みなさん、今日は今日は何の日、5月26日今日は何の日、東名高速全線開通記念日1969(昭和44)年、大井松田IC〜御殿場ICが開通し、東京から愛知県小牧市まで346kmにおよぶ東名高速道路が全線開通した。小牧ICで、4年前に完成していた名神自動車道と接続し、関東・中京・関西を結ぶ日本の大動脈となった。ラッキーゾーンの日1947(昭和22)年、甲子園球場にラッキーゾーンが設置された。広すぎてホームランが出にくいとの理由で設置されたが、1992(平成4)年に撤去された。ル・マンの日1923(大正12)年、自動車耐久レースの最高峰、ル・マン24時間耐久レースの第1回大会が、フランス北西部の町ル・マンで開催された。1928(昭和3)年 明治神宮外苑競技場で第1回全日本学生陸上競技大会開催 1948(昭和23)年 東京・神田共立講堂で日本初のファッションショー開催 1959(昭和34)年 IOC総会で1964年のオリンピックの開催地が東京に決定 1983(昭和58)年 秋田沖でM7.7の日本海中部地震。死者行方不明102人、全半潰630戸。男鹿半島で遠足に来ていた小学生が津波にさらわれ13人死亡今日の誕生日の花:キンギョソウ花言葉:清純な心今日の一句:金魚草よその子すぐに育ちけり 成瀬櫻桃子出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
音楽と病 法政大学出版会著者オシエーはメルボルンの大学で医学を学んだ医学史研究家ヨハン・セバスティアン・バッハ(享年66)とゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(享年75) どちらも愛煙者だが当時としては長生き。 バッハは晩年眼病で苦しむ。ヘンデルも白内障で失明。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 難聴と腹痛に悩まされた。腹痛をおさえるためワインを大量に飲んだ。 梅毒ではあったが、梅毒は初期の段階でおさまっていた。 肝硬変による肝不全で亡くなった。フランツ・シューベルト 第三期梅毒として、薬物による水銀障害も遺体に認められるという。 直接の死因は腸チフスとされている。ロベルト・シューマン 手の障害のためピアノの演奏はあきらめ作曲家の道を歩む。 この著者は、彼の指の障害は心因性のものかもしれないと推定する。 クララ・ヴィークとの結婚は、夫婦の間に精神的高まりを与えたと確信する。 彼に衰弱と死をもたらした精神障害は相当前からあったらしい。 エドヴァルド・グリーグ 若いときの肺炎が原因で、肺の機能がすっかりだめになり、心臓に栄養分がゆかず心臓麻痺を併発し死亡した。 ノルウェーは寒いところだから?ベラ・バルトーク 1940年、ヨーロッパの政治状況のためハンガリーからアメリカに渡る。 慢性白血病であった。 1945年死亡。1988年にニューヨークからブダペストに改葬された。これをみると大作曲家といえども、みんな晩年は体も弱って、衰弱死するか肺炎を起こして死んだりと、とにかく寿命というものがあるらしい。その時代の貴族も庶民も、みな死ぬべきときに死んでいるのだからある意味では公平なのかもしれない。モーツァルトの死については、この著者は医学的に見て、毒殺説はありえないと書いている。 現代の医学者の推定するモーツァルトの死因についても諸説あって 急性腎不全を併発した肺血症 猩紅熱後の腎炎 リウマチ熱 瀉血による出血性ショック 感染性心内膜炎 末期のブドウ球菌性気管支肺炎と脳出血等など紹介している。
みなさん、今日は今日は何の日、5月25日食堂車の日1899(明治32)年、山陽鉄道・京都〜三田尻(現在の防府)で日本初の食堂車が走った。一等・二等の乗客専用で、メニューは洋食のみだった。有無の日第62代天皇・村上天皇の967(康保4)年の忌日。村上天皇は、急な事件のほかは政治を行わなかったことから。広辞苑記念日1955(昭和30)年、岩波書店の国語辞典『広辞苑』の初版が発行された1951年 内閣が「人名用漢字別表」92字を告示 1945(昭和20)年5月25日、山の手大空襲、表参道火の海の夜1954(昭和29)年 写真家ロバート・キャパがインドシナ戦争取材中に地雷に触れて爆死 今日の誕生日の花:カスミソウ花言葉:清い心、思えば思われる今日の一句:霞草活けて心をひたかくす 朝倉和江 出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
童門式超時間活用法 歴史小説は死体解剖ではない。生体解剖だ。なぜなら、いま生きているわたしたちにとっての、アップ・ツゥ・デートなテーマに向き合っているからだ。「織田信長ならどうしたか、坂本龍馬ならどう対応したか」自分の書くものは今日的であり生体解剖だ。三分に一度は笑わせる。わたしの話法・いかにアップ・ツゥ・デイト的な結びつきをさせたとしても、 所詮れ歴史ものには固い固有名詞や人名が多い。・こういう固い言葉の羅列をされると、それだけで聴衆は眠ってしまう。・それには、もちろん3分間に1度は笑わせるというジョークも大切だが、 それ以前に、全体のトーンをどういう話しぶりにするか 定める必要がある。・それには、大学の先生のような話し方では駄目だし、また講談調 でも駄目だ。結局落語がいい。しかしその落語も、あまりに 古典に忠実な話し方でも駄目だし、またあまりにふざけ過ぎも駄目だ。 人情話がいい。そうなるとやはり故三遊亭円生あたりが手本になる。聴衆の中にはするどく指摘する人がいる。「あなたのお話は、円生でしょう」 よくぞ見抜いてくれたと感心する。わかりやすいテーマをわかりやすい言葉で書く。その文章は、ほとんど話し言葉にオーバーラップしている。毎日、小さなことを積み重ねて、大きなことに近づいていく。「積小為大」根気と時間が必要。今日やったことは今日評価されたい、という考えをもったら、もうおしまいだ。書いて出た作品は一人歩きしていて、私の手は届かない。作品のひとり歩き 作品ひとり旅作品がどんな受け止められ方をしようと、口は出さない。出せない。「歴史上の事件や人物は、360度方位からの批判に耐える存在だ」「定説にはこだわらない」「全くの素人が、自分の生活にとって、その事件あるいは人物がどういう影響をもたらすか、あるいは何を学ぶかということは、それぞれの勝手な解釈が成立してもいい」 同じ本を数冊買う なぜ、複数の冊数を買うかといえば、・一冊は原本として保存する。・他のものは必要部分を破いてコピーをとる。あるいは破いたまま使う。というような活用方法するからだ。この一文を読んだだけで「けしからん」と目を三角になさる方もいらっしゃるかも知れない。しかしこれも、わたしの「時間活用法」の一つの入るのである。本を何冊も買い込み、その一部をこうした使い方をすることを、わたしは必ずしも悪いとは思っていない。本の方もそういう使われ方をされることに、それほど抵抗はなかろう。もちろん破いたからといって、用が済んだ後捨ててしまうわけではない。あちこちかの本から破いてきた現物やコピーを組み合わせると、わたしがその時書いていることのテーマに関わりを持つ、いわば自家製の新しい史(資)料の集大成ができる。これがまた、いままでにない歴史観も生まれることもある。つまり破いたAの内容とBの内容とが相乗効果を起こして、また新しい見方を生んでくれるのだ。(本をばらばらにしなくても、インターネットを使えばもっと自由自在にできる)太宰治にかぶれていた著者は「文章はたとえ起案文書といえども、美しくなければならない」とこだわっていたが、上司は情緒的な考えを頭から叩きつぶした。上司は文書の審査権を発揮して判を押さなかった。著者は誇りを傷つけられたが、分かり易い文章を書く能力を身につけた。感謝する著者。部下の作った起案に目を通して、必要な指示を与えて訂正された文書に判子を押すと部下の責任は消える。あとは判子を押した上司にある。決裁をしたトップが、あとになって「俺は知らなかった」と責任転嫁するのは間違っている。したがって、判子はいい加減に押してはならない。(責任を負う気がなかったら、絶対に決裁などしてはいけない)睡眠時間は3時間とか書いていながら、新幹線で寝たり、こまめに寝ているようだから大丈夫。年寄りになったら誰でもできるワザ。1次会がすんだらさっさと帰ってくる。飲む席に出ないと理解してもらえない相手というのは、もたれ合いのダメな関係、とバッサリ言えるのは強い。すんだことは振り返らず、失敗をくよくよせず、未来をよくしようと考える著者は前向き人間。 やや調子よい。口述筆記で本を出すのは清張が先輩なのに。精神のギアチェンジ精神の緩急を自分の意思によって調節すること飛行機は蛇腹のようなボーディングを使うかバスを使うか。バスなら早く乗っても遅く乗っても同じだ。みんな乗らないと動かないから。せっかく出やすい前方の通路側の席にとったのにボーディグを使ってくれないと時間がかかってしまう。がしかたがない。怒らず、あきらめて、気分転換しよう。しかし、いつも精神のギアチェンジがうまくいくとは限らない。不調の時はストレスが溜まる。「人間が激怒する時は、真の原因はほかにある」本来は、その人間が犯した事柄に対してこっちが激怒しているわけではない。頭の中に屈託があって、それが怒りという形に発酵している。たまたまその人間が現れて、ちょっとした言葉の行き違いでこっちを猛烈な怒りに誘い込むのだ。その人間が犯した罪に対してこっちは激怒しているわけではない。「その人に怒るべき理由でない理由」によって、罪もない人に大きな怒りをたたきつけ、以後人間関係をまずくしてしまった例がたくさんある。それによって「世間を縮め、世の中を狭くする」たまったストレスのガス抜き著者は映画の見溜めるをするという。週刊誌に映画のコラムを書いているから、仕事にもなる。自分でお金を払って見るから、遠慮せず辛口の批評も書ける。土曜のオールナイトを見る。できるだけ大きな映画館に入る。飲み物とおつまみを買って、チビリチビリやりながら見る。完全に匿名な個人になる。自由を得る。 誰にも干渉されない自分自身。つまらなければそのまま寝てしまう。シャドーボクシングを行う。シャドーの相手は、この1週間に著者を苦しめた人の面影である。この標的に対し暴力をふるう。殴る蹴る首を絞める。 相手が「参った」と言えば勘弁してやる。そして「二度と俺を苛(いじ)めるな」と告げる。現実にその相手と会えばニッコリ笑って、そんなことをしたことは気振(けぶり)にもださない。こうしてストレスが消えた。いや消えていないかもしれない。しかし、自分で「消えた」と思いこむことにしている。精神のギアチェンジ 自己暗示を施している。「自分に都合の良い占い」はそのまま受け止める。「自分に都合の悪い占い」は無視黙殺してしまう。 B型人間童門冬二:超時間活用法 中央公論社
> > 昔は、親だけでなく、支えてくれる人も、有ったと思いますよ。> > 多世代の同居も煩わしい事もあったが、安心の出来ることが多かったのでは> > ないか?と思いまっせ。> > バブル崩壊への道は、それらを全部切り離して進んだのとチャウ?> > その後も、その反省もなく、35年が、過ぎて、株価は高値の1/4 (>_<)> > Toshichan の指摘されることは> 以前に> [No.14626] Re: 食文化あきた考 > で書いた内容と似ています。> http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/wforum.cgi?no=14613&mode=allread#14626 しかし、自民党と官僚の政治はそれから35年も続いてまっせ。 なんで、せめて株価位は、元にもどらんのんやろね。 Toshichan in Kyouto-fu
蝶との会話著者の師尾武は宇都宮の内科医師日本の国蝶オオムラサキhttp://www.insects.jp/tefu-oomura.htm落ち葉の下から幼虫をとるうちに、自宅に植樹の榎を植え小学校にも植えるように校長に話して十年後にやっと実現。この本の著者の提案 奥山の自然林を復活させよう 里山の広葉樹をふやそう ゴルフ場をつくるのをやめよう ゴルフ場の農薬の使用を中止しよう 農薬の空中散布をやめよう身の回りに蝶が飛ぶのを見るのは、いかがですか。
パリでは22日の夕方から24日の夕方までの期間、世界一美しい街路シャンゼリゼが世界一美しい巨大な庭園に早変わり。 自動車だけでなくバイクもすべてご法度の、いわゆるホコ天になる。凱旋紋(門ともつづる)から延々と続くこの巨大庭園、かげろうのイノチとは云いながらやはりチョッと歩いてみたいような気も起こる。市役所によるパリ活性化のひとつなのだろう。 先程歩行者『天国』と書いたが、もともとシャンゼリゼと云う言葉は、エリゼの園、極楽浄土という意味だそうだから、車を排して人工物のない天国に戻るのが理想なのかもしれない。 ときにシャンソンで「オーシャンゼリゼー」ってあるでしょ。あれって本当は「オーシャンゼリゼ」じゃないんすよね。繰り返しではたしかに何度も云ってるけど、原題はレ・シャンゼリゼなんだそうですね。あっしも今までゼンゼンしんなかった。http://www.leparisien.fr/paris-75/les-champs-elysees-se-transforment-en-jardin-22-05-2010-931827.php
韓国のホン・サンス監督(脚本も)の「HaHaHa」がどうやら、カンヌ映画祭で『ある視点賞』を受賞したらしい。 おめでとう。(^_-)-☆これは革新的な意欲作に与えられる特別賞のようだ。日本の黒澤清監督も過去に一度授賞している。
KAMEさん、みなさん、こんにちは。> キスの日私は娘がちいさいころ、ほっぺにちゅってしてくれるのがうれしくて、おしろいが娘の口に入ったらいけないと思って、以来お化粧しなくなりました。もう娘がほっぺにちゅっ、なんてことはありえませんけど、やっぱりお化粧してません。最近になって、3歳と5歳のお友達がしてくれるようになりました。ちゅっ、が、たまにぶちゅぅーって涎だらけのキスになってることもありますが、それもまたかわいいから許せちゃう。んふふふ
永田洋子 続十六の墓標 連合赤軍敗北から十七年永田洋子(ながた ひろこ、1945年2月8日生まれ)連合赤軍中央委員会副委員長図書館にこの著者の本が3冊あったので一番新しい(1990年2月)本を借りてきた。が、最初の数頁を読んでも理解困難。立花隆なら、本をすこし読んで、自分の読みたい本でないことがわかったら、即その本を読むことを止めよ、ということになる。時間がもったいないと立花は言う。限られた人生だから、読むに値する本だけ読め。そう立花はすすめる。この本の裏表紙に瀬戸内寂聴さんの連合赤軍判決傍聴記の一部が載っていたから借りたのだがとても永田の書いていることは理解できない。もっとも理解したら彼らと同じになるかもしれないが。自分の主義主張(革命活動)のためには、人を殺してもよいと考えるのは歴史上の権力者たちはみなそうだったのだが、殺される方はたまらない。今から30〜40年前には、大学をはじめ日本のあちこちにこういう人たちがいた。その影響は私ですら受けているだろう。あのころのことを少し思い出しました。この本を読んだのは数年前いろんな考えを持つ人はいるけど考えても、心の中で思っているだけなら罪にならないが実行して人を傷つけたり殺したりしたら、法の裁きを受けないといけない。彼女たちも罪があるが、彼女たちをそそのかしたり影響を与えたいわゆる文化人とか思想家や学者なども、何らかの責任があるのではなかろうか。(オウムを持ち上げたり雰囲気つくりをしたマスコミ、一部の宗教家、ノストラダムスの出版関係者などに責任の一部があるように)