みなさん、今日は今日は何の日、3月31日オーケストラの日日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定し、その年から実施。「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せと、春休み期間中であり親子揃ってイベントに参加しやすいことから。教育基本法・学校教育法公布の日1947(昭和22)年のこの日に公布、翌日から施行され、学校教育の6・3・3・4制が発足した。1966(昭和41)年 法務省が、日本の総人口が1億人を突破したと発表 1968(昭和43)年 ジョンソン米大統領が北爆の停止と大統領選不出馬を発表 1970(昭和45)年 赤軍派学生9人が日航機よど号をハイジャック。韓国の金浦空港に着陸し、4月3日、人質と交換で乗り込んだ山村運輸政務次官とともに平壌へ向かう 1981(昭和56)年ピンクレディが後楽園球場で解散コンサート2000(平成12)年北海道・有珠山が23年ぶりに噴火。住民1万6千人が避難今日の誕生日の花:アマナ花言葉:運が向いてくる今日の一句:バスを待ち大路の春をうたがはず 石田波郷 出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
> 著者の吉田幾世は教育者> 外地で役人をしていたり兵隊として行っていた親戚の者からは「今さら思い出すのも嫌だ。現在存在もしていないものを本にするのは止めたほうがよい」と言われたりするが、> 一方ではその頃のことを知らない若い人たちからは「大変面白い、これが実際の日本の歴史なのだから書き残して置く意義がある」とも勧められ、迷った末に歴史の資料として発表する気になったらしい。このメロウ倶楽部にも、メロウ伝承館 フォーラムがあります。http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/私の場合、幼かったため、戦争中のことはほとんど覚えていないのですが町の図書館には、地元の人たちが経験したことや思ったことなどを本に書いたものがたくさんあります。この本もそういった本の一冊ですが、他にも樺太にいたとき、騙されてタコ部屋に入れられて悲惨な体験をしたが命がけで逃げてきた若者がいて、ある一家が彼を匿いそのうち時期を見て彼の故郷の石川県に逃がしてやる話を書いた本もありました。本を書いた人は、この一家の息子で当時は小学生だったらしいです。別の本には、終戦後のインドネシアに残り、インドネシアの独立戦争に参加した日本兵が書いた本もあります。この人はインドネシアの女性と結婚して、子どももたくさんいますが、父親は日本人だったということを家族に記念に残しておくため本を書いたようです。太平洋戦争にまつわる、そういう本は地元の図書館になかなか多いのですが、どうしても気が重くなる本なので、あまり読んだことはありません。この本は内容が比較的読みやすかったから読んだのでした。
著者の吉田幾世は教育者昭和15年から24年までの約10年間、戦前、戦中、戦後の渦の中を婦人之友の記者として日本中を走り回って取材した探訪記事の中から自選したものを編集出版したものである。中には「よき家庭を全満に充たせ」と題して、二ヶ月の連載で発表した満州国の記事は、立派な国策として挙げられていた報道と実際との相違を、拙い婦人記者の目や心に映ったままを率直に書いたもので、満州国の宣伝のために各雑誌社を招待したのに対して、このままでは発禁になるおそれもあると、羽仁吉一社長も心配され、所々消されたりしたという。外地で役人をしていたり兵隊として行っていた親戚の者からは「今さら思い出すのも嫌だ。現在存在もしていないものを本にするのは止めたほうがよい」と言われたりするが、一方ではその頃のことを知らない若い人たちからは「大変面白い、これが実際の日本の歴史なのだから書き残して置く意義がある」とも勧められ、迷った末に歴史の資料として発表する気になったらしい。この本を手にとって読んでみるかという気になったのは長野県岡谷の製糸工場の探訪記事を目にしたからである。一週間、女工たちと同じ部屋に泊めてもらい、見よう見真似で彼女たちと一緒に作業をする。そのうちに食堂の手伝い体験もしてみる。 2月27日 昼 塩たらと切こぶの煮つけ 4銭3厘6毛 2月28日 昼 まるいかと葱のぬた 5銭3厘5毛 3月1日 昼 鰯の丸干塩焼き(三尾ずつ) 3銭3厘 2月2日 昼 うどん(豚肉、油揚げ、葱) 6銭4厘4毛 2月3日 昼 ぼた餅(小豆ときな粉) 4銭4厘2毛 2月4日 昼 鯛のかす漬け 5銭3厘4毛〔北満州開拓団を訪ねて〕昨日お産をした家に様子を見に行く。お産婆さんや近所の小母さんたちの話をここに少し紹介します。母か娘が父親に声をかける。「父ちゃん、子供どもさ、豆盛ってやってけらいん」小母さんたちはうまいうまいと豆をつまみながら、産婆さんも交えて遠慮のないおしゃべりをはじめる。 「満州の方が内地よりよっぽど楽でがす、ただこの寒いことばかり困るども」 「早く春になればいい。なんといっても満州の一番いい時は春先だもの」 「何が不自由だって、海魚食えないことが一番ひどい」 「ほんとに海魚食いたいこと、なめたの大きな奴、ぶつぶつ切って煮て食いたい」 「おら、たごでもいがでもいい」また、大陸の花嫁たちと語る。 「はじめは、あんまり淋しくて、夕方なぞ、佳木斯の灯を見て泣いていたの」 「おら、まだここさ来てから、一回も活動を見ない。先に満拓から来るって随分楽しみにしていたら、とうとう来なかったもの」 これから来るお嫁さんたちに、皆の経験から推して注意したいようなことはないかと聞く。 「おらの夫たら、満州だば何でもあるから、持たなくてもよいというので本当気して来て、へら、杓子まで高い金出して買って、とっても損した」 「おらもだや、せっかく買って貰った箪笥までおいてきてしまって、行李一つの花嫁さんになって来たの」 「やっこい着物などは本当にいらねえども、普段着だばうんと持ってきた方がよいのね」 「おらボロ布なくてつぎ当てたり、雑巾刺すのに困る。おしめばこの間実家から栗を包んで送ってきたども」〔学童疎開の子供たちを訪ねて〕東北の温泉に学童の集団疎開の実情を見学したレポートを読むと昔も母親教育に手を焼くということを発見しました。 ともすれば個人的に愚痴っぽくなりやすい母の愛を、大きな明るい愛情に育ててゆくためにも、今度のことは実によい奮発の機会だと思います。 ある温泉の疎開学園の先生が「生徒の方は日がたつにつれて団体生活に馴れてきましが、実際のところ私たちは今、母親教育に手を焼いているのです」と悲鳴を上げておられました。 そこの温泉は駅から割合近いところにあるので、一般湯治客に混じって、東京方面から学童の家族や知り合いの人たちがかなり入り込んでいるようでした。 困った例として、父親は出征中、母一人、子一人のお母さんが一ヶ月の大部分を子供の疎開先である温泉へ来て暮らすことにして、子供の世話は焼かない約束で別の旅館へ室をとったそうです。 そのうち我慢しきれなくなって、ただの一晩でよいから子供を貸してくれといって連れ出したところ、子供が帰りたいと一晩中泣き明かし、とうとうこの母子は連れ立って山を降りて行ったということです。 これと似た話を、お風呂の中で、あるお母さんが今日着いたばかりの他のお母さんに自慢げにしゃべっていたのです。「先生は、親が傍らにいると里心がついていけないというけれど、私は坊やのおできにかこつけて、今までずっといてみて、つくづくいてよかったと思っているのよ。先生は忙しくて手が回らないし、寮母は若くて気が利かないときているでしょう。とても見ていられないもんだから、私が時々寮母を集めて話をきかせてやったんで、この頃はよっぽどよくなってきたんですよ」 わが子の泊まっている宿屋の二階へ陣取って、日に三、四度もお風呂へ入るほかはブラブラと子供の部屋をのぞきに行って、今日のお菜はなんだとか、あの子の布団はどうだとか、仲間のお母さんたちとヒソヒソ話しをして、先生がどんなに迷惑していらっしゃるかということなど一向頓着なしに、その暇があったら早速手伝って貰いたい仕事は目の前にいくらでもあるのです。〔戦災孤児を浮浪の群れから救うため〕上野駅を中心に人混みの中に群がる浮浪人の群、殊にこの寒空に半裸体、素足のいたいけな子供たちの姿を見る度に、敗戦ほんの悲しさに胸をしめつけられる思いがする。浅草の本願寺地下に浮浪人の探訪をしたり、上野から石神井学園へ連れてこられた七人組の少年たちのレポートが続く。そして石神井学園の栄養失調で療養を要する低学年の子供たちと一緒にトラックに乗せてもらい療養地の温泉に向かうが、燃料不足のトラックは途中で止まってしまい、近くの民家の世話になったりして、苦労の末に塩原温泉新湯へ着く。
みなさん、まいど。> 今日は何の日、3月30日1995(平成7)年国松孝次警察庁長官が自宅前で狙撃され重体 昨日で時効になった、ようですね。 しかし、国松長官という人は、ウンの良いのか悪いのか、兎に角、数奇な運命の持ち主だなあ。 頭は、凄く良さそうだけどーーーー。 Toshichan in Kyouto-fu
> > 小浜逸郎著 洋泉社 2000.7つぎは「死刑は廃止すべきか」です。 これはまず結論を書きましょう。著者の回答は、死刑は社会の運用上必要であるということです。死刑を法的に廃止することは「何をやっても殺されることはないのだ」という考え方を、社会の側から公式に基礎づけてしまことになる。もちろん、死刑を廃止することによって凶悪な殺人が増加するということは証明できないのだが、たとえ増加しないとしても、そういう考え方を基礎づけてしまうことは、人間社会全体から究極責任の考えを抜き去り、最終的には人倫の内的な秩序を崩していくことにつながると考えられる。「万死に値する行為」の概念を人間は捨てないほうがいい。死刑判決は、それがふさわしい場合、宣告されたものの実存を、自分はそういう存在であるという自己確認の意識のうちに限定する。一部の人がそれによって、自分が何をやったのかを知り、初めて罪を悔いる心境に目覚めることも事実であって、人間は自らの尊厳のためにこそ、そういう実存的な状況に導く契機というものも具備しておくことが必要である(むずかしい文章ですね。死刑と判決された者もそうでない者も、自分のした行為と判決の重みを認識するために死刑は必要というのです)。凶悪犯人が裁判にかけられ、肉親を殺された怒りと悲しみでいっぱいの被害者遺族から、判決は軽すぎる、極刑を望むという声がさかんに聞かれる反面死刑制度があっても凶悪犯罪は減らない、犯罪を抑止する効果はないのだし、外国では死刑廃止の国が多い。残酷な死刑は廃止すべきだという意見もあります。この著者は、ひとつひとつの意見を取り上げて、それについて議論を進めていきます。それを全部解説するのは長すぎるし、私にも能力がありませんから、さわりだけ紹介します。くわしく知りたい人は、どうぞこの本をお読みください。前項であつかったように「なぜ人を殺してはならないのか」という問いが倫理の根幹に触れる問いとして成立し、しかもそれに対して絶対的な根拠を持つ答えが見出せるなら「いかなる理由があれ、人は人を殺してはならぬ」という原理が人間社会に絶対的に確立されたことになる。そうすれば「死刑は廃止すべきか」という問いは無用のものになる。なぜなら、死刑は公権力による殺人であるから、いやしくも正義を代表するはずの公権力が「人は人を殺してはならない」という絶対的な倫理に背くことなどしてはならないはずだから。だが前項で論じたとおり「人を殺してはならない」という倫理は、共同体全体とそれを構成する個々の成員の存続のために歴史的に作られてきたものであり、したがってそれは相対性を完全に免れるというわけにはいかない。私たちは「なるべくなら人を殺さないほうがよい」という現実的な知恵の指し示すところに従い、今も歴史の中で、この知恵のより完全な実現に向かって努力する過程を歩みつつあるとしか言えないのである。さてそうだとすると「死刑は廃止すべきか」という問いは、依然として根本から考えるに値する問いである。というよりも、このような問いが未解決のままになお論議されているという事実そのものが、逆に「人は人を殺してはならない」という原理が人間社会に絶対的に確立されているわけではない一つの例証となっている。死刑制度は、いわゆる先進国では、アメリカと日本を除いて、ほぼすべての国が廃止にふみきっている。こんなところから、死刑廃止論者は、日本も廃止にすべきだというのだがなお世界をよく見ると、死刑制度がしっかり残っている国は多い。とくにアジアの主要国家にはほとんどすべて死刑制度はあるのだ。(死刑制度を全面的に廃止した国68カ国 通常犯罪のみ死刑制度廃止した国14カ国 10年以上執行していない国23カ国 死刑制度の存置の国90カ国)中国、韓国、インド、ロシア、およびすべてのイスラム国家には死刑制度はしっかりと存在する。死刑制度の存廃にかかわる意識には、その地域の文化的宗教的な伝統が深く関係しているのだ。たんに主要先進国が廃止しているから日本も右に倣えというのは思慮の浅い考え方である。処刑の実態を見たら残酷で見るに耐えないから、死刑は廃止すべきだということを言う人がいるが、それなら周りのものにとってできるだけ残虐と感じられないような、また本人もできるだけ苦しみが少ないと思われるような処刑方法を案出すればよい話である。死刑されることが残虐でかわいそうだというのなら、被害者が味わわされた残虐さや悲しみはどう考えるのだという水掛け論を呼び込むことになる。こうなると好き嫌いの感情論のレベルになってしまう。死刑廃止論者が必ずとりあげる論拠として、人間の捌きには誤判がつきもので、冤罪の可能性は避けられないから、とりかえしのつかない刑罰である死刑はやめるべきものだというのがある。冤罪の可能性をどう避けるかは、法的な手続きの厳正さの問題であって、「死刑廃止」を原理的に主張するための根拠にはなりえない。たとえ実際に冤罪事件があり、再審の結果逆転無罪になるケースがいくつも見られたとしても、そういう弊害を避けるために唯一なすべきなのは、誤りをゼロにするという理念の実現のために、捜査から判決までの全刑事過程を制度的、技術的、現実運用的にいかにきちんと整えてゆくかということであって、死刑を廃止することではない。
みなさん、今日は今日は何の日、3月30日国立競技場落成記念日1958(昭和33)年、神宮外苑に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。敷地面積は22000坪で約58000人の収容能力を持ち、1964(昭和39)年には東京オリンピックの開閉会式の会場になった。マフィアの日1282年、マフィアの名前の由来となったとされる「シチリアの晩鐘事件」が起こった。当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にあった。1282年のこの日は復活祭の翌日の月曜日であり、晩祷の為に教会の前に市民が集まっていた。そこへフランス兵の一団がやってきて、その土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺した。その場に居合わせたほかの市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまった。そのとき晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから、「シチリアの晩鐘事件」と呼ばれる。この叛乱は全島に拡大し、フランス人は見つかり次第に殺され、その数は4000人以上に及んだ。この叛乱の合言葉「Morte alla Francia Italia anela(全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び)」の各単語の頭文字を並べると「マフィア(mafia)」となり、これがマフィアの名前の由来であるという説がある。シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代ってシチリアの支配者となったアラゴン王家との間に20年に及ぶ戦争が起った。1889(明治22)年 パリでエッフェル塔完成1902(明治35)年 福井市で大火。3200戸焼失 1968(昭和43)年 アニメ『巨人の星』が日本テレビで放映開始。「スポ根もの」のさきがけ 1995(平成7)年国松孝次警察庁長官が自宅前で狙撃され重体1997(平成9)年 福岡県の三井三池炭鉱が閉山。124年の歴史を閉じる 今日の誕生日の花:ダイコン花言葉:適応力今日の一句:大原や日和定まる花大根 飯田蛇笏出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
> 小浜逸郎著 洋泉社 2000.7つぎは「他人に迷惑をかけなければ何をやってもよいのか」です。ここでも著者は丁寧に議論をつめています。それをいちいち書くと長くなるから、私の独断で一部を紹介します。詳しく知りたい方はこの本を読んでください。「他人に迷惑をかけない限り人は自由に自分の欲望を満たしてもよい」というのは、近代自由主義社会の原則である。この原則は、それ自体としては文句のつけようがない。そして現代のように個人主義の浸透した都市社会では、もろもろの「掟」や「...すべし」が、その根拠をさらわれつつあるので、社会で生きていくための倫理的な指針としては、この原則だけが唯一リアリティのあるものとして感じられるようになっている。だが、第一に踏まえておかなくてはならないことは、この原則は、社会的なルール感覚や人と人との間を結ぶ絆を培うための必要最低限の条件にすぎず、けっしてそれらを充実した豊かなものにさせることにとって十分な条件ではないということである。たとえば、援助交際をやっている女子高生の中には、その非を責められると「誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん」と答える子がいるという。これに対して、大人たちは、明確な論拠を持って「いけない」と言い返すことができない。女子高生本人は、自分の行為は人から強制されたものではなく「自己決定」に基づくものであり、しかもそれが他人の権利を侵害していないということであって、それなりに現代の人権社会の基本原則を直感的に踏まえたものになっているから、理論的にはいいじゃないかと思うかもしれない。しかし、ここには考えるべき問題が大きくいって二つある。一つは、援助交際の正当性を言い立てている主体が未成年であることにどういう問題がつきまとうかということ、そしてもう一つは、人間関係の動向は必ずしも「迷惑」という範疇には属さないような心理的影響によって左右されることが多く、人は生きていくためにそのことに配慮せざるをえないということである。援助交際をやっている女子高生にしても、親に知られてもまったく平気というケースは例外中の例外に属するであろう。また普通の親なら、それを知って平気でいられるなどということはまずありえないだろう(たとえ自分がそういう世界を生きてきた親でも、子どものことになると許せない、そんなことは絶対させたくないと感じるのが人情である)。子どものほうもそのことを気にして、親に知られないように秘密に行う。 ということで強引に結論にいきます。 「他人に迷惑をかけなければ何をやってもよいのか」という問いに対してイエスと言えるのは「他人」というのが、自分と直接につきあい関係にない一般的な他者、自分もその一員としての抽象的な「市民」を指す場合であって、この命題の全体が、ただ市民社会的な公共性の原理、法的な原理を示す場合に限られる。人間はそういう原理の及ばない私的な生活感情の領域を身近な他者と共存している。その領域においては、「迷惑」という概念でその悪影響を言い尽くすことはできず、したがってこの命題はかならずしも通用しない。そこで、人倫の原則としては「他人に迷惑をかけてはならない」という命題だけではなく、「自分と直接的なかかわりあいのある身近な他者をさしたる理由もなく怒らせたり悲しませたりするべきではない」という命題を付け加えるべきであろう。 ーーーーーーーーーーーーふと思ったのは反抗期の青年が、親を批判して、親の期待や指示にそむいて出て行ってしまう。それから時間が流れ、その青年もいつしか親となったとき、もう死んでしまった親に対して、自分も親になってみて、当時の心境が変わるかもしれない。迷惑をかけてしまったと反省するかもしれない。(親は死んでしまって、後悔しても、もう遅いのだが)あの武田鉄矢は教育大学を中退してしまうが、ずっと卒業することを期待して親は授業料を送り続けたという。それはムダになってしまったわけだ。後に彼は芸能人として成功し、ドラマ金八先生役として教育界にも大いに影響を与え稼いだ数百万円を母親に渡したところ、母親は深く感謝して、それを神棚に上げたそうな。それ以後、母親は息子の支持者としての姿を演じつづけた。この親子の間には相当の葛藤があり、迷惑をかけたという事実が当事者の認識としてはあったと思われるが、その後の息子の芸能人としての活躍は、成功した親子関係というイメージに定着した可能性は高い。 世の中、結果オーライという面もある。
男爵はん。まいど。> 小浜逸郎著 洋泉社 2000.7> > 「なぜ人を殺してはいけないのか」> こうして「人を殺してはならない」という倫理は、倫理それ自体として絶対の価値を持つと考えるのではなく、また、個人の内部に自らそう命じる絶対の根拠があると考えるのでもなく、ただ共同社会の成員が相互に共存を図るためにこそ必要なのだという、平凡な結論に到達する。 共存をはかるために、戦争でも、何でも許されるわけやなあ??? それが、平凡な結論でっか?? Toshichan in Kyouto-fu
小浜逸郎著 洋泉社 2000.7「なぜ人を殺してはいけないのか」これに続く質問は「死刑は廃止すべきか」などいろいろあり、それらの質問をこの本では扱っていますがここでは「なぜ人を殺してはいけないのか」について考えてみましょう。このテーマはなかなか重いテーマです。人によって答えはいろいろありそうです。この著者は某国立大学工学部の卒業ですが批評家です。そして、そういう著書が多いです。まず、思いつくのは会津若松駅における「ならぬことは ならぬものです」の言葉です。とにかく、いけないことはいけないのだ。http://www.akina.ne.jp/~ichi/nn/index.html瀬戸内寂聴さんも同じような言い方をしています。人間として、していけないことは決まっているでしょう。それをいちいち説明する必要などありません。 あなたは人間なのだから、人間として、してはいけないことはいけないのです。それではこの本ではどう説明しているか考えてみましょう。ひとときマスコミなどでとりあげられたこのテーマに関する知識人たちの議論を聞いていて著者はこの「倫理問答ブーム」に対して不愉快な気持ちをいだいたようです。それを見ていると、必要もないのにただの議論ゲームや言葉遊びをしているという印象を持ったようです。こういう問いを切実に必要としている人は限られている。本当に人を殺してしまったか、未遂であったものの、深刻な殺意を抱いていたことがあって、そのことを内在的に問うようなモチーフをもった人、倫理的な問いや哲学的な問いに深くつかまってしまう傾向を持ち、その問いにどこまでもくらいつくに十分な心構えと思考力をもった人、などである。著者には、この問いを発した若者自身や、それを持ち上げ支えた周囲の若者たちが、これらの動機を持っているとは考えられなかったし、またその問いに対して自力で答えをひねり出そうとするだけの気力の持ち主であるとも思えなかった、おそらくただ、倫理規範が揺らいでいるという時代の気分に後押しされて、ナイーブに、または大人を軽く挑発する意図から、ふとこんな問いを出してみた、といったところが真相だろう。だから著者は、この話を聞いたとき、逆に若者に二つのことを問い質してみたかったという。1. 君は、ほんとうに君自身の切実な必要からその問いを絞り出しているのか。だとすればそれはどんな必要か。君はどんな経済的な契機や精神的な契機からその問いにぶつかったのか。それを聞いたうえで、それに応じた答えを考えることにしよう。2. 君は、その問いを発したものとして、倫理や道徳の起源と系譜について真剣に考え続けていくだけの心の用意があるのか。もし本当にあるのなら私と一緒に考えていくことにしよう。事実、この問いは、本気で発せられたのなら、こうした問い質しを行って、きちんと考えていくための共通了解を持つ必要のある問いである。だがそれがもてないのなら、はじめからこんな問いを出すのはやめたほうがいい。人は普通、別にこんな問いを突き詰めなくても、ある共同体のなかに「汝、殺すべからず」という掟が実質的に機能していさえすれば、その共同体の成員として掟を守ることで十分に生きていけるのである。 このあと、世に発表されたいくつかの答えを紹介して、それらはいずれも不十分であると著者は解説するのですが、長くなるし、詳しく知りたい方はこの本を読んでください。 ということで強引に結論にいきます。こうして「人を殺してはならない」という倫理は、倫理それ自体として絶対の価値を持つと考えるのではなく、また、個人の内部に自らそう命じる絶対の根拠があると考えるのでもなく、ただ共同社会の成員が相互に共存を図るためにこそ必要なのだという、平凡な結論に到達する。
> 中山正和:新・発想の転換法 日本経営者団体連盟弘報部 昭和56年最近またこの本を借りてきた。実は知らないで別の図書館から借りて読み始めると、一度読んだ本だということに気がついた。 (1ヶ月前に読んだのでした)> 日本人は> 右脳で漢字の象形文字としてのパターンを認識して、左脳でカナという表音文字を認識して言葉で理解する。> 欧米人は左脳、中国人は右脳しか使っていないのに対して、日本人は左右の両方の脳を使う。 > 右脳の働きの強い人はカン(感じ)のするどい人、左脳の働きの強い人は意識(言葉)の才能がすぐれた人> 頭をうまくつかうためには、右脳でひらめき、左脳でその説明を考えるとよい。この本の最初のほうで般若心経のことが出てくる。なぜ? と思ったら左右の脳をうまく働かせるためには、頭は柔軟でないといけないわけてありそれが、頭をいつも使わないと、固定観念にとらわれた状態になっていてそれが頭の働きを悪くしているようだ。では、固定観念をどうしてつくらないようにするかその答えは般若心経に書いてあるという。つまり、くよくよしないことである。だが、くよくよするなといったって、それができたら悟りを開いた人である。いろいろなことに悩むからこそ人間であるので、悩みを捨てるというのはなかなかできないことである。この固定観念とは実は具合の悪いネットワーク回路ができてしまってそれがなかなかこわれないからである。その回路を切ろうとするなら、それは左脳の言葉を使わないで直接右脳のイメージに働きかけないといけない。右脳は肉体の経験につながっているから、肉体によって体得することを意味する。あるいは、くよくよしているときは、思い切ってこれを切り捨てようとするなら、そんなことを考える暇がなくなるほど苦しい作業をするとか、絶食に近い飢餓状態に陥るというようなことで、つまりこれは荒行になる。坊さんが荒行をする目的は、こうしていっさいの固定観念を徹底して切ってしまうことにあるので、だから荒行をして悟りを開くこともできるのである。坊さんのするような荒行はしないで、日常の仕事をする中で、なんとか固定観念を切ることはできないか。これはじつは難しい。そもそも問題になっている固定観念のことを考えれば考えるほど、ますます固定観念は強化されるから。そこで方針を変えて、少なくとも新しい固定観念はつくらないようにすればよい。中国の地震予知研究では、動物の異常行動があると地震につながるという報告がある。どうやら動物はそのもっているセンサーによって、一度地震の体験をすると感じたセンサーの反応と地震との結びつきが体に記憶となって残り、それにより次の地震の直前に異常行動をとるのではないかと考えられる。同様に、ある社員の場合、社長の機嫌の悪いときは気配でわかるという。そういうときはできるだけ社長に近寄らないという。逆に社長の機嫌のよいときもわかるから、そういうときに社長のところに行くので、自然に社長とはよい関係となってくる。この社員のような場合を、ツイているという。自分では意識しないのだが、(一度身についた気配を感ずる能力で)無意識に右脳の働きがうまく助けているのである。このようにツイている人の特性として、くよくよ型の人間はいないといえるからこれを裏返せば、くよくよしないようにすればツキがまわってくることになる。 くよくよしない人間→ツキがある 固定観念にとらわれたくよくよ人間→ツキがないつまりこの著者のいいたいことは、右脳でできるだけ自分の役に立つデータを集めておいてそれを後で、発想の転換をして上手に使いこなせというのである。固定観念を断ち切れというからには、発想の転換をするには、まず問題を理性で解こうとせず、問題とは一見関係のない、ばかばかしいようなことも考えてみることである。ここでは、それを発散思考と読んでいる。ともかく、一見ばかばかしいようなことでもいいから思いつく解決法やアイデアを出してみることである。それは今までの常識の枠組みを壊してみることでもある。出てきたいろんなアイデアから、ひとつひとつ考えて、実用化するために改良とか工夫を考えていけば、きっと最善の解決策が思いつくものである。固定観念を排除して、柔軟に右脳をつかって考えて、発送の転換をするという著者の考え方はなかなか理解するのが難しかったが、まあこんなところでしょう。