利義詮によって、宝筐院(ほうきょういん)と改名されました。足利家と忠臣・楠木正行(小楠公)の菩提寺でもあります。広い庭園は紅葉の最盛期でしたが翌日が雨の予報なので、今年の紅葉はこの日が最後でしょうと寺院の方が言っていました。
・「晩秋の嵯峨野路」 ・嵯峨野のメイン・ストリートにある天竜寺の前を通って、風情豊な人力車を見ながら緑鮮やかな竹林を歩き、清凉院、薬師寺を覗いた後、渡月橋で嵐山の紅葉を遠望しました。
 
ドイツの川・旅日記シリーズ   制作者:マーチャン
2012年6月、モンチャン・マーチャン兄妹が楽しんだ、川旅の日記。モーゼル・ライン・マインなどの川を伝ってトリーアからニュールンベルグに至る旅とリバークルーズの楽しさをビデオにしました。

なお、この旅行につきましては「旅の部屋」の[No.988] トリア・船は空っぽ★川で巡るドイツ」等でもお話させていただいております。あわせてご覧いただけましたら幸いです。
・ドイツの川ー旅日記(1) ・
・ドイツの川ー旅日記(2) ・
・ドイツの川ー旅日記(3) ・
 
第12回日韓交流会in佐賀シリーズ Ustreamアーカイブ記録
2012年5月24日(木)に佐賀市富士町フォレスタふじで第12回日韓交流会(昭和24年度情報通信月間参加行事)が開催されました。この第2部と第3部はUstreamでライブ配信されましたが、このアーカイブ記録を紹介するものです。
・第2部「日韓シニアネットシンポジウム ー ICTで変わるシニアの観光」 (134分)
 ・プログラム
  1.主催者あいさつ
  2.中村克己先生追悼
  3.来賓挨拶
  4.記念講演  ICTがつなげる、深める日韓の絆
    講師 廉 宗淳(ヨム ジョンスン)氏
      佐賀県 統括本部 情報企画監 兼 教育庁 情報企画監
      総務省 政府情報システム改革検討会 構成員
      佐賀大学大学院 博士後期課程 在学
      イーコーポレーションドットジェーピー株式会社代表取締役社長
  5.パネルディスカッション ICTが変えるシニアの観光」
    ★社団法人佐賀観光協会会長 山口雅久氏
    ★韓国KJCLUB総務 吳 景煥(オ ギョンファン)氏
    ★メロウ倶楽部副会長 若宮正子氏
    ★パネルディスカッションコーディネーター 福田伸裕氏 (61)
     NPO法人 Netcomさが理事長 佐賀県高度情報化推進協議会副会長
・第3部日韓交流・懇親会 (108分) ・アトラクションなど
 
iPad合奏(花パソ)シリーズ   制作者:meimei
いろいろな楽器のアプリを使って合奏を楽しんでいますが、 その1〜その3まで、段々上達していることがよくお分かり いただけると思います。
・その1「エーデルワイス」 ・
・その2「京都慕情」 ・
・その3「会いたかった」 ・
 
登山シリーズ   制作者:多摩のけん
・「小仏峠・城山」 ・小仏峠(こぼとけとうげ)は東京都八王子市と神奈川県 相模原市緑区(旧相模湖町)の間にある標高560mの峠です。城山(しろやま)は、標高670.3mで高尾山に隣接している東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区(旧相模湖町)との境にある山です。
・「御前山」 ・御前山(ごぜんやま)は、東京都西多摩郡奥多摩町、檜原村の境界、奥多摩山域にある 標高1405mの山です。大岳山、三頭山とともに奥多摩三山の一つです。帰りは高水三山の一つ惣岳山(1341m)を経て下山しました。
・「陣馬山」 ・陣馬山(じんばさん)は、東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区(旧:藤野町)との 境界にある標高854.8mの山です。
・「浅間嶺」 ・浅間嶺(標高903m)の稜線(浅間尾根)はかつては秋川上流と五日市を結ぶ生活道として利用されていました。山頂からは笹尾根の上に頭を出した富士山をはじめ展望は素晴らしく、またその緩やか な稜線は手軽なハイキングコースとして知られています。
・「本仁田山」 ・本仁田山(標高1224.5m)は奥多摩にあり、今回は鳩ノ巣駅から登りました。
・「番外編:変形自転車を楽しむ」 ・巣雲山に登ったあと、伊東のサイクルスポーツセンターで変形自転車にトライして楽しみました。
・「巣雲山」 ・巣雲山(すくもやま)は静岡県伊豆市と伊東市の境界付近にある標高は581mの山で、頂上部は伊豆市にあります。
・「三頭山」 ・三頭山(みとうさん)は、東京都西多摩郡奥多摩町・檜原村、山梨県上野原市、北都留郡 小菅村に跨る標高1531mの山です。三頭山周辺は、檜原村都民の森水源林として保護 されており、山頂周辺にはブナ林が残っています。隣接した三頭沢も素敵でした。
・「御坂山」 ・御坂山(1596m)は富士山、河口湖・西湖・精進湖などの北、ほぼ東西に連なる御坂山地の一角にあります。今回は天下茶屋から登りました。
・「三ッ峠山」 ・三ッ峠山は、山梨県の都留市、西桂町、富士河口湖町の境界にある標高1785 m の山です。常に富士山を眺めながらの楽しい登山でした。
・「杓子山」 ・杓子山は山梨県にある標高 1598m の山で、常に富士山を眺めながらの楽しい登山でした。
・「安達太良山」 ・安達太良山 は、福島県のほぼ中心部、二本松市の西側にそびえる標高約1700の山で、日本百名山に数えられています。
・「富士下山」 ・須足口下山道から下山開始。6合目で食べたスイカは美味しかった。
・「富士山」 ・1日目:5合目(標高2,305m)からスタートした。各自適宜に小休止を取りながら、6合目、7合目で大休止。8合目の富士山ホテル(標高3400m)に泊まった。2日目:山頂でご来迎を拝むべく、早朝にホテルを出発。日の出寸前に富士山頂に立つことができた。
・「北アルプスをめざす」 ・1日目は上高地の河童橋を通って穂高奥宮に参拝、氷壁でお馴染みの徳沢園で小休止、横尾山荘に宿泊した。2日目は雨となり、横尾山荘で様子を見た後、午後出発。夕刻涸沢ヒュッテ(標高2350m)に着いた。3日目も雨となり、登頂を断念して帰路についた。途中、嘉門次小屋で鮎の塩焼きを食べました。
・「白馬山をおりる」 ・昨夜泊った白馬大池山荘に今夜も宿泊。宿泊状況は1畳に4人。山の夕焼けは絶景でした。翌朝はご来迎を拝みに行ったが、濃霧でかなわず。午前7時30分、濃霧の中を下山開始。雪渓を白馬尻小屋(1560m)まで下りました。
・「白馬山」 ・大糸線白馬駅からタクシーで栂池に行き、栂池コンゴラ・リフト、栂池ロープウェイを乗り継ぎ、終着の自然公園駅は、標高1829m、ここから登山開始、天狗原(標高2180m)を経て白馬大池山荘に宿泊。2日目は、雷鳥や種々の高山植物を見ながら、小蓮華山頂(標高2769m)、三国境(標高2751m)を踏破して、白馬山頂(2932.2m)に到達した。

 
アメリカ東海岸クルーズ   制作者:多摩のけん
・「マッキンレー山脈」 ・帰国の時の、アラスカ上空の映像です。
・「ニューヨーク点描 2」 ・マンハッタンの繁華街を散策し、メトロポリタン・タワー、カーネギー・ホール(カーネギー・タワー)、などを見ました。また、セント・パトリック大聖堂、ロックフェラー・センター、ゼネラル・エレクトリック・ビル、タイムズ・スクェア、セントラル・パーク、ジョン・レノンのアパートメント、ストロベリー・フィールズ、コロンビア大学、ハーレム地区などを車窓から見ました。
・「ニューヨーク点描 1」 ・同時多発テロ事件の国際貿易センタービル、国連、ブルックリン橋、マンハッタン橋、ウイリアムズバーグ橋チャイナタウン、ニューヨーク市庁舎、などを見ました。
・「早朝のニューヨーク沖」 ・日の出前にニューヨーク最大のつり橋「ウイリアムズバーグ橋」の下を船橋ギリギリで通過しました。はるか彼方に自由の女神像が見えました。
・「さよならパレード」 ・クルーズ最終日の前日、5階のロイヤル・プロムナードで盛大なパレードが行われました。
・「クルースの朝」 ・クルーズの日の出です。
・「ショー・タイム2」 ・大ホールでのショーです。
・「ボストン寸描」 ・ボストン・レッドソックス・スタジアム、トリニティ教会、ジョン・ハンコック・タワー、コーブリー・スクェア、歴史的住宅街アコーン通り、高級住宅地ビーコン・ヒル、クインシー・マーケットなどを見ました。
・「バーバード大学」 ・ボストンに上陸し、ハーバード大学を見学し、生協で記念品を購入しました。
・「ショー・タイム」 ・大ホールでのショーです。
・「ハリファックス散策」 ・ハリファックスは、古い歴史を持つカナダの港町です。時計台の丘、ハリファックス城砦、タイタニック号関連の海事歴史博物館など、見るものが数多くありました
・「クルーズの夜」 ・ディナーの後は、アイス・ショー、ピアノ弾き語り、ダンスなどで楽しみました。
・「セントジョン散策」 ・セントジョンはカナダです。古いレンガ作りの建物が残っている落ち着いた港町でした。
・「イタリアン・ナイト」 ・ディナーの時、レストラン従業員がナプキンを振り回しながらイタリア民謡を歌うクルーズ恒例のイタリアン・ナイトです。
・「アカディア国立公園」 ・荒波が打ち寄せる海岸が美しいのですが、生憎の雨でした。
・「バーハーバー散策」 ・バーハーバーはロブスターの港町です。いたるところにロブスターのレストランがあり、土産店にもロブスター関連の土産品があふれていました。
・「ホワイト・マウンテン」 ・今回の旅行の最大のビュー・ポイントでしたが、生憎の雨で何にも見えず残念でした。
・「船長招待パーティ」 ・クルーズ恒例の船長招待パーティです。シャンパンやワインが無料でふるまわれ、バンド演奏にのって踊るカップルもおり、楽しいひとときでした。
・「クルーズの余暇」 ・1日中クルーズなので、ダンス教室やジャグジーなどで、ゆっくり船内生活を楽しみました。
・「出航」 ・午後5時、船は出港しました。いつものことながら、見送りも汽笛もない出航です。右舷に自由の女神を見ながら、ゆっくりと桟橋を離れました。
・「乗船」 ・今回の船「エクスプローラー・オブ・ザ・シーズ」は138,000トンと大きいだけあってデッキは15階、プールは大小6個、船の中央に3階吹き抜けのプロムナードなどがありました。ニューヨークからの出航なので、憧れの「自由の女神」も見ることができました。
・「出発」 ・今回の旅は、成田からニューヨークに飛び、ニューヨークから豪華客船「エクスプローラー・オブ・ザ・シーズ(138,000トン)」に乗り、アメリカのポートランド、バーハーバー、カナダのセントジョン、ハリファックス、アメリカのボストンに寄港した後、ニューヨークに帰港、ニューヨークを観光して帰国しました。
 
 
シンガポールの旅   制作者:多摩のけん
・「シンガポール点描」 ・セントーナ島からの船を降りた後、シンガポールの街を散策しました。
・「セントーナ島寸描3」 ・再びモノレールで、高い位置からのセントーナを見なから、バタフライ・パークに移動し、いろいろな蝶々を見学しました。シンガポールには、船で帰りました。
・「セントーナ島寸描2」 ・モノレールで島を1周した後、アンダー・ウォーター・ワールド駅で降り、大規模な水族館を見学しました。
・「セントーナ島寸描1」 ・ロープ・ウェイ・セントーナ駅の近くにあるマーライオンは本土のマーライオンより大きく、高さ38メートルもあります。その足元にはいろいろ仕掛けがって、観光客を楽しませてくれました。
・「セントーナ島へ」 ・シンガポールの離島、セントーナ島に行きました。本土と島を結ぶロープ・ウェイからの眺めは最高! でした。
・「シンガポール植物園」 ・蘭を中心に各種の草花がありましたが、規模の小さい植物園でした
・「ジョホール・バル寸描」 ・シンガポールと川ひとつ隔てた、マレーシアのジョホール・バルに行きました。近代建築物が並ぶシンガポールとは違い、東南アジアの発展途上国の田舎の印象でした。
・「リトル・インデイア散策」 ・中国人の民間信仰の龍山寺を見た後、近くにあるインド人居住地区の「リトル・インデイア」に行きました。大きなヒンドゥ教の「スリ・ヴィマラカリ・アマン寺院」周辺では「普段着のインド人」を見ることができました。
・「シンガポール散策」 ・メインストリートのオーチャード通りを散策した後、下町の魚市場に行き、伊勢海老を料理して貰いました。 ホテルには地下鉄で帰りました。
・「国立オーチャード公園」 ・国立オーチャード公園は広い敷地の中に、サボテンなど熱帯植物が色とりどりに花を咲かせていました。
・「シンガポール寸描」 ・カヴェナ橋やマーライオン公園など、シンガポールの街の中心部を観光しました。
・「出発」 ・今回の旅はシンガポールとマレーシアのジョホール・バルに行きました。
 
 
ニュージランドの旅   制作者:多摩のけん
・「モエラキボルダー」 ・モエラキボルダーはニュージランド南島の南端の海岸にある球形の奇岩です。岩が波で削られて球形になったのではなく、化石が核になってその周りに種々な物が付着して岩のようになったそうです。(約2分)
・「ダニーデン寸描」 ・ダニーデンはアップ・ダウンの激しい街で、ギネス・ブックにも載っている。公道として世界一急な坂(19.3度)と、美しいダニーデン駅が印象に残っています。(5分)
・「ペンギン・コロニー」 ・ニュージランドに生息するペンギンは「黄色目ペンギン」です。このペンギンは縄張り意識が強く、群れでは生息しません。昨年11月〜12月は気象異常のため、生まれたばかりの赤ちゃんペンギンの多くが死んでしまったそうです。(約5分30秒)
・「テ・アナウの朝」 ・清々しい朝の湖畔風景です。木の小枝で名も知らない鳥の鋭い啼声が印象に残っています。(3分)
・「ミルフォードサウンド国立公園」 ・1200mの高山も生憎の雨で視界はイマイチでした。途中で出遭った大群の牛の移動と、1000近い高山に人に慣れたオウムが多数いたのが印象に残っています。(約5分)
・「ミルフォードサウンド・クルージング」 ・雨上がりの推量豊富な滝は迫力満点でした。ペンギンやアザラシもおりました。(約7分)
・「ミルフォード・ドライブ」 ・ミルフォードの高山から落ちる滝、空の青、雲の白のコントラストが素晴らしく、つい長撮りしてしまいました。(約4分30秒)
・「アロータウン」 ・その昔金鉱が発見され、一攫千金を夢見た男たちが集まってきました。その男たちが生活できるためだけの小さな町です。
・「本家バンジー・ジャンプとフルーツのふるさと」 ・バンジー・ジャンプは今はどこにでもありますがその発祥がニュージランドです。(3分)
・「オマラマの羊牧場」 ・羊牧場での羊の毛刈り、羊牧場風景、羊料理、の「羊づくし」です。(5分)
・「マウントクック国立公園」 ・南アルプスにあるマウントクック国立公園には3000メートル級の山が23山あります。その最高峰がマウントクックです。マウントクックに行くまでの雄大な景色と湖水の緑とのコントラストが素敵でした。(5分)
・「テカポ湖畔の日本食」 ・久し振りの刺身、味噌汁、日本酒は最高!でした。庭のテカポ湖の眺望、ルピナスの花も素敵でした。(3分)
・「善き羊飼いの教会」 ・デカポ湖畔にある教会で、NZ観光ポイントの1つ。1935年に地元の方々によって建てられました。この一風変わった教会の名前は、聖書のこの一節 「良い羊飼いは羊の為に死ぬ」というところから付けられました。残念ながら雨でした。
・「クライストチャーチ寸描」 ・NZ南島最大の都市「クライストチャーチ」を散策しました。街の名前が示すとおり「大聖堂」を中心に、発達した町でした。「大聖堂」は大き過ぎるので、魚眼レンズを使いました。(約4分)
・「モナベール庭園」 ・クライストチャーチ郊外にある「モナベール庭園」は、富豪・故モナベール夫人の私邸です。水と花が美しい庭園でした。(約4分30秒)
・「クライストチャーチのホテル」 ・NZの南島を一周して再びクライストチャーチに来ました。クライストチャーチのホテルの庭は色とりどりの花が咲き乱れていました。(3分15秒)
・「海岸特急 トランツコースタル号」 ・海岸特急「トランツコースタル号」は、NZ南島最大の都市クライストチャーチから南島最北の港町ピクトンを風光明媚な海岸線を5時間50分で結ぶ素敵な列車です。(4分40秒)
・「クック海峡を渡る」 ・NZ南島と北島の間がクック海峡です。大型のフェリーに乗って、のんびりとおだやかな初夏の海峡風景を楽しみました。(4分50秒)
・「ウェリントン寸描」 ・のんびりとした大型フェリーを降りると、NZの首都ウェリントンをバタバタと駆け足で観光しました。(撮影 2008.12.5)(4分50秒)
・「庭園街道をゆく」 ・羊や牛が放牧された広々とした初夏の草原の彼方に2800m級の銀嶺が輝いていました。道の両側にはマウント・ルピーが黄色く咲き乱れていました。(撮影 2008.12.6)(4分30秒)
・「タウポ湖」 ・タウポ湖はトンガリロ国立公園の中にあるNZ最大の湖です。湖には、泳ぐ人、ボートを操る人、砂浜で遊ぶ人などで賑わっていました。(撮影 2008.12.6)(2分30秒)
・「フカ滝」 ・フカ滝はトンガリロ国立公園の中にあります。碧い水の美しさは印象的でした。また、水量の多さと流れの速さに圧倒されました。(撮影 2008.12.6)(約2分)
・「テ・プイアと間欠泉」 ・先住民族マオリの文化を伝える「テ・プイア」はロトルアにあります。ロトルアはいたる所から温泉が噴出していましたが、テ・プイアの近くにも間欠泉が吹き上げていました。(撮影 2008.12.6)(約4分30秒)
・「ロトルア湖畔寸見」 ・ロトルアのシンボル・ロトルア博物館のあるガヴァメント・ガーデンをバスで一周しました。広々とした公園や、その先にあるロトルア湖畔を時間の関係で、自分の足で散策できなかったのが、残念でした。最後に寄った土産店で、キウイフルーツの語源になった、キウイ鳥の模型を見て、キウイフルーツそっくりだったので、驚きました。(撮影 2008.12.6)(約2分30秒)
・「マオリ族の民族舞踊」 ・マオリ族の伝統料理「ハンギ」を食べながら、マオリ族の民族舞踊を観賞しました。マオリ族の音楽は軽快で、どこかハワイの音楽に通じるところがあるような気がしました。(撮影 2008.12.6)(約4分30秒)
・「ロトルアの朝」 ・ロトルアのホテルノの前はロトルア湖でした。湖の日の出は素晴らしく、湖畔のいたるところから湯煙りがあがり、うるさいほど多くのかもめがとんでいました。(撮影 2008.12.7)(約3分10秒)
・「ワイトモの土ボタル」 ・ワイトモの鍾乳洞に生息する土蛍をボートに乗って見学しました。真っ暗な鍾乳洞の天井に微妙に光る光景は神秘的でした。土蛍の幼虫は、蜘蛛の糸のような糸を垂らし、自分が出す光で昆虫を呼び寄せて捕捉する生態も見られました。洞内は撮影禁止なので、映像は絵葉書で作成しました。(撮影 2008.12.7)(約2分)
・「カレーライスのあるレストラン」 ・土蛍を見たワイトモから最後の訪問地オークランドへ200km移動する途中での昼食のスナップです。(撮影 2008.12.7)(約2分)
・「オークランド寸描」 ・オークランドの第一印象は「明るい」でした。オークランド港の「近くで見る海」は、ヨットや快速艇が走り回り、標高190mのイーデン山頂の360度展望台からの「遠くから眺める街」は大きなビルや港湾施設は並んでいて、街の活気が感じられました(撮影 2008.12.7)(約5分)
・「オークランドの晩餐」 ・NZの旅最後の夜は、日本人シェフのいる鉄板焼に行きました。シェフの芸術的な調理を目の前で見ながらの食事は、なかなか楽しいものでした。(撮影 2008.12.7)(3分30秒)
・「オークランドの夜」 ・NZの旅最後の夜を、妻と二人で年末の街を散策しました。NZの街には意外に「日本語」が多いことに驚きました。高さ328mのスカイタワーからの夜景と、ホワイト・クリスマスのライブをお楽しみ下さい。(撮影 2008.12.7)(5分40秒)
 
 
パナマ運河クルーズ   制作者:多摩のけん
・「シアトル寸描」 ・19日間乗っていた船を降りる時は、さすがに感無量でした。9時頃下船して、午後1時50分のフライトですから、シアトル観光は文字通りの駆け足観光でした。
・「さようならショー」 ・クルーズ最後の夜のさようならショーは、最高に盛り上がりました。
・「ショー・タイム 5」 ・驚くほどのピアノ・テクニックです。
・「サンディエゴ寸描」 ・マリリン・モンローゆかりのコロナド・ホテルを見たり、空母ミッドウェイを至近距離から見たり、結構楽しい半日でした。
・「サンディエゴの朝」 ・サンディエゴは、カリフォルニア州の南端の街で、海兵隊の基地になっています。港には、退役した空母ミッドウエイをはじめ、数隻の軍艦が停泊していました。
・「クルーズの余暇 4」 ・1日中クルーズの日は、いろいろなイベントが企画されています。教室ものが人気が高く、料理教室、お絵描き教室、ダンス教室などです。この日は講演会もありました。
・「カポ・サンルーカス寸描」 ・船を沖に停めて、テンダー・ボ−トで上陸しましたが、ボートのすぐそばに、イルカが泳いでいました。小型観光船でクルーズしましたが、サンルーカス岬の光景は「素晴らしい」の一語でした。
・「社交ダンス教室 - チャチャチャ -」 ・中米はチャチャチャの曲が多いせいか、今回は2度目のチャチャチャ教室でした。
・「ショー・タイム 4」 ・今夜は女性ヴォーカルです。
・「アカプルコ寸描」 ・典型的なリゾート都市でした。街の中心部は高層ビルが建ち並び、郊外はコンドミニアムが並んでいました。海に面した断崖からとびおりる若者と、原始信仰を思わせる民族舞踏が印象的でした。
・「マジック・ショー」 ・マジックそのものとトークで楽しませてくれるのは、洋の東西を問いません。
・「ダンスを楽しむ」 ・ケーキとお茶を楽しみながらのダンス、初心者向けのダンス教室、夜のダンス・パーティ。船の生活は、ダンス愛好者向きです。
・「厨房見学と料理実演」 ・厨房の裏方を見学しました。乗客約2,000人と乗務員約1,000人の食事を賄う現場は想像以上に合理的に設計されていました。料理実演では、正式のコックではなく,レストラン担当者に料理を作らせるなど、欧米人ならではの趣向でした。
・「ショー・タイム 3」 ・今夜のショータイムはミュージカルです。
・「クルーズの余暇 3」 ・早朝にジョギングをし、日の出を見た後、朝食の後はプール・サイドで海を見ながらのんびりし、料理教室でパンの作り方実演、社交ダンス教室、娯楽室で麻雀を見学したり、夕食後はショーを見た後ダンスをしました。
・「プンタレナス寸描」 ・コスタリカの首都、プンタレナスを観光しました。ヨーロッパのオペラ座を模倣して造った国立劇場と喋々を飼育している国立博物館が印象に残りました。
・「ショー・タイム 2」 ・マリンバの見事な演奏です。
・「クルーズの余暇 2」 ・1日中クルーズだったので、いろいろなところに顔を出し、自由な時間を楽しみました。
・「ロイヤル・ウェディング」 ・船内で放映されたビデオを再編集しました。
・「ショー・タイム」 ・大ホールでのショーの1コマです。
・「太平洋に出る。」 ・ミラフローレス閘門で2段下ってアメリカ橋の下を通過し、太平洋に出た時は、みんなが歓声をあげました。
・「ペドロ・ミゲル閘門を行く」 ・ガツン湖をクルーズしている間は見えなかった青い船とこの閘門で再会しました。また、ガツン閘門通過の時は進行方向ばかりしか見ていませんでしたが、今回は、後ろや側面を見る余裕ができて、狭い運河を通過する様子や、船を両側の前後で機関車が牽引している様子も見ることができました。
・「ガツン湖を行く」 ・スリルに満ちたガツン閘門を通過した後は、次のペドロ・ミゲル閘門までのんびりとクルーズしました。
・「ガツン閘門を行く」 ・今回のクルーズの目玉です。実際に通ってみて、改めて運河の複雑なシステムがわかりました。
・「ダンス教室・フォックストロット」 ・結構難しいステップでした。自分も練習に参加しているので、撮影の時間が取れず映像に不満があります。
・「カルタヘナ寸描」 ・今回のクルーズで、初めての寄港地です。カルタヘナの旧市街、新市街を観光してまわりました。
・「カルタヘナ入港」 ・リゾート都市カルタヘナ(コロンビア)の港の風景です。
・「クルーズの朝」 ・朝の清々しい光景です。
・「ダンス教室チャチャチャ」 ・クルーズ中は自由な時間が多いので、いろいろな催しが組まれています。ダンス教室もその1つですが、今回はチャチャチャでした。日本と違ったステップもありました。
・「フォーマルナイト・ダンスパーティ」 ・ドレスコード・フォーマルの夜は、男女とも第一装を着用します。その夜のダンスパーティは華やかでした。
・「船長ウェルカムパーティ」 ・船長の挨拶と、船長による船の幹部従業員の紹介の後、ショーを楽しみました。飲み物も、シャンパン、ワインなど自由にふるまわれました。
・「クルーズの余暇」 ・ジャグジーに行ったり、ダンス教室に行ったり、クルーズの余暇を充分に楽しみました。
・「ラインダンス教室」 ・日本でも流行っているラインダンスですが、リズムに合わせて身体を動かすのは、結構運動になりました。
・「寿司つくりの実演」 ・実際に寿司を作るところを見せるのですが、観客は会場に入れないほどでした。作る人は日本人ではありませんでしたが、卵を「エッグ」とは言わず、「タマゴ」と言うように、説明の仕方が日本人として、楽しかったですよ。
・「クルーズの夜」 ・洋食のフルコースの食事の後、ショーを楽しみました。
・「出航」 ・いつものことながら、汽笛もドラもない、あっけない出航でした。あの巨大な船体は、タグボートで押すわけにも行かず、パイロットに先導されるとはいうものの2基あるスクリューを巧みに操作しながら、自力で離岸するのです。舵はありません。舵では間に合わないそうです。
・「乗船」 ・いよいよ乗船です。インフィニティにはアラスカ氷河クルーズについで2度目の乗船でしたが、やはり感動しました。港には世界最大の豪華客船アリュール・オブ・ザ・シーズ(225,000トン)が停泊していました。
・「マイアミ点描」 ・マイアミ空港ホテルから、マイアミの高級住宅地区、マイアミビーチなどを観光しながら、マイアミ港に行きました。
・「出発」 ・今回の旅行は、成田からアトランタ経由マイアミに飛び、マイアミからインフィニティ(91,000トン)に乗り、カリブ海をクルーズして、コロンビアのカルタヘナに寄港した後、パナマ運河を通って太平洋側にきて、コスタリカのプンタレナス、メキシコのアカプルコ、カポ・サンルーカス、アメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴ、シアトルを観光しました。
 
 
「モバイルシニアネットシンポジウム」より:2011.3.3 東大安田講堂
   制作者:マーチャン
・「パネル討論 シニアはICTの何に困っているの?」
  コメンテーター 特定非営利活動法人高齢社会をよくする女性の会理事長 樋口恵子氏
  コメンテーター 総務省情報通信国際戦略局情報通信政策課長 谷脇康彦氏
  パネル討論コーディネーター 日本福祉介護情報学会代表理事 高橋 紘士氏
  パネリストメロウ倶楽部幹事 若宮正子 ほか
・「講演&交流 インターネットが変革する医療、福祉、介護の世界
     Aging in Place(住み慣れた環境で老いること)を目指して」

  講 師 東京大学高齢社会総合研究機構教授 辻 哲夫氏
  オンライン出演 老テク研究会大島眞理子氏
  協 力 「TwiCas & らくらくホン」社会福祉士 平野 貴大氏
・「電脳ひな祭・山形」
・「電脳ひな祭・北京」
・「電脳ひな祭・服部・うれしいひなまつり」
  北京との交流への友情出演 服部真湖さん舞踊
・「電脳ひな祭・服部・さくらさくら」
 
 
南イタリアの旅   制作者:多摩のけん
・「ディナー・ショー」 ・今回の旅の最後の夜をディナー・ショーで楽しみました。
・「ローマの地下鉄」 ・地下鉄の1日乗車券を購入していたので、大した用もないのに、地下鉄で方々にいきました。
・「世界遺産 カラカラ浴場」 ・カラカラ帝が建造した大浴場、カラカラ浴場は、大きな建造物が残っていましたが、浴場を様子を示すのもはほとんど残っておらず、わずかに装飾や床に使われていたモザイクだけが残っていました。
・「コロッセオ」 ・捕らえられた敵の貴族や騎士が生きるために大観衆の前で、牛と闘った歴史をもつコロッセオ、感慨深いものがありました。なお、コロッセオはコロシアムの語源です。
・「ローマ寸描」 ・スペイン広場、トレビの泉、ベネツィア広場、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世統一記念堂、フォロ・ロマーノなどお決まりの観光名所を見てまわりました。
・「聖ペトロ教会」 ・バチカン市国の聖ペトロ教会に行きました。まず、キューポラの最上階にのぼり、高いところからバチカンを眺めました。礼拝堂では、丁度朝のミサが始まりましたか、それを高いところから眺め、キリストのお叱りを受けるのではないかと思いました。
・「ローマ へ」 ・添乗員からローマの見どころを聞きながら、南イタリア地域から、中央イタリアのローマに移動しました。
・「カメオ工場」 ・イタリアの特産物カメオ工場見学の1コマです。
・「ポンペイ遺跡」 ・ほとんど形が残っていない裁判所跡や神殿跡とは対比的に、魚の絵が残っている魚屋、かまどが残っているパン屋、蛇口が残っている水飲み場、圧巻は入信儀式の絵がほぼ完全に残っている秘儀荘でした。
・「ポンペイ へ」 ・現地ガイドからポンペイの歴史や噴火の話を聞きながら、ポンペイに移動しました。
・「イタリア国立考古学博物館」 ・ナポリのイタリア国立考古学博物館を見学しました。2000年前の精巧なモザイクや、金の指輪金貨などが残されていました。
・「カプリ島散策」 ・リフトで600弱のソラーロ山にのぼり、山からの海の光景を楽しみました。山から下りてカプリ島の街で本場のピザを食べ、特産の甘くて強いレモン酒を買いました。
・「青の洞門」 ・ナポリ港から、大型船でカプリ島に渡り、小型ボートに乗り換えて洞門に行き、さらに6人しか乗れないボートで洞門に入りました。洞門の中は青白く輝く神秘の世界でした。
・「ナポリ寸描」 ・ベッリーニ広場で名物のカフェナッツでお茶した後、王宮やオペラ劇場を見ながら、海岸に沿った散歩道を進むと、ヴェスビオス火山、サンタ・ルチア、カプリ島などが見えてきて「これがナポリなんだ!」と感動しました。
・「ナポリ へ」 ・マテーラで昼食を済ませた後、山岳地帯のマテーラから、ティレニア海に面したナポリに移動しました。
・「マテーラ寸描」 ・マテーラは石灰岩の山の洞窟を住居にしている町でした。その洞窟に10世紀頃造られた教会や13世紀頃の宗教壁画が残っていました。
・「アルベロベッロ寸描」 ・アルベロベッロはおとぎの国のような町でした。真っ白な円筒に黒い三角帽子をかぶったような「トウルリ」と呼ばれる家の集合体でした。特産は甘くて強いレモン酒です。
・「メッシーナ海峡を渡る」 ・シチリア島に別れを告げて、メッシーナ港から大型フェリーでイタリア本土に渡りました。メッシーナ港のシンボル、サンタマリア塔は、灯台の役割をしているとのことでした。
・「タオルミーナの夕べ」 ・聖ドミニコ宮殿と花咲き乱れる庭園を見た後、海岸とエトナ山を眺望できる宮殿のテラスで食事をしました。
・「タオルミーナ散策」 ・午後のひとときを自由に散策しました。中門から城壁外に出てみたら、城壁内と雰囲気が違っていました。果物の姿をした砂糖菓子は見事のひとことでした。
・「タオルミーナ・青の洞門」 ・山の上の旧市街から、可愛いゴンゴラで一気に海岸に降り、ボート2艘で海遊びをしました。タオルミーナにも青の洞門があり、洞内から妖しい青い輝きが見られました。船頭さんが振舞ってくれた強くて甘いリキュールは、最高!でした。
・「タオルミーナ寸描」 ・タオルミーナの旧市街は山の上の城砦の中にあり、外部とはメッシーナ門、中門などで結ばれていました。内部には15−6世紀の宮殿、野外音楽堂、ギリシャ劇場、多くの教会があり、西南方向にはエトナ山が美しい姿をみせていました。
・「タオルミーナの朝」 ・朝食前に海岸を散策しました。海の水は澄んでいて、砂浜ではなく玉砂利でした。漁に出かけるおじさんに会いました。
・「タオルミーナ へ」 ・タオルミーナは、シチリア随一のリゾート地です。海岸線が美しく、どこからでもエトナ山が見えました。
・「シラクーサ寸描」 ・古代石切り場の大洞窟は反響がよく、「ディオニュシオスの耳」と呼ばれています。昔、中に牢獄があり、脱獄しようとしても、反響して脱獄できなかったそうです。大聖堂、ギリシャ劇場、円形闘技場なども素晴らしく、旧市街のバロック建築の落ち着いた街並みも素敵でした。
・「シラクーサ へ」 ・シチリア南部のピアッツァ・アルメリーナから、東海岸のシラクーサまで、135kmの移動です。途中、砂漠を思わせる荒涼とした風景が延々と続きましたが、エオニア海や富士山に似たエトナ山の美しさに、心を癒させれました。
・「カザレの別荘」 ・別荘の規模の大きさに驚きました。温水浴場、冷水浴場などの浴場施設、室内体育場、60メートルもある廊下などなど。そのすべてに、繊細なモザイクの絵がほどこされていました。
・「アグリジェント遺跡」 ・アグリジェントは、シチリアの南端にあります。アグリジェントの丘に数多くの神殿遺跡がありましたが、コンコルディア神殿は、ギリシャのパルテノン神殿を思い出させました。
・「パレルモ寸描」 ・シチリアは「州」で州都がパレルモです。旧市街は荘厳なバロック建築が並び、ノルマン宮殿、大聖堂(カテドラーレ)も荘厳な雰囲気でした。
・「出発」 ・今回の南イタリアの旅は、シチリアの玄関パレルモに入り、アグリジェント、アッツァ・アルメリーナ、シラクーサ、タオルミーナ、メッシーナ、アルベロベッロ、マテーラ、ナポリ、カプリ島、ポンペイ、ローマを観光してきました。
 
 
北イタリア・オーストリアの旅   制作者:多摩のけん
・「モーツアルト・コンサート」 ・ニューイヤー・コンサートでお馴染みの楽友協会でのモーツアルト特集です。モーツアルト当時の衣装で演奏されました。ビデオ撮影OKなので驚きました。
・「シェーン・ブルン宮殿」 ・シェーン(美しい)ブルン(泉)が名前の由来。ハプスブルグ家の夏の離宮です。庭園は広くて美しく、宮殿は豪華で女帝マリア・テレジアの権勢がいたるところに見られました。
・「ウィーン寸描」 ・シュトラッセ・パーク、シュテファン寺院、ケルントナー通り、王宮...文字通りのウイーン寸描です。
・「ドナウ川クルーズ」 ・ドナウ川最上流のメルクから、ドナウ川両岸の古城を見ながらのランチ・クルージングです。
・「ザルツカンマーグート・ハルシュタット寸描」 ・ザルツカンマーグートの美しい湖、古い家並、古い教会、ハルシュタットの湖...どちらも小さな落ち着いた町でした。
・「ザルツカンマーグートのミニSL」 ・ザルツカンマーグートのミニSL乗車記です。ミニSLでシャフベルク山にのぼりました。この山もサウンド・オブ・ミュージックの舞台になりました。
・「ディナー・ショー」 ・サウンド オブ ミュージック のショーを見ながらの楽しいひとときでした。
・「ヘンブルン宮殿」 ・ヘルブルン宮殿は夏の離宮です。いたるところに噴水があり、来訪者に突然シャワーをかけるなど、イタズラもありました。ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になったことでも有名です。
・「ザルツブルク寸描」 ・ザルツブルクはモーツアルトやベートーヴェンの生家があることで有名です。街そのものは古く、8世紀に建てられた修道院もありました。ザルツブルク城は広く、場内に大司教専用の音楽堂があるのにはおどろきました。
・「カイザーフランツヨゼフ高地」 ・標高2000メートルのカイザーフランツヨゼフ高地(フランツヨゼフ皇帝高地)にあるバステルフェ氷河を実際に歩きました。はるか彼方にグロース・グロックナー連峰の銀嶺が輝いていました。
・「グロース・グロックナーを行く」 ・標高2500メートルのグロース・グロックナーを3000メートル級の雄大な銀嶺を見ながらのバス・ドライブです。
・「チロリアン・ショー」 ・チロル地方の民族楽器、ヨーデル、民族舞踊などの楽しいショーです。
・「インスブルック寸描」 ・イタリアから国境を越え、オーストリア・チロル州の州都インスブルックの1コマです。14世紀に造られた「市の塔」、モーツアルトが泊まったホテルなど、古い由緒ある建物が数多く残っていました。
・「ボルツァーノ寸描」 ・南チロル州の州都ボルツァーノは1700年代のバロック様式の建物、1700年代の司教の館など、古い建物が数多く残っている、落ち着いた街でした。
・「ドロミテ街道」 ・コルチナからボルツァーノにいたるドロミテ渓谷をぬって走っている街道がドロミテ街道です。目まぐるしく変わる車窓からの眺めは素晴らしいの一語でした。
・「南部山岳地帯ラガツォイ」 ・ コルチナの南部山岳地帯ラガツォイのラガツォイ展望台(標高2752メートル)にロープウェイでのぼり、3300メートル急のラガツォイ連山の眺望を堪能しました。
・「ミズリーナ湖畔散策」 ・トレッキングキングの後、ミズリーナ湖畔をのんびりと散策しました。湖畔に咲き乱れる高山の花、澄んだ湖水を泳ぐ水鳥...まさにチロルそのものでした。
・「ミズリーナ・トレッキング」 ・コルチナの北部、ミズリーナ高地トレッキングの1コマです。愛らしい高山植物、3000メートル級のミズリーナ連山を見ながらのトレッキングは最高でした。
・「コルチナ・ダンペッツォの朝」 ・ 朝日に輝く銀嶺、スイスを思わせる可愛い小さな家...清々しい朝でした。
・「コルチナ・ダンペッツォ へ」 ・南イタリアのベネチアから北イタリアのコルティナダンペッツォ への 素晴らしい車窓風景を楽しみました。
・「ベネチア寸描」 ・北イタリアといいながら、イタリアの旅は南イタリアのベネチアから始まりました。ベネチアの外海をクルーズした後、ゴンドラに乗りかえて狭い運河を見てまわりました。
・「出発」 ・2003.6,10〜20の旅行ビデオを再編集しました。全22編です。
 
 
オーストラリアの旅   制作者:多摩のけん
・「キュランダ観光」 ・キュランダ高速列車で、ケアンズ近郊のキュランダに行きました。世界一長いロープウェイで、世界遺産のキュランダ熱帯雨林を空から観光しました。また、動物園では、コアラを抱いたり、カンガルーに餌をやったり、オーストラリア特有の動物に直接触れました。
・「ケアンズの朝」 ・朝食は、ホテルではなく、近くの海岸に面したカフェテラスでとりました。食後、海岸に続いた公園を散策しました。日本では見られない水上飛行機が飛んでいました。
・「ケアンズ 夜の散歩」 ・ケアンズの街をぶらつきました。オーストラリア式お好み焼きを初めて見ました。
・「ケアンズ 海のバカンス」 ・快速艇でグリーン島に行き、ガラス底の船で、海の中を覗きました。その後島に上陸したら凄いスコールに見舞われました。
・「ケアンズ へ」 ・エアーズロックから、最後の訪問地ケアンズに移動しました。ケアンズで夕食後、夜の街を散策しました。カンガルーや鰐のジャーキーを初めて見ました。
・「エアーズロックに登る」 ・念願のエアーズロックに登りました。登りはじめの鎖場は、急勾配で、ビデオを撮る余裕はありませんでした。鎖場が終り、下から見ると平坦に見える部分から、やっとビデオ撮影することができました。
・「エアーズロック散策」 ・暗いうちにホテルを出て、日の出にしたがって刻々と変化するエアーズロックを観賞しました。その後、エアーズロックに登る予定でしたが、風が強くて登山口が閉鎖されていたので、エアーズロック周辺を散策しました。
・「エアーズロックのサンセット」 ・太陽が沈むにつれて、刻々と変化するエアースロックを観ながら、バーベキューをしました。日が沈んだ後、南十字星をはじめ、美しい星空でしたが、残念ながら、ビデオでは撮れませんでした。
・「オルガ岩群」 ・オルガ岩群は、エアーズロックの近くにある、巨大な岩からなる連山です。連山と連山の間に峡谷があり、私達は、その峡谷をトレッキングしました。
・「エアーズロック へ」 ・今回の旅の大きな目的のエアーズロックに移動しました。
・「シドニー寸描」 ・午前中、ミセス・マクウォーリス・ポイント、オペラハウス、ハーバー・ブリッジなどを観た後、午後の自由行動で、モノレールに乗っり、クィーン・ビクトリア・ビルえをぶらついたり、シドニータワーの回転レストランで食事したり、とにかくあわただしい1日でした。
・「出発」 ・今回のオーストラリアの旅は、シドニーを観光した後、中央砂漠地帯のエアーズロック、オルガ岩群を観て、海洋リゾート地ケアンズにいきました。
 
 
トルコの旅   制作者:多摩のけん
・「イスタンブール:グランド・バザールと金角湾クルージング 」 ・金角湾をクルーズしながら、イスタンブールの街をのんびり観光しました。
・「イスタンブール:ディナー・ショー」 ・トルコの旅最後の夜をトルコ民族舞踊を見ながらの晩餐を楽しみました。
・「イスタンブール:軍事博物館」 ・軍事博物館で音楽隊の演奏を鑑賞した後、博物館で重機関銃、軍帽・軍服などの展示物を見てまわりました。
・「イスタンブール:トプカプ宮殿」 ・トプカプ宮殿のレバン・キオスク、バグダッド・キオスク、宝物殿を見たり、庭園を散策しました。昼食は宮殿内のレストランで、トルコ料理サルマを食べました。
・「イスタンブール:トプカプ宮殿 ハレム」 ・トプカプ宮殿は16〜17世紀に造られました。宮殿には5000人住んでおり、兵士2000人、ハレムの女性(ジャーリエ)400人でした。その中から40人が選ばれ特別の個室が与えられていました。
・「イスタンブール:地下宮殿とアヤソフィヤ」 ・地下宮殿は泉の上に366本の柱で支えられていました、柱の土台は異教徒の頭の像を逆さまにしていました。アヤソフィヤには、5世紀につくられた聖母マリア、キリスト、聖アヤソフィヤなど古い金のモザイクが数多く残されていました。
・「イスタンブール:ブルーモスク」 ・ブルーモスクにはヒポトロームとよばれる元競馬場の真っ直ぐの散歩道を散策しながらいきました。途中、ドイツの泉、オベリスク、コンスタンチンの柱、蛇の柱など、見るものが結構数多くありました。ブルーモスクは1609年から1616年にかけて造られた大きなモスクです。内部の壁はタイルが張られていましたが、タイルの製作に20年かかったそうです。また、床は継ぎ目の無いトルコ絨毯が敷き詰められていました。
・「イスタンブールの夜」 ・イスタンブールの夜は、トルコ音楽を聞きながら、地酒ラクを飲み、トルコ料理メズギットを楽しみました。その後、夜市に繰り出し、トルコ名物粘るアイスクリームを食べてみました。
・「ボスポラス海峡を渡る」 ・旅はいよいよ最後の訪問地イスタンブールに向かいます。トロイからブルザ、ヤロワに行き、ヤロワ港からフェリーでイスタンブール(アジア側)に上陸、右に黒海、左にマルマラ海を見ながら第二ボスポラス大橋を渡ってヨーロッパ側に着きました。
・「トロイ遺跡」 ・トロイはトロイの木馬で有名ですね。遺跡としては、音楽堂、ローマ式浴場の他、城砦、城門、祭壇、井戸、などが残っていましたが、遺跡としての凄さは、造られた時代別、例えば第I期(紀元前3000年)と第II期(紀元前2500〜2300年)の井戸が同時に見られることです。
・「ペルガモン遺跡」 ・ペルガモン遺跡は、トルコで一番有名な遺跡ですが、主なものはヒットラーがベルリンに持ち去りました。(世界遺産「ペルガモン博物館」)。現在、トルコのペルガモンにはヒラオン跡、アテナ神殿跡、トラヤヌス神殿、円形劇場、図書館跡などが残っていました。
・「アスクレピオン遺跡」 ・アスクレピオン神殿は医学の神様アスクレピオスに捧げた神殿です。紀元前325年に建設が始められました。下水道、浴場跡、図書館跡、暗示医療センター、地下道、音楽堂などが残っていました。
・「クシャダスの余暇」 ・クシャダスの自由時間に、ファッションショーつきの革製品の店にいきました。その後、現地添乗員の私邸に行きましたが、その立派さに驚きました。
・「エフィソス考古学博物館」 ・エフィソス考古学博物館はクシャダスの近郊にありました。古代の像、土器、青銅器、ガラス器などが豊富に展示されていました。
・「アルテミス神殿とシレンジェ村」 ・アルテミス神殿は、紀元前11世紀に造られましたが、殆ど何ものこっておらず、世界の七不思議の一つに数えられています。食事をしたシレンジェ村のレストランで、映画のロケをやっていました。食事は郷土料理のジュべチ、カルブラバスティでした。
・「エフィソス遺跡」 ・エフィソス遺跡の近くに聖母マリアが住んだと言われるエフェゾの遺跡がありました。エフィソス遺跡はトルコ最大の遺跡で、クレオパトラが住んだという伝説もあります。
・「プリエネ遺跡」 ・プリエネは紀元前350年頃、都市計画により造られた街です。都市計画書が今でも残っていました。体育館跡、紀元前4世紀に造られた円形劇場、教会、アテナ神殿、下水道などが遺跡として確認されました。
・「ミレトス海岸とミレトス遺跡」 ・昼食で寄ったミレトスの海岸は砂浜で水は澄んでいる美しい海岸でした。遺跡は大円形劇場、大浴場、体育館記念門、アゴラ(市場)跡、など、当時のミレトスの繁栄を偲ばせました。
・「ディディマ遺跡」 ・紀元前6世紀に造られた遺跡はアポロンに捧げた神殿ですが、アレキサンダー時代に破壊されました。太くて高い柱と、緻密な彫刻を施された柱の土台が残っていました。
・「民家訪問」 ・クシャダスで一般の民家を見せてもらいました。鶏がひよこと一緒に草をついばむ横で、赤ちゃんが地べたをハイハイして私達の方に近寄ってきた姿は今でも忘れられません。
・「ボドルム散策」 ・ボドルムは地中海とエーゲ海に面したトルコのリゾート地です。ボドルム城を見た後、魚市場やバザールをぶらついて、一般の市中バスでホテルに帰りました。
・「ボドルムのマウソレイオン」 ・紀元前4世紀、カリヤ王国マウソレイオンの霊廟です。この建築技術の精巧さは世界7不思議の一つに数えられています。
・「バムッカレの夕餉」 ・この地方は果物が豊富で、食卓にはふんだんに果物が並び、その近くで料理人がスイカで花の彫刻をしていました。
・「バムッカレの石灰棚」 ・地中の石灰質が析出して一面真っ白な石灰棚を形成していました。石灰棚の上には温水が流れており、その中を裸足で歩きました。
・「ネクロポリスとヒエラポリス」 ・ネクロポリスは、街全体がお墓で異様な感じでした。ヒエラポリスはペルガモン王の命により、紀元前190年に建設がはじまった人工の街です。ドミシヤンの門、ビザンチンの門などが残っており、アクロポリスには公衆トイレも残っていました。
・「アフロディシアス遺跡」 ・アフロディシアス神殿は1世紀頃造られた皇帝に捧げられた神殿です。「テトラビリオン」が美しい姿で残っていました。哲学の神殿、30000人収容の競技場も残っていました。アフロディシアス博物館にも入場しました。
・「アフロディシアス へ」・アンタルヤを後にして、アフロディシアスでの生まれて初めて飲んだざくろのフレッシュジュースが好評でした。昼食のレストランで、飼い主の楽器に合わせて踊るインコも愛嬌がありました。
・「カレイチのゆうべ」・カレイチ海岸の見晴らし台で、旅のひとときを寛ぎました。夕餉は見晴らし台のあるレストランの中庭で入日を見ながら摂りましたが、気がつけば日はとっぷり暮れて、遠くで花火が上がっていました。
・「ベルゲ遺跡」・ペルゲの遺跡は、1世紀頃に作られた競技場、スケールの大きい城砦、アゴラ(市場)跡、大浴場、など多岐にわたっていました。大浴場は温風を送る床下の複雑な構造も残っていました。
・「アスペンドス古代劇場」・アスペンドス古代劇場は収容人員は24000人の大劇場で穂損状態がよく、大理石でできた皇帝用のロイヤルボックスも残っていました。当時の石でできた入場券が残っておりASPENDOSの文字が彫られていました。アスペンドスの古代ローマ時代の水道橋もスケールが大きく素敵でした。
・「カレイチ・クルージング」・アンタルヤの西隣りの港町カレイチから、アンタルヤの湾をクルージングしました。海上からはアンタルヤ城の城壁が見られました。ジュデインの瀧は豪快でした。
・「アンタルヤ考古学博物館」・化石時代の出土品や、紀元前5000年頃の精巧な装飾の施された土器、大量の金貨など貴重なものが豊富に展示されていました。
・「アンタルヤ へ」・内陸のコンヤから峠を越えて地中海のアンタルヤに移動しました。アンタルヤの晩餐はショーを見ながらの屋外バーベキューでした。
・「メブラーナ霊廟」・踊る宗教の教祖メブラーナの霊廟はコンヤにあります。通常のモスクと異なり、建物、棺はキンキラキンでした。踊るための音楽の楽器や楽譜も展示されていました。
・「カラタイ神学校」・コンヤにあるカラタイ神学校は、星を観測するための大きなドームの下に教室がありました。当時の学問は天体観測が重要な科目だったのかも知れません。
・「キャラバン・サライ」・スルタンハーヌのキャラバン・サライはシルクロードの商人の宿です。盗賊の襲撃を避けるため、1個の頑丈な門と高い塀に囲まれていました。人の泊まるスペースより、駱駝のスペースの方がはるかに大きいのも、当時の交通事情を物語っていました。
・「ローズ・バレー」・カッパドキアの奇岩群の合間にある細い道を、谷の下まで降りていきました。谷から眺める奇岩はばら色に輝き、名前の由来がわかりました。丘の上からの入日も見事でした。
・「洞窟内の陶器工場」・迷路のような洞窟内に大きな陶器工場がありました。カッパドキアでは、地上に家を建てるより、自然にできた洞窟を利用する方が経済的と思われました。
・「洞窟民家訪問」・実際に洞窟に住んでいる民家を訪問しました。洞窟の家と言っても、部屋数は多く設備も立派で、通常のコンクリートの家と変わりがありませんでした。
・「ギョレメ野外博物館」・カッパドキア独特の岩を利用した洞窟、トンネルがくまなく開放されていましたが、洞窟の中には教会、修道院があり、壁画の色も鮮明に残っていました。痩せた土地を肥沃にするため、鳩を飼育し、その糞を利用するなど生活の知恵も見られました。
・「カッパドキアの地下都市 カイマルク」 ・地下9層にもおよぶ地下都市カイマクルは、迫害を逃れるために多くのキリシタンが隠れていたと言われます。
・「カッパドキア へ」 ・奇岩が並ぶ車窓風景を眺めながらカッパドキアに移動しました。着後は、本場のトルコ石の宝石店にいきました。
・「ハトウシャス遺跡」 ・初期ヒッタイトの二重の城壁により囲まれた大規模な遺跡で、「王の門」「ライオンの門」「スフィンクスの門」を見るため、バスで移動しました。
・「ボアズカレ遺跡」 ・荒涼とした大平原の中に岩石で作られた大神殿跡がありました。岩石で四角く仕切られた箇所が数多く並んでおり、その一つ一つに当時使用された部屋の役割が判明していることに驚きました。
・「ヤズルカヤ遺跡」 ・巨大な岩石に囲まれた中に神殿がありました。岩石の高い位置に掘られた「トンガリ帽子の12神」が印象的でした。
・「アンカラのゆうべ」 ・ホテル近くのスーパーを覗いてみました。買い物カートが有料なのには驚きました。果物は豊富でした。夕食で、水で割ると白濁する地酒のラクを飲みました。
・「ゴルディオン博物館とミダス王の墓」 ・アンカラにあるゴルディオン博物館にはミダス王の墓から出土した紀元前3000年の遺品が展示されていました。膨大な金貨をはじめ、精巧な模様をちりばめた土器など、王の権勢が偲ばれました。墓は長いトンネルの先にあり、5重構造の棺になっていました。
・「アナトリア文明博物館」 ・アンカラにあるアナトリア文明博物館は、アナトリア(小アジア半島)から出土した遺跡が展示されていましたが、古代エジプトの影響を強く受けていました。金の装飾品やガラス製品も多く、文明の高さが偲ばれました。
・「アタチュルク廟」 ・近代トルコ建国の父アタチュルクの廟は、アンカラの街を見下ろせる小高い丘の上にありました。
・「出発」 ・アンカラ、カッパドキア、コンヤ、アンタルヤ、アスペンドス、ポドルム、ミレトス、ペルガモン、トロイ、イスタンブールなどを見てまわりました。 (約1?分?秒)
 
 
26レバノンの旅  制作者:八千代のいま
・「レバノンの旅 14」 ・(7分2秒)
・「レバノンの旅 13」 ・(3分45秒)
・「レバノンの旅 12」 ・(8分16秒)
・「レバノンの旅 11」 ・(8分11秒)
・「レバノンの旅 10」 ・(9分25秒)
・「レバノンの旅  9」 ・(9分45秒)
・「レバノンの旅  8」 ・(7分53秒)
・「レバノンの旅  7」 ・(4分40秒)
・「レバノンの旅  6」 ・(4分27秒)
・「レバノンの旅  5」 ・(6分31秒)
・「レバノンの旅  4」 ・(7分26秒)
・「レバノンの旅  3」 ・(8分59秒)
・「レバノンの旅  2」 ・(7分23秒)
・「レバノンの旅  1」 ・(4分17秒)
 
 
15イラクの旅  制作者:八千代のいま
・「イラクの旅 20」 ・(6分45秒)
・「イラクの旅 19」 ・(8分03秒)
・「イラクの旅 18」 ・(7分423秒)
・「イラクの旅 17」 ・(8分24秒)
・「イラクの旅 16」 ・(5分53秒)
・「イラクの旅 15」 ・(7分16秒)
・「イラクの旅 14」 ・(8分43秒)
・「イラクの旅 13」 ・(7分24秒)
・「イラクの旅 12」 ・(6分40秒)
・「イラクの旅 11」 ・(8分58秒)
・「イラクの旅 10」 ・(9分41秒)
・「イラクの旅  9」 ・(8分07秒)
・「イラクの旅  8」 ・(5分13秒)
・「イラクの旅  7」 ・(9分14秒)
・「イラクの旅  6」 ・(9分14秒)
・「イラクの旅  5」 ・(6分38秒)
・「イラクの旅  4」 ・(9分43秒)
・「イラクの旅  3」 ・(5分31秒)
・「イラクの旅  2」 ・(5分20秒)
・「イラクの旅  1」 ・(6分58秒)
 
 
15マルタの旅  制作者:八千代のいま
・「マルタの旅 6」 ・(6分44秒)
・「マルタの旅 5」 ・(8分36秒)
・「マルタの旅 4」 ・(5分38秒)
・「マルタの旅 3」 ・(8分45秒)
・「マルタの旅 2」 ・(6分40秒)
・「マルタの旅 1」 ・(6分38秒)
 
 
南インドの旅  制作者:八千代のいま
・「南インドの旅 17」 ・(4分11秒)
・「南インドの旅 16」 ・(4分53秒)
・「南インドの旅 15」 ・(5分25秒)
・「南インドの旅 14」 ・(7分33)
・「南インドの旅 13」 ・(5分45秒)
・「南インドの旅 12」 ・(4分02秒)
・「南インドの旅 11」 ・(4分58秒)
・「南インドの旅 10」 ・(4分39秒)
・「南インドの旅  9」 ・(3分15秒)
・「南インドの旅  8」 ・(5分42秒)
・「南インドの旅  7」 ・(4分48秒)
・「南インドの旅  6」 ・(6分23秒)
・「南インドの旅  5」 ・(6分27秒)
・「南インドの旅  4」 ・(6分22秒)
・「南インドの旅  3」 ・(5分53秒)
・「南インドの旅  2」 ・(5分32秒)
・「南インドの旅  1」 ・(4分29秒)
 
 
韓国ICTレポート  制作者:マーチャン
・「6_電子投票システム」 ・(1分55秒)
・「5_江南区役所」 ・(4分40秒)
・「4_デジタル新老人運動」 ・(5分24秒)
・「3_ポリコッゲ情報化村」 ・(4分20秒)
・「2_2_食堂編」 ・(0分57秒)
・「2_地下鉄編」 ・(1分22秒)
・「1_国立デジタル図書館」 ・(2分26秒)
 
 
リビアの旅  制作者:八千代のいま
・「リビアの旅 8」 ・(10分29秒)
・「リビアの旅 7」 ・(9分57秒)
・「リビアの旅 6」 ・(4分03秒)
・「リビアの旅 5」 ・(8分53秒)
・「リビアの旅 4」 ・(5分28秒)
・「リビアの旅 3−2」 ・(4分19秒)
・「リビアの旅 3−1」 ・(7分28秒)
・「リビアの旅 2」 ・(9分05秒)
・「リビアの旅 1」 ・(7分43秒)
 
 
イエーメンの旅  制作者:八千代のいま
・「イエーメンの旅 11」 ・(7分08秒)
・「イエーメンの旅 10」 ・(4分13秒)
・「イエーメンの旅  9」 ・(5分09秒)
・「イエーメンの旅  8」 ・(3分51秒)
・「イエーメンの旅  7」 ・(4分33秒)
・「イエーメンの旅  6」 ・(3分01秒)
・「イエーメンの旅  5」 ・(1分52秒)
・「イエーメンの旅  4」 ・(4分43秒)
・「イエーメンの旅  3」 ・(4分48秒)
・「イエーメンの旅  2」 ・(5分03秒)
・「イエーメンの旅  1」 ・(3分48秒)
 
 
21モロッコの旅  制作者:八千代のいま
・「モロッコの旅 10」 ・(6分17秒)
・「モロッコの旅  9」 ・(9分46秒)
・「モロッコの旅  8」 ・(8分45秒)
・「モロッコの旅  7」 ・(9分06秒)
・「モロッコの旅  6」 ・(6分31秒)
・「モロッコの旅  5」 ・(8分38秒)
・「モロッコの旅  4」 ・(8分59秒)
・「モロッコの旅  3」 ・(9分09秒)
・「モロッコの旅  2」 ・(9分09秒)
・「モロッコの旅  1」 ・(7分49秒)
 
 
イスラエルの旅  制作者:八千代のいま
・「イスラエルの旅 6日目後」 ・(4分54秒)
・「イスラエルの旅 6日目前」 ・(8分11秒)
・「イスラエルの旅 5日目」 ・(8分07秒)
・「イスラエルの旅 4日目」 ・(7分24秒)
・「イスラエルの旅 3日目」 ・(10分22秒)
・「イスラエルの旅 1&2日目」 ・(5分03秒)