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[No.14884] 瀬戸内寂聴訳源氏物語 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/11(Thu) 12:28
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すでに
源氏物語の訳本を何度か読み比べて
また解説書なども受験生向きから中学生向きまで
いろいろ目に付くものを読んでいます。

瀬戸内寂聴訳の源氏物語は全10巻
いまちょうど第5巻を読み終えました。
本のうしろに系図とか寝殿造の図とか衣装図や簡単な用語集がついていますが
何より良いのは、たとえば第5巻では
「蛍」「常夏」「篝火」「行幸」「藤袴」「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」の各帖の要旨と原文には書いていないこと、しかし、読者はそこから推察できることなどをわかりやすく解説していることです。

第4巻「玉鬘」からこの5巻の「真木柱」までは、玉鬘の身辺のことが多く語られるため
玉鬘十帖と呼ばれるのだそうです。

寂しく死んでいった夕顔の忘れ形見の玉鬘が召使に連れられて行った先の九州で美しく成長し
このまま田舎でうずもれさせるのは可哀想と、地方豪族の迫る追っ手から必死に船で逃げて都まで来たのはいいが
源氏に会わせる手だても見つからず、おつきのものたちが困っている場面で
しかも、狭い宿に押し込められ、相部屋をよぎなくされたとき(彼らの最大のピンチ)
その相部屋に一緒になった相手が、なんと源氏の命を受けて玉鬘を探しに来た召使だったとは
まるで現代の小説ロマンやテレビドラマみたいですが
ともかく、苦労した玉鬘一行は今をときめく源氏の屋敷にひきとられ、源氏と玉鬘は一緒に暮らすことになります。

本当の父親は内大臣(かつての頭中将のこと、葵上の兄弟)で、おりをみて源氏は内大臣にひきあわせるわけです。
そして、内大臣はこの突然現れた美しい娘こそ帝の妃にと思うのだが結局果たせず、源氏のほうは別の娘を帝の妃にしてしまいとても悔しがる。でも、玉鬘にふさわしい婿も現れ、その婿の正妻が怒って子供たちを連れて実家に帰ってしまう修羅場もあるのです。

そんなこんなで、内大臣は娘の雲居雁が幼馴染の夕霧(源氏と葵上の息子)との相思相愛を邪魔するが、二人の辛抱強さに負けて、とうとう一緒にさせるところまで、この5巻には書いてありました。

若い玉鬘が物語本に熱中してそれを書き写すのを見た養父の源氏は彼女に自分の物語論を話します。
「物語は作りもので根も葉もないこととわかっていても、上手な作者の手になると本当のように思って感動する。日本紀などの歴史書はほんの一部にしかすぎず、物語こそ神代からこの世に起こったあらゆることが書いてあり、善悪いずれも、この世に生きていく人の有様の、見逃しにできないことや、聞き流しできない心に残ったことなどを書いてある。善人ばかり書いたり、あまり誇張した表現はかえって興をそぐ」
この物語論こそ、作者の紫式部の物語論なのです。
作者紫式部は、ほかのところでも、虚構と見せかけた小説のほうが、事実を書いたという歴史書よりも人生の真実を書いていると(登場人物の口を借りて)述べています。


源氏物語の現代訳にはいるきっかけを与えてくださった「あやさん」に感謝します。


[No.14943] 大掴源氏物語 まろ、ん? 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/19(Fri) 10:36
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小泉吉宏のコミック本

源氏物語五十四帖
各帖を見開き二頁でコンパクトに表現するという離れ業。
おそろしいくらいのダイジェスト版
これ一冊で源氏物語を読んだとはとてもいえないのだが
駆け足でざっと内容を知るにはよいかもしれない。

ちゃんとした現代訳を読んで
内容が多いからつい忘れたことなどを
このコミック本で復習補強するというくらいの使い方がよさそうである。

以前に読んだ予備校の先生の
源氏物語のダイジェスト本もやはりそのような目的の本だと思う。
著者によって、源氏物語の理解の仕方とか、内容の取り上げ方の重点ポイントに変化があるのもおもしろい。


[No.14951] Re: 瀬戸内寂聴訳源氏物語 投稿者:   投稿日:2010/03/20(Sat) 12:46
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> 瀬戸内寂聴訳の源氏物語は全10巻

いまちょうど第8巻を読んでいます。
まあ ゆっくりと。

まじめな夕霧が
若くして苦しんで死んでいった柏木から、女二宮のことを頼まれ
何度も訪れるうちに恋に狂ってしまう。
雲居雁ひとすじだった夕霧なのに、こんなことになるなんて。

雲居雁がどっしりと主婦してしまったから、たくさんの子供に囲まれ化粧もしない魅力なし
そういう姿だから、つい夫が他の女に気を引かれたというかのような
作者の書き方。(フランスの女性ならこういうケースはよくあるとものの本には書いてありますが。だから妻の身でも毎日油断なく身だしなみを整えているとか)

いっぽう
紫の上に先ただれた源氏は見る影もなく元気を失い
数年で後を追うかのようにあの世に向かう
その描写も、やはり作者は身の回りにそのような光景を何度も見て
しっかり観察して小説に取り入れたのでしょうか。

まじめな夫夕霧が友人の未亡人女二宮を好きになって、嫉妬に駆られあきれ果てて実家に帰る雲居雁の姿や
紫の上に先ただれ身も心も別人のように弱くなり死を迎える源氏の姿
それはきっと手本というかモデルがあったのだと思います。
作者の想像だけでは書けないこと。つまり、現代人の人生に生きる姿は昔とそう変わっていない。日本人は日本人。


[No.14994] 紫式部と平安貴族 投稿者:   投稿日:2010/03/28(Sun) 17:50
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> > 瀬戸内寂聴訳の源氏物語は全10巻

あと宇治十帖も最後の帖「夢浮橋」を残すのみとなりました。

さて
本日は子ども向きの絵本
あるいて知ろう! 歴史人間物語 3
の「紫式部と平安貴族」を借りてきました。

紫式部は幼いとき母を亡くした。
宮中の火事を見たとき、幼い式部は乳母に抱きかかえられて赤い夜空を見ていた。
父親は翌日遅くに宮中から帰ってきた。

父親は立派な漢学者だった。
紫式部の弟惟規(のぶのり)に父が漢文を教えているとき
弟がさっぱりうまく読めなかったのを
式部がすらすらとよめるので、父も弟もびっくり。
ああ、これが男だったら立派な学者になれたのに。
(女だから学者にはなれなかったが、かな文学で世界的な小説を書くことができた)

父為時は淡路島の長官になった。
でも、任地が小国なのでがっかり。

その話を聞いた藤原道長が、
自分の乳母の息子が任命されていた越前の国の長官を為時に譲らせた。
越前は大国だった。

思うに道長は、自分の娘彰子が一条天皇の中宮になったとき
一条天皇の后である定子とその女房清少納言のチームを越えるべく
彰子・紫式部の優秀チーム構想を抱いていたのであろう。
父為時の越前赴任(996)から9年後の1005年にやっと
式部が中宮彰子に仕えることになるのだが。

1007年に、式部は興福寺の桜を受けとる役を辞退し伊勢大輔(いせのたいふ)に譲る。
この役は名誉ある役で、譲られた伊勢大輔は次のような歌を詠み
それ以後式部を姉のように慕ったという。
 いにしえの 奈良の都の八重桜 きょう九重に 匂いぬるかな

長編源氏物語は評判になったが、物語を書くための諸々の援助を道長はしたに違いない(たとえば良い紙の入手など)。