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[No.14966] なるほど!民俗学 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/23(Tue) 09:54
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雑学3分間ビジュアル図解シリーズ

読みやすい。簡単 でもこういう本ばかり読むと頭が弱くなりそう。 豆腐やプリンのような歯ごたえ。

・どうして敷居を踏んではいけないの。
  敷居とか畳の縁(へり)は、境界を表す。その境界によって立場が明確に区切られている。
  昔の家ではお客の座る畳と主人の座る畳が分けられていて、その境を踏むことは秩序とか格式を踏みにじることになるからタブーとされた。
  お寺や昔からの建物には入り口に敷居があって、ここから違う世界になるという告示があった。ここを踏むことは境の存在を否定することにつながるからなのだろう。

・お賽銭はあげるものではない。災厄や穢れをお金によって祓う。
  東西を問わずお金は穢れているという思想がある。
  お賽銭は自分の身に依りついた災厄や穢れを吸収させたお金を、神社に祓い捨てて自分を清めるためのものである。

・雛祭りが終わるとすぐに雛壇を片付けるのはなぜ。
  流し雛とは、紙や土で人形を作り、身体などを撫でて災厄や穢れをうつし、その人形を川に流し払え清める行事だった。
  雛人形を川に流していた名残なので、雛人形を片付けることで人形を流したとみなした。

・豪快な松明が駆け巡る「お水取り」
  福井県神宮寺の鵜の瀬で流した香水を、奈良東大寺の若狭井で汲み上げる。
  福井県と奈良県は地下水でつながっていると考えた。地脈というものがあるという思想は気脈や人脈という考えも生んだ。
 
・境界は芸術を育む場でもある
  ひとつの閉じられた世界を円にたとえると、円周は境界を表す。その境界は円の内部と外部を区切るものである。
  円の中央は権力も秩序もしっかり存在するが、境界近くの周縁部には権力も秩序も届きにくく不安定状態もある。まして、境界の外は異邦人(エトランジェ)のような世界である。
  境界はだから、円の内部の世界と外部の知られていない異邦人の世界との異文化の接触と情報の行き交うエネルギーにみちた世界なのである。
  境界にいる人たちの政治的な危うさと文化的に自由さは境界のもつ特質を表して、芸能や芸術はそのようなところで育つ。
  芸術だけでなく、学問や文化も境界で育つことが多い。そこには新しい発想やものを考える思いがけないヒントがあふれているから。