守屋洋著 プレジデント社
孔子は真面目人間だが、世の中には時と場合によっては、真面目だけでは解決できないこともある。 発想の転換をする時に荘子はヒントを与えてくれる。
老子と荘子、世に老荘思想といわれ中国「道家」の思想である。 「老子」はいたって寡黙。固有名詞の類は一つもなく、全編これ箴言集といったおもむきで、ポツンポツンと独り言のような言葉が並んでいる。 これに対して「荘子」はすこぶる饒舌である。 「老子」が全部で五千余字と短いのに対して、「荘子」は六万余字と長い。 しかも、虚実とりまぜた寓話の類をふんだんに使い自説を補強している。
「道」とはどんなものなのか。 この著者によると ・万物の根源に存在している普遍的な実体 ・万物の運動を支配している根本的な原理 この二つの側面を含んでいるものだという。
荘子の理想とする人物 すべてのものをあるがままに受け入れて作為を施さない。この世に生を受けたからといって喜ぶこともないし、この世を去るからといって悲しむこともない。自分が生きていることも自然現象だとみなし、死についてあれこれ心を煩わさないのである。
「史記」老子韓非列伝によると 荘子の考え方はつかまえ所がなく、奔放であったから、王侯貴族たちは彼を使いたくても使うことができなかった。 ・荘子の主張は、老子の教えに基づき、それを発展させたものである ・荘子その人は、仕官を嫌って自由人としての生き方を貫いたこと
楚の威王から宰相の話があった時「宰相は高い地位だが、宰相になるのは、生け贄にされる牛のようなものです。おいしいご馳走を食べ数年飼育された後に、刺繍の着物を着せられ祭壇に引かれていく時になって、子豚になりたいと願ってもいまさら遅いのです。私をそんな目にあわせないでほしい」と断ったいう。
とらわれないこと 尭が土地の役人から福、禄、寿が備わるよう祝福を受けた。 福とは子孫に恵まれること。禄とはお金に恵まれること。寿とは長生きすることである。 この三つが揃うことが人生最高の幸せだと中国人は認めてきたことだから。 しかし、尭はそれを三つとも辞退したのである。さすが聖人だと言えないこともない。 福、禄、寿、お断りします。男の子が多いと心配事が絶えない。金持ちになると煩わしい。長生きをすればそれだけ多く恥をかく。いずれも徳を養うにはじゃまなことばかりだから、お断りするのです。 だが、役人に言わせると、辞退するのはまだとらわれている証拠であって、ほんものではないのだという。 たくさん男の子が生まれたらそれぞれ天職につかせてやればよい。富に恵まれたら人々に分けてやればよい。聖人は住むところを選ばず、与えられたものを食べ、長生きして俗世間に飽きたら、天帝の住む理想郷に旅立てばよかろう。 無理するな、いいカッコウするな、淡々と生きよ、ありのままでおり、そう役人の口を借りて荘子は述べたということでしょう。
上善は水の如し 上善とは理想的な生き方のことで、それは水のようなものである。 つまり、水のあり方に学べ、それが理想の生き方に近づく道である。 水というのは丸い器に入れると丸い形になり、四角な器に入れると四角な形になる。つまり、相手の出方に応じて、いかようにもこちらの形を変えていく。そういう柔軟性に学べということ。 水がないと地球上の生物は存在できない。そういう大きな働きをしておりながら、自分はというと低いところ、低いところへと流れていく。そういう謙虚さに学べということ。
先頭にも立たずビリにもならず 先頭に立つと、いつまでもその地位を維持しようとして無理をするので途中で息切れを起こす。 また、先頭に立つと目立つので、敵からも味方からも標的にされて足を引っ張られる恐れがある。 いずれにせよ長続きしないし、へたをすると自滅を免れかれない。 さればといって最後尾まで落ちてしまうと、厳しい批判を受けて身の置き所に窮してしまう。 だから、目立たず、出しゃばらず、中段あたりにつけて、悠々とマイペースで走るのがよしとされるのである。
陽子(ようし)が宋の国を訪れたとき、泊まった宿の主人が妾を二人囲っていた。一人は器量よしで一人は醜女。ところが可愛がられるのは醜女のほうばかり。器量よしは相手にされなかった。 陽子は不審に思い、宿の主人にわけをたずねた。すると主人はこう答えた。 「器量よしのほうは、それを鼻にかけるので、見ているといやになってきます。もう一人のほうは自分をよく心得ており万事控えめにふるまいます。それでかえっていとおしく思えてくるんです」 陽子は傍らの弟子たちに語った。 「いまの話をよく覚えておくがよい。かりに立派なことをしても、けっしてそれを鼻にかてはならぬ。そうすればどこに行こうと嫌われることはない」
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