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[No.14969] 焼肉は好きですか? 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/24(Wed) 10:12
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鄭大聲著
大阪市立大学大学院を出た著者は朝鮮料理の研究者。
この本は何度も読んだ本である。 何度読んでもよい本はよい。

いわゆる麺類の麺の作り方には三種類の方法がある。
 1.手で引っ張って細長く作るラーメン,素麺の系列(シルクロードのラグメンも)
 2.切り麺、つまり手打ち麺の系列
 3.(トコロテンのような)押し出し麺、つまり冷麺の系列
日本の麺づくり文化には1.と2.はあるが、3.は見当たらない。
朝鮮半島には2.と3.はあるが1.はない。
そして中国にはすべてある。

朝鮮半島では切り麺のことをカルクッスと呼ぶ。カルとは包丁のことである。
カルクッスの材料は昔からそば粉であった。そば粉だけではボロボロするのでつなぎを入れるが、小麦より手に入りやすい緑豆の粉でつなぐのが多かった。
そういうわけで、冷麺の麺もそば粉と緑豆粉からつくるのである。

冷麺はオンドルをきかせた暖かい部屋で食べる冬の食べ物であった。
暖かい部屋で冷たいスープの麺を食べる。そのスープには冬沈(トンチミ)と呼ばれる水キムチを入れるのである。

日本で有名になったのが盛岡冷麺
その発祥は自他共に認めるのが「平壌冷麺・食道園」である。
戦後に東京数奇屋橋にあった「平壌冷麺・食道園」で働いていた
咸興生まれの青木輝人(旧名楊龍哲)が、この店の経営者が韓国に帰ったので
店の名を受け継ぎ、昔住んでいたことのある盛岡に移り、冷麺を売り出したのだ。
ところが、わんこそばに慣れた盛岡の人には、そば粉の麺はあまり評判がよくなく
青木はお客の意見など取り入れて、(ジャガイモ)でんぷんと地元の小麦粉からつくった麺を出すと、それが評判となっていった。
お客は焼肉を食べてから冷麺を食べるという食の順序を楽しむようになり
これが評判となって市内の他の焼肉屋でも、この冷麺を出すようになった。
盛岡冷麺の店は多い。それぞれ贔屓客がついている。

いまも市内で人気のこの店は平壌冷麺という看板を掲げているのだが、そこで食べられる麺は盛岡冷麺なのである。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/mellow/worldfoodan063.htm
つまり、元祖の店ははじめから平壌冷麺という看板であった。人はその麺を盛岡冷麺と呼び、店主も二代目(会って確認をとりました)もそういういきさつを認めている。

チヂミ
一見すると日本のお好み焼きに似ている。
一般に日本でチヂミと呼ばれているのは、パジョンと呼ばれるものと
ピンデトッと呼ばれるものを区別せず混同している場合が多い。
パ(ネギ)ジョンとは、小麦粉とネギを使ってお好み焼き風にしたものである。ジョンとは煎の字を当てる。
これに対して、緑豆の粉に豚肉、桔梗の値、ワラビなどを混ぜて練り、油で焼き上げたものを「緑豆チヂミ」「緑豆煎餅(ノツトウチョンビョン)」と呼ぶのだが、通称「ピンデトッ」と読んでいる。
鉄板やフライパンに油をひいて両面を平べったく焼き上げるこのピンデトッは別名「ピンジャトッ(貧子の餅)」とも呼ばれたものである。

もともと緑豆粉を練って平べったく焼いたものは、冠婚葬祭時などの床にしつらえる串焼きの肉料理を、高く盛りつけるための台の役割をするものだった。陶磁器の器ではなく、緑豆粉でつくった食べ物を置き台にしたのである。串焼きの肉料理からしみ出す脂を吸収させのには、緑豆粉を油で焼いたものが合ったからだろうとされている。
こうした冠婚葬祭を豪華にできるのは限られた金持ちだけで、彼らは行事を終えて用のすんだ緑豆粉の台を食べる対象とはしないが、捨てるには惜しいので、市中の貧しい人たちに分け与えたのであった。
(ヨーロッパでも硬いパンを肉料理の台にした。食器とちがい洗う必要もなく、また肉汁のしみこんだパンの台はそのまま食べられたという)


[No.14970] 朝鮮半島の食と酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/24(Wed) 20:34
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これも 鄭大聲著  こちらの本の方が早い出版。
明日返すので、今夜のうちにアップします。

キムチ
漬け物のことで、沈菜(チムチェ)がチムチそしてキムチとなったという。

トウガラシ
 南米産のトウガラシがどういう経路で朝鮮半島に伝わったか。
朝鮮の文献によると日本から伝わったものとされている。
「南蛮椒には大毒がある。倭国からはじめて来たので俗に倭芥子というが、近頃これを植えているのを見かける。酒家(酒をつくって飲ませる店)では、その辛さを利用して焼酒(焼酎)に入れ、これを飲んで多くの者が死んだ」(芝峰類説 1613)
酒にトウガラシを入れたのは酒のまわりを早くするためらしい。水増しならぬ辛子増し。
 他の本からの知識だが、秀吉の朝鮮侵略のとき、寒いからトウガラシを着物の中に入れて温めるのに使ったのではないかという説がある。
この本では、加藤清正が目つぶしにつかったのではないかという伝聞があるそうである(まさかですね)。
 トウガラシは、1542年にいまの大分県にある豊後にポルトガル人によって伝えられたという。(草本六部耕種法)
 キムチにつきもののトウガラシも最初は毒だと警戒されたかもしれない。
胡椒が胃腸薬用や肉や魚料理に使われたが貴重だったので、この胡椒の代理してトウガラシが使われるようになったようである。

馴れずし
A新聞の1996.1.18の夕刊に
「インドのアッサムの馴れずし、日本の琵琶湖のフナずし、中国貴州省の苗族の川魚の馴れずし 
でも、朝鮮半島にはない馴れずし」
というのがあったが明らかな間違い。
朝鮮半島の馴れずしの研究はちゃんと日本の研究者たちがおこなっていた。
ただ、朝鮮の地方の家庭料理になっているが、外食産業としてはないということである。
 日本では富山のマスずし、金沢のカブラずし、秋田のハタハタずし、琵琶湖のフナずしなどあって、商品としてもよく知られているが、朝鮮半島には商品としては売られていないようだ。
(これらの日本の馴れずしはいずれも日本海に近い地方なので、やはり朝鮮半島から伝わってきたものと考えられる。だから、朝鮮半島にもあるはず)

ホルモン
内臓肉を食べる習慣がなかった日本では、戦後に肉は食べても内臓は捨てられていた。
それを在日の人たちが利用しはじめた。
そこで出てきたのが「放るもん」説 これはウソですね。
ドイツ医学では、ホルモンは身体に大切、ホルモンは健康によいという学説から
本当はホルモンは内分泌なのだが、消化器の内臓もなにやら健康によいホルモンと関係があると考えたのか、ホルモンというネーミングが生まれたのであろう。腎臓とか肝臓はホルモンに関係がないとはいえないし。
 日本で定着した焼き肉文化(元祖朝鮮半島の焼き肉とは少し違うらしい)、これが逆に韓国や中国に広まって日本スタイルの焼き肉屋が増えていった。(大連でまったく日本式の焼き肉屋に案内されたことがある。韓国系の店でしたが)


[No.14975] Re: 朝鮮半島の食と酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/25(Thu) 15:02
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> これも 鄭大聲著  こちらの本の方が早い出版。

牛の四つの胃 
 第一胃 ミノ
 第二胃 ハチノス
 第三胃 センマイ
 第四胃 アカセンマイ(東京ではギャラ)
著者はこれらの用語は朝鮮語か朝鮮語由来と思っていたが
ミノとセンマイは日本の呼称であったという。(被差別部落北条の歴史)
なお、ハチノスは朝鮮語ポルチブ(蜂の巣)の翻訳
センマイは「千枚」つまり無数にある胃のひだで、朝鮮語でも千葉(千の葉)
アカセンマイは千枚の次にあって赤いから。 ギャラは不明。
テッチャンは朝鮮語の大腸そのもの、脾臓はチレ(チラ)と呼ぶのもそのものを指す。
肺臓をファと呼ぶのは朝鮮語のプァからのもの。
カルビは朝鮮語であばらのこと。(ほかの本で読んだのだが、カルビを怪我したといえば、あばら骨を折ったということであった)

焼肉料理のホルモンと呼ばれる内臓を食べるようになったのは
一般の日本人は戦後になってからであるが
上記の参考文献にあるように、一部の日本人たちは屠殺と解体に携わっていて、彼らの用語が広まっていったらしい。朝鮮通信使の時代にも、歓迎の料理の用意などで、彼らの解体の仕事はあったらしい。


朝鮮半島でよく飲まれるのは焼酒(焼酎)である。
韓国では焼酒とマッコルリであるが、近年ビールも増えてきた。
日本支配時代には酒税法の関係で、それまであった伝統の酒の生産は行われなかった。
戦後になって酒作りは可能になったのだが、材料とくに米が手に入らなかったので
マッコルリを小麦粉80%、トウモロコシ20パーセントで作っていた。これだと品質の低下となり、庶民層は焼酒に傾き、中産層以上はビールを求めるようになった。
いまは米を使用してもよくなったので、マッコルリの質がよくなった。
日本の酒は米麹であるのに対して、朝鮮の酒は麹が小麦の麹である(材料が米なのに小麦麹をつかう)。

蒸留酒である焼酒は戦後はサツマイモが原料であったが、いまはタロイモを使うという。
この本には蒸留酒はモンゴルから伝わったと書いてあるが、モンゴルもアラビア人から
の知識で蒸留酒をつくるようになったのである。したがって、日本でも中国でも蒸留酒はみなそれ以降である。
 だから、杜甫も李白も蒸留酒は飲んだことがない。


[No.14995] Re: 朝鮮半島の食と酒 投稿者:男爵  投稿日:2010/03/28(Sun) 19:20
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一週間後の韓国旅行のイメージトレーニングです。

カムジャタン  骨付き牛肉が入ったジャガイモ鍋
http://miya.cande.iwate-u.ac.jp/korea/image/20091009%20100.jpg

チヂミ
http://miya.cande.iwate-u.ac.jp/korea/image/20091009%20482.jpg

今回は行かないが板門店の非武装地帯です。
http://miya.cande.iwate-u.ac.jp/korea/image/20091009%201343.jpg
1950年に北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まったが
1953年にアメリカを中心とする国連軍と北朝鮮・中国による休戦協定が結ばれた。
いま読んでいる本「体験取材! 世界の国ぐに12 韓国」によると
韓国は、この休戦協定には反対して加わっていなかったという。


[No.15012] 鷹の爪 投稿者:   投稿日:2010/03/31(Wed) 15:51
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> トウガラシ
>  南米産のトウガラシがどういう経路で朝鮮半島に伝わったか。
> 朝鮮の文献によると日本から伝わったものとされている。

>  他の本からの知識だが、秀吉の朝鮮侵略のとき、寒いからトウガラシを着物の中に入れて温めるのに使ったのではないかという説がある。

今読んでいる本にも
寒い朝、足が冷たいといって学校に行きたがらない娘に
母親が、長靴に赤いトウガラシを入れてくれたという話が書いてある。
著者は、あのぬくもりが忘れられないという。

この本には、アフリカのキリマンジャロ登山の時、ポーターたちが「ピリピリ(唐辛子)を食べると温まるよ」と言ったことを書いている。
そしてネパールのポーターたちも同じように「体が温まる」と、歩きながら生のままかじっていたことも書いている。
   (小倉董子おぐら・のぶこ:山歩き讃歌)