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[No.14937] トルコ歴史紀行 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/18(Thu) 16:45
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著者大島直政 自由国民社発行

アナトリアあるいは小アジアと呼ばれている所の歴史を語った本
この本であつかうのは、トルコの歴史にほかならないが
そもそもトルコはモンゴルと民族的に近いと自分たちの歴史書に書いているくらいで
アジア出身の民族であるから
トルコの歴史としてみたとき、アナトリア以降の歴史になる。

この本はトルコが支配する以前のアナトリアの歴史も述べているので
ほかの本にはないユニークな内容となっている。

海洋民族フェニキア人は、この土地を、東方という意味の「アス」から転じて「アスィア」と呼んでいたらしい。この「アスィア」が「アジア」の名の起源であり
ローマ時代には、この半島を指す名称として一般化し、やがて時代がすすむにつれ
アジアという言葉は東洋全体をさすようになり、この土地は小アジアと呼ばれるようになったという。

小アジアの西端とバルカン半島の東端、すなわち、「アジア」と「ヨーロッパ」を隔てるのは、二つの海峡と一つの内海である。そのうちボスポラス海峡などは平均1キロ強の幅しかない。ここでは、アジアとヨーロッパの距離は近い。
したがって、このような地理上の理由から、歴史的に小アジアは多くの民族の争奪の的になり、支配者になった民族は枚挙に暇がない。

従来の歴史書はヨーロッパ人の手になるものばかりで、ヨーロッパ人からの目に見た歴史となって、事実からかけはなれたり、不正確ではない。そのことは多くの学者が指摘するが、ともかく全体をまとめた歴史書はほとんどない。
その意味でこの本は貴重な歴史書である。

簡単に小アジアの歴史の主な項目を書くと
鉄器民族ヒッタイト、イオニアの遺跡(世界の七不思議といわれた貴重な遺跡はトルコ人も保存していたのに、15世紀に聖ヨハネ騎士団という十字軍の一派が破壊してしまった)、アレクサンドロスの東進、ペルガモンの遺跡(発掘したドイツ人はベルリンのペルガモン博物館に運ぶ)、ローマの属州(過酷な税が小アジア人を苦しめ、キリスト教の来世に向かわせた)、ビザンティン帝国
これから小アジアのトルコ化がはじまり、トルコの歴史書としての本書のテーマが詳しく述べられる。

ヨーロッパから恐れられたオスマントルコの全盛期もおわり、第一次世界大戦では特にドイツとの関係でトルコは翻弄されるが、それ以前に神聖ローマ帝国と争ったフランスがやはりトルコと同盟を結んだという歴史があった。

イスラム諸国で唯一独立を保つことができた国トルコも、英雄ケマル・パシャがいなかったらあぶなかった。

いろいろ勉強になった本です。


[No.14945] Re: トルコ歴史紀行 投稿者:   投稿日:2010/03/19(Fri) 22:06
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 男爵はん、まいど。
>
アナトリアあるいは小アジアと呼ばれている所の歴史を語った本
> この本であつかうのは、トルコの歴史にほかならないが
> そもそもトルコはモンゴルと民族的に近いと自分たちの歴史書に書いているくらいで
> アジア出身の民族であるから
> トルコの歴史としてみたとき、アナトリア以降の歴史になる。

 確かにモンゴルは出アフリカの遺伝子C3が50%、中国人の主力遺伝子O3が25%というのですが、
 トルコもE3bが10%、Fが10%、Iが15%、Jが25%と比較的古い遺伝子が多い。ヨーロッパの
主力O1a,bは20%切っていてモンゴルに近うますかなあ。

 縄文人の遺伝子D2,C1,3とも近くて親近感がトルコ人にも、涌いてきましたわ。

                              Toshichan in Kyouto-fu


[No.14947] Re: トルコ歴史紀行 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/20(Sat) 07:38
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Toshichan こんにちは

トルコの歴史の教科書を開くと
トルコに近い民族は、モンゴルと日本であると書かれています。
モンゴルとトルコの間には小さな戦争があったのですが
どちらもアジア出身の民族でヨーロッパの一部を支配したことがあるので共通点があります。

トルコは明治時代、遭難した軍艦を日本に助けられたことや、日本が日露戦争でトルコの天敵ロシアに勝利したことで、日本に対する片思いみたいに今も親日的です。

横浜港に入港した軍艦エルトゥールル号の司令官オスマン・パシャはオスマントルコの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、帰途についたとき和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難した。
地元住民たち総出の救助と生存者の介抱があり、その後日本海軍「比叡」「金剛」2隻で生存者たちは翌1891年1月2日にオスマン帝国に送り届けられた。


[No.14955] Re: トルコ歴史紀行 投稿者:   投稿日:2010/03/22(Mon) 00:13
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 男爵はん、まいど。

> トルコの歴史の教科書を開くと
> トルコに近い民族は、モンゴルと日本であると書かれています。
> モンゴルとトルコの間には小さな戦争があったのですが
> どちらもアジア出身の民族でヨーロッパの一部を支配したことがあるので共通点があります。

 確かに、遺伝子的にも、近縁のよう。トルコの中の英米系の主力遺伝子、O1a,bはR1a,b18%の
間違いでした。

> 横浜港に入港した軍艦エルトゥールル号の司令官オスマン・パシャはオスマントルコの皇帝親書を明治天皇に奉呈し、帰途についたとき和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難した。
> 地元住民たち総出の救助と生存者の介抱があり、その後日本海軍「比叡」「金剛」2隻で生存者たちは翌1891年1月2日にオスマン帝国に送り届けられた。

 この話しは、エルトゥールル号の引き上げ作業のニュースが最近も関西では流れてまっせ。

                               Toshichan in Kyouto-fu