KAME(亀井)さん いつも有難うございます > 1960(昭和35)年 全学連主流派の安保改定阻止統一行動で国会突入を図り警官隊と衝突。東大生・樺美智子さんが死亡
ちょうど50年前の今日なのですね。思い出します(シミジミと)
当時会社の労組書記長をしていました。総評傘下で上部団体からの指示で安保反対国会請願デモへ参加することになり、午後4時ごろ(就業時間内)に組合員約30人を引率して地下鉄で国会議事堂へ向かいました
地下鉄駅から地上へ出たら学生や劇団関係のデモ隊の大群のなかに吸い込まれてそのまま議会正門前まで来ていました。門前では神近市子、浅沼稲次郎などが手を振って激励していました。その頃から雨が降ってきて、だんだんひどくなってきたので我々の隊には若い女性が多く濡れるのが気の毒と思ったため私の独断で一旦地下鉄駅構内まで引き返して様子を見ることにしてデモの隊列から離れました。構内で30分ばかり様子を見ましたが一向に止む気配がないので「わが隊はここで解散!」と宣言して一同それぞれ帰宅の途につきました
私は一旦帰社(日本橋)したあと夜になって独身寮(浜田山)へ帰ったらTVのニュースで国会デモで女子学生死亡の報道をしていました。よく見たらちょうど我々が立ち去った直後の衝突だったのです。もしあのまま現場に居たら巻き込まれていたかも知れないと思うとゾッとしました。翌朝になってその女子学生の名が「樺美智子」と分かって二重に驚きました
大学で社会学の講義を受けた樺俊雄教授の娘さんであり高校生のとき私の兄が家庭教師をしたことがあるお嬢さんだったからです。女生徒で東大へストレートで入るのは珍しかった時代です。歴史に「if」はありませんがもし彼女が生きていたらその後の日本の政治は変っていたに違いありません
あの日のデモ参加は就業時間内で当然会社からは給料カットと譴責処分を拝受しました。更に数日後の追悼集会にも会社に無断で参加して名誉ある処分をいただきました。若気の至りとは面白いものです
あの日、目の前で見た浅沼稲次郎が4カ月後(10.12)日比谷公会堂で刺殺されるとは夢にも思いませんでしたがその日比谷の事件にも不思議な因縁がありましたがそれはここでは割愛しておきます
長々と失礼しました
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