古典中の古典 ユリウス・カエサル著 中倉玄喜翻訳・解説 PHP研究所 2008
この本では ガリアを 内ガリア(アルプス山脈の南側つまりイタリア北部) 外ガリア(アルプス山脈の北側つまりフランスを中心とする地域) に分けている。 そこには主にケルト人が住んでいた。
カエサルは、ガリー人(以後私はガリア人と書く)がという言葉を、ガリアに住む人の意味で使っていた。 ガリア人は農耕生活者であった。 外ガリアの西側にゲルマニー人(以後私はゲルマン人と書く)が住んでいたようである。 ゲルマン人は狩猟生活をおくっていた。
一部のゲルマン人は騎兵部隊としてローマ軍に所属していた。 同様にガリア人の一部もローマ軍の兵として参加していた。
現在のフランス人は、ケルト人、ローマ人、ゲルマン人(フランク族)などの 混血によってできたと考えられる。 現在のドイツ人は、ゲルマン人の子孫である。
カエサルはBC63年に選挙で 最高神祇官(じんぎかん)、Pontifex Maximus ポンティフェクス・マクシムス となる。
ローマには伝統的なローマ神については専任の神官が存在せず、その職は高い権威と人格を認められた一部のエリートが市民集会の投票で選出された。
ユリウス・カエサルは、大量の借金をして買収工作でもって37歳という若さでこの最高神職に就任したのである。
なお、Pontifex Maximusは現在のローマ教皇の称号でもある。 ポンティフェクス・マクシムスはキリスト教以前のローマ神の最高神祇官であったものが キリスト教の聖職者の最高位をしめす称号に変わったというわけである。
ガリア戦記で自分の戦勝記録をまとめ、今日まで高い評価を得たものの ローマではあまりに権力をもちすぎて周りから恐れられたらしい。 自分が政敵から葬られそうになったことを知って対決することを決意する。 ルビコン川を渡る時、彼は「賽は投げられた」と言った。 そして敵対したポンペイウスを排除することに成功。
エジプト平定後、カエサルは親密になったクレオパトラとエジプトで過ごしたが ゼラの戦いでファルナケスを破った。 この時、ローマに送った戦勝報告に、「来た、見た、勝った」の言葉があった。
ローマの最高権力者も政敵はつきもので最後は暗殺されてしまう。 暗殺された時の言葉「ブルトゥス、お前もか?」は有名だが、これはこれはシェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」の台詞なので、シェイクスピアの創作であろうか。
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