池内了:天文学者の虫眼鏡 文春新書060
文芸好きの天文学者の本
吾輩は猫である 熊本第五高等学校の英語教師だった夏目漱石のところに 試験にしくじった同級生のために頼みに行った寺田寅彦は 以後、漱石との間に長い師弟関係を続けることになる。 寅彦の作品に 寒月や撃析(げきたく)ひびく監獄署 という俳句があり、漱石にほめられたという。 ここで、寒月とは寒気凛冽な月のことである。 また、つぎのようなユーモラスな句もつくっている。 寒月に腹鼓うつ狸哉 これなどは、「吾輩は猫である」の中に 寒月君が書いたという絵葉書に「旧暦の歳の夜、山の狸が園遊会をやって盛んに舞踏します」と書かれてあるもののヒントになったのであろう。
この先生は国立大学の先生だが 自分の学科のクラス担任ともなれば 天下の秀才が集まる物理学科の学生にも不登校の学生もいるので面倒を見ているという。 そんなのは学生の自主性にまかせて、放っておけばよいと考える先生は 昔はたくさんいたようだが、現在の大学の先生はそんなことはしていられない。 そんな学生が自殺騒ぎを起こしたら、あとはなかなか面倒になる。 ということで、この先生も自分の研究生活を振り返って つらいこともあったなあと、こんな歌を紹介する。 人がみな 我より偉く見ゆる日よ 酒を買い来て一人慰む (どこかで見た歌ですが、元歌については後日また) しかし、さめた学生にすると どうせ大学の先生になるくらいだから勉強はできたはずで、自分を元気づけるために適当な話をしていると説得に乗ってこない。 そこで、「コップ一杯の水にはニュートンの脳細胞を作っていた原子が4000個も含まれているのだぞ」と説明する。 ここは分子の世界で、専門すぎるから省略します。 イギリスのケルヴィン卿はコップ一杯の水分子にすべて赤く目印をつけて海水に混ぜると、世界中の海水量とコップ一杯の水量の比例から、その後でよくまぜた海水の中からコップ一杯の水をくみ出すと赤く印のついた水分子は約700個入っていると説明する。 同じような考え方で、亡くなったニュートンの脳細胞の原子も、いったんぱらぱらになり空に散り、雨に洗われやがて海に流れ込んでいく。そうすると、よくまぜた海水の中にもニュートンの脳細胞の原子が4000個も含まれているはずだ。 (同様に考えると、コップ一杯の水には、ニュートンだけでなく、ベートーベンもモーツァルトも、湯川秀樹も朝永振一郎も、これまでに亡くなった人すべての原子が入っていることになる)
地球という言葉 ある講演会で講演をしたとき、「地球という日本語はいつできたのか」と聞かれて、この先生は答えられなかった。もっとも、こういう質問は科学史に関する質問だろうから、その方面の研究者なら答えられるだろう。 あとから調べた先生は、地球という言葉を使った最初の日本人は渋川春海(1639-1715)らしいと書いている。 春海は、当時宣教師たちが持ち込んできた西洋科学を取り入れ翻訳した中国の文献から仕入れたらしい。 温度の摂氏や華氏も中国人の翻訳で、現代日本でも使われている。
「木枯し」「もんじゅ」ろう 高速増殖炉「もんじゅ」が試験運転中に、ナトリウム漏れを起こして「おしゃか」になってしまった。 「もんじゅ」の構造を簡単に説明すれば、三つの部分から成ってる。核分裂が起こる「炉心部」、そこから流れ熱エネルギーを運ぶ高温ナトリウムの通路部、ナトリウムから水蒸気へエネルギーが受け渡されタービンが回る発電部である。 「もんじゅ」の事故の原因は「木枯し」にあった。 冬の初めの木枯しは、木々を震わせ電線を揺らせ悲鳴のような音をたてる。 流れる高温ナトリウムの温度を測る温度計は細長い円柱パイプにつけられていた。 そして、ナトリウムの流れが円柱パイプを通るとき(カルマン渦が起こり)振動させる。 この振動でやがて円柱は折れ、その穴を通って高温ナトリウムは外部に流れ出し、空気と接触して激しく燃えたのであった。 高速の流れが円柱を通過するとき、カルマン渦を生じて木枯しのように悲鳴を上げ振動させたのである。 だから、木枯しにあった「もんじゅ」というわけなのである。 しかし、せっかくの先生のダジャレも、「あっしには関わり....」を知らない学生にはきょとんとされ、説明を加えないと理解してもらえない。笑話にもトレンドがある。地域性とか年代性があるということは、これ文化です。
グッピオの陶器 イタリアのグッピオは優れた陶器の産地として有名だが、地質学者には別の意味でよく知られている。 この町の陶器には、近くで産出する粘土に大量のイリジウムが含まれているのが、人気の秘密だったのだが このイリジウムが地質学的には大きな意味を持っていた。 それは今から6500万年前に起きた巨大隕石の衝突であり、この事故が原因で恐竜などが死滅して、中生代白亜紀と新生代第三期の間に明確な生物の差異が認められる。 6500万年前の隕石の衝突だが、直径10キロメートルの巨大隕石の重さは1兆トン、秒速10キロメートルで衝突したら、およそ1億メガトンの爆弾に相当する。水爆の爆発力は約50メガトンだから、およそ200万個の水爆に相当する。 高温でガス状になった隕石と地球岩石200兆トン分の塵が大気圏に吹き上げられ、すっぽりと地球を覆いつくした。それらがゆっくりと地上に落下して降り積もったのが、グッピオの粘土層ということになる。 大気中の塵が太陽の光をさえぎって地表は急速に慣例化し、植物は光合成できずに枯死し、まず草食動物が飢えて死滅し、肉食恐竜も餓死した。恐竜が死滅したから、リスくらいしか大きくなく夜間にだけコソコソ活動していた哺乳類が、ようやく大手をふって生態系の主役に躍り出ることができるようになった。
この本を読んで、やや理屈ぽかったのは、学術書を書きなれていて つい正確に、くどく書く習慣があるからだろう。 素人向けには、細部は省略してもよかったのに。 教科書も正確に書こうとするものだから、つい初心者にはわかりにくい。
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