> 中山正和:新・発想の転換法 日本経営者団体連盟弘報部 昭和56年
最近またこの本を借りてきた。 実は知らないで別の図書館から借りて 読み始めると、一度読んだ本だということに気がついた。 (1ヶ月前に読んだのでした)
> 日本人は > 右脳で漢字の象形文字としてのパターンを認識して、左脳でカナという表音文字を認識して言葉で理解する。 > 欧米人は左脳、中国人は右脳しか使っていないのに対して、日本人は左右の両方の脳を使う。 > 右脳の働きの強い人はカン(感じ)のするどい人、左脳の働きの強い人は意識(言葉)の才能がすぐれた人
> 頭をうまくつかうためには、右脳でひらめき、左脳でその説明を考えるとよい。
この本の最初のほうで般若心経のことが出てくる。 なぜ? と思ったら 左右の脳をうまく働かせるためには、頭は柔軟でないといけないわけてあり それが、頭をいつも使わないと、固定観念にとらわれた状態になっていて それが頭の働きを悪くしているようだ。
では、固定観念をどうしてつくらないようにするか その答えは般若心経に書いてあるという。 つまり、くよくよしないことである。
だが、くよくよするなといったって、それができたら悟りを開いた人である。 いろいろなことに悩むからこそ人間であるので、悩みを捨てるというのはなかなかできないことである。 この固定観念とは実は具合の悪いネットワーク回路ができてしまって それがなかなかこわれないからである。 その回路を切ろうとするなら、それは左脳の言葉を使わないで直接右脳のイメージに働きかけないといけない。 右脳は肉体の経験につながっているから、肉体によって体得することを意味する。
あるいは、くよくよしているときは、思い切ってこれを切り捨てようとするなら、そんなことを考える暇がなくなるほど苦しい作業をするとか、絶食に近い飢餓状態に陥るというようなことで、つまりこれは荒行になる。 坊さんが荒行をする目的は、こうしていっさいの固定観念を徹底して切ってしまうことにあるので、だから荒行をして悟りを開くこともできるのである。
坊さんのするような荒行はしないで、日常の仕事をする中で、なんとか固定観念を切ることはできないか。 これはじつは難しい。そもそも問題になっている固定観念のことを考えれば考えるほど、ますます固定観念は強化されるから。 そこで方針を変えて、少なくとも新しい固定観念はつくらないようにすればよい。
中国の地震予知研究では、動物の異常行動があると地震につながるという報告がある。 どうやら動物はそのもっているセンサーによって、一度地震の体験をすると 感じたセンサーの反応と地震との結びつきが体に記憶となって残り、それにより 次の地震の直前に異常行動をとるのではないかと考えられる。 同様に、ある社員の場合、社長の機嫌の悪いときは気配でわかるという。そういうときはできるだけ社長に近寄らないという。逆に社長の機嫌のよいときもわかるから、そういうときに社長のところに行くので、自然に社長とはよい関係となってくる。 この社員のような場合を、ツイているという。 自分では意識しないのだが、(一度身についた気配を感ずる能力で)無意識に右脳の働きがうまく助けているのである。 このようにツイている人の特性として、くよくよ型の人間はいないといえるから これを裏返せば、くよくよしないようにすればツキがまわってくることになる。 くよくよしない人間→ツキがある 固定観念にとらわれたくよくよ人間→ツキがない
つまり この著者のいいたいことは、右脳でできるだけ自分の役に立つデータを集めておいて それを後で、発想の転換をして上手に使いこなせというのである。 固定観念を断ち切れというからには、発想の転換をするには、まず問題を理性で解こうとせず、問題とは一見関係のない、ばかばかしいようなことも考えてみることである。 ここでは、それを発散思考と読んでいる。 ともかく、一見ばかばかしいようなことでもいいから思いつく解決法やアイデアを出してみることである。それは今までの常識の枠組みを壊してみることでもある。 出てきたいろんなアイデアから、ひとつひとつ考えて、実用化するために改良とか工夫を考えていけば、きっと最善の解決策が思いつくものである。
固定観念を排除して、柔軟に右脳をつかって考えて、発送の転換をするという著者の考え方は なかなか理解するのが難しかったが、まあこんなところでしょう。
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