もう10年以上たってしまいましたが あの記憶は私の脳裏に残っています。
1999年 東海村のJCO事故 ウラン再転換工場では 高速実験炉「常陽」の燃料を作るために 粉末の「ウラン酸化物」を液体の「硝酸ウラニル」にする作業をしていた。 その際、制限量をかなり超えたウランを投入したために 臨界状態になった。つまり核分裂を起こした。 作業員二人が被爆して亡くなり、周辺地域に放射能が広がった。 有馬文部大臣科学技術庁長官は放射能管理区域に入るため 「バッジをもってこい」と言ったが誰ももってこなかった。 管理区域の中に30人ほどいたが、ほとんどバッジをつけていなかった。 JCOという会社のモラルが退廃していた現象だった。 さらに、バケツを使って臨海に達するかもしれない核燃料をくみ出すという非常識なことをしていた。 正式なマニュアルではやっていけないのに、裏マニュアルが作ってあった。 犠牲者の一人は農業高校出身者で、臨海がどういうことか知らなかった。 原子力関係の施設に勤める技術者および技能者に対しては、必ず放射能や原子力に関する基礎知識を教えておくべきだ。
上坂冬子:ほんとうは、どうなの? 原子力問題のウソ・マコト PHP
------------------- 韓国から帰国しました。
|