山本周五郎:人は負けながら勝つのがいい 大和出版
この本の中にある第一章に相当するところです。 中央大学会館での文芸講演
歴史小説という言葉があるが 歴史は歴史、小説は小説。 歴史と小説は別個のものである。 歴史というものは、概括して、そのときの政治のかたち、ないしはそのときに政治を左右する権力のあり方によって、修正されたり、改ざんされたり、ある場合には抹殺されたり、捏造されたりするものと思う。 その例として、大東亜戦争のときの大本営発表である。 「かくかくたる武勲」というのが謳い文句のようになっており、しばしばラジオを聴いている国民を興奮させたものであった。 あの戦争が終わって、軍閥政治が倒れて、形なりにしろ民主政治の世の中になり、大本営発表というものがいかに欺瞞にみちたものであるか、どんなに嘘っぱちなものであるか、ということが明らかにされた。 終戦直後に若い友人たちと一緒にカストリをのんで景気をあげているとき、誰かがひじょうにうまそうな話をすると、「なんだ、それは大本営発表じゃないか」と誰かがマゼっ返したものだった。 つまり時代が逆転すると、大本営発表というものは嘘の代表ということになったのである。 このように、日本は敗戦によって民主政治の世の中になって、あらためて軍閥政治の嘘やデッチアゲなどが明らかにされたわけだが、果たしてそれが真実かというと、そうでもない。 軍閥政治の虚構や悪だくみをあばくために、かえって逆に、それを否定することに急であって、真実でない誇張がないとは言えないと思う。
坂口安吾が、小林秀雄と対談した記録のなかに、「歴史の中に文学はない」という意味のことをはっきり言っている。 これは明らかにそうなのであるが、たとえば「藤原道長日記」で「何年何月何日に、自分は昇殿をした」あるいは「何年何月何日に、なんとかの宮が岩清水八幡へ参詣された」という記事からは文学は生まれてこないと思う。 道長が何月何日に坊主になったという「道長日記」よりも、「大鏡」の中の、西の京のはずれで、餓死した人間の死体が藪に捨てられてあって、それを犬が食っていた、という記述のほうに、普遍的な人間性が ー 実際の庶民生活や、人間の本質性に関連のあるイメージをつかむことができると思うのである。 実際には、その西の京の藪の中に死体が捨てられて、犬がそれを食っていた、という事実はなかったかもしれない。 それは事実ではなくて、そう記述した人の創作であるかもしれないと仮定したとしても、そういう創作がありえた、ということは、その背景をなす社会情勢を物語っているのではないかと思うのである。 「道長日記」から言えることは、貴族階級の日常生活や、藤原一門と天皇と宮廷の関連性、これは特殊な歴史文学者には問題はあるだろうが、文学という人間全体の関心をあつめる普遍的な問題とは、そう深いかかわりあいはないのではないかというふうに私は考えるのである。
歴史というものは、先にも述べたように、そのときの権力や政治の形によって、きわめて容易にいろいろ変えられるものである。 権力者や政治の当路者だけではなく、歴史を記録する人の、好悪、選択によっても、いろいろ変えられるものである。 あるときの、ある事件や人物について、資料を集めてみると、面白いことに必ずといっていいくらい混乱していて、どれもこれも、同一の趣旨を記述していることはめったにない。 たとえば、赤穂義士の場合であるが、私の若いころの友人に、大石内蔵助の子孫がいた。その友人の家に、いろいろ義士の仲間でやりとりした書簡などの資料が残っているが、それによると赤穂藩の家老であった大野九郎兵衛という人は、赤穂城解散のとき大金をもって逃げた卑怯者ということになっているが、実際は、大石内蔵助の四十七士が第一陣で、それが失敗した場合には大野九郎兵衛が第二陣をひきいて望みを果たそう、という計画だったそうである。 これは、大石内蔵助と富ノ森助右衛門という義士の一人との間に取り交わされた手紙があって、私もそれを読んだことがある。 しかし、そうだからといって、これが真実であったかどうかということは、歴史では立証することはできないと思う。
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