みなさん、今日は今日は何の日、3月28日シルクロードの日1900(明治33)年、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。スリーマイル島記念日1979(昭和54)年、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で放射能漏れ事故が発生した。世界初の原発事故だった。三つ葉の日「み(3)つ(2)ば(8)」の語呂合せ。1876(明治9)年 「廃刀令」公布。武士の特権だった帯刀が全面的に禁止に 1913(大正2)年 所沢飛行場で着陸寸前の陸軍機が墜落。死者2人。日本初の飛行機死亡事故 1920(大正9)年 平塚らいてうらが新婦人協会を結成 1940(昭和15)年 内務省が、ディック・ミネ、ミス・ワカナ、藤原釜足ら16人に芸名変更を指示 1964(昭和39)年 東大の卒業式で大河内一男総長が「太った豚より痩せたソクラテスになれ」と告辞したと報じられる 1968(昭和43)年 東大の卒業式が学生の安田講堂占拠の為中止に今日の誕生日の花:ソメイヨシノ花言葉:勝れた美人今日の一句:ちるさくら海あおければ海へちる 高尾窓秋 出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
一週間後の韓国行きのため、イメージトレーニングです。この本は、韓国で日本語教師をしたり、ソウルの大学院で韓国の文学を研究した青森出身の女性の本です。 彼女は仙台在住です。1982年8月に韓国に渡った著者は教科書問題で最も反日的だったソウルでの生活は大変だったがそれよりも非常勤講師としての不安定な経済基盤、劣悪な住宅事情電話もない、暖かい風呂もない、共同生活者との生活での台所やトイレの利用の困難さなど毎日の苦労とたたかい、韓国人の押しの強さと詮索好きにへきえきし、それでも8年以上も生活して、韓国の友人も得て、実りある韓国生活から帰国する。ここで印象に残ったのはそれを知っている在日韓国人は乗らないというJR仙山線のことでした。仙山線は枕木一本に朝鮮の人が一人死んだという難工事だったようです。今年1年なるべく東北のローカル線に乗ろうとこころがけ、できるだけたくさんのローカル線に乗ったのは学生時代に鉄道工学を勉強したので、日本の条件の悪い地形に、無理なくSLを走らせるための勾配とかカーブの曲線半などを考えながら、トンネルを掘ったり、橋梁を架けていった技術者の苦労を思ってみることもしたかったのです。もちろん大雨の崖崩れとか、豪雪地域の雪崩対策などという保線技術者の苦労の様子も見て回りたかったのでした。しかし、鉄道建設の工事現場の苦労は大変なもので、鉄道がないから当然ながら交通も不便で、だから食料も、娯楽も、医療も整っていないところに、開拓者の苦労をして建設労働者たちは命をかけて鉄道を作っていったのです。北海道の道路や鉄道はそんなわけで、いくつも悲惨な話が残っています。たとえば、某トンネル工事は過酷な労働下のもとにやっと完成したので、深夜で車を走らせるとバックミラーにダイナマイトで落盤事故死した労働者の血をあびた恨めしそうな顔が浮かび上がるとか。そういう建設工事の労働者は、明治の反政府活動をした政治犯とか犯罪者たち、わかりやすく言えば囚人たちが非人間的な扱いをうけながら、道路や鉄道建設にかりだされたのでした。そして、朝鮮半島や中国大陸からきた人たちの悲惨な労働によって道路や鉄道がつくられていったということは、概略としては感じていましたが具体的にいつ頃、どんな人たちが連れてこられて、命がけでした仕事だったかということはわかりません。仙山線ができた時期から推定されるように、東北・北海道の鉄道の歴史を調べれば、なんとなくそういうことが推定できそうですね。
野崎充彦 大集館書店一週間後の韓国行きのため、イメージトレーニングです。> 北満州の松花江流域の扶余族の解夫婁王や金蛙太子> 金蛙王の柳花夫人の子朱蒙、朱蒙の高句麗建国> 朱蒙の瑠璃王子の百済建国河伯の娘柳花は天帝の子である解慕漱(ヘモス)に誘われ私通したため父の怒りをかい河に流された。扶余王の金蛙に拾われた柳花は部屋の中に幽閉されるが不思議な日光に照らされて妊娠し、やがて大きな卵を産む。王はそれを忌み、犬や豚に与えたところ、食べようとはせず道に置いてみても牛馬は避けるばかり。野原に捨ててみれば鳥や獣が卵を覆って守ろうとするし割ろうとしてもだめなので母親のもとに返してやった。この卵から生まれたのが朱蒙であった。朱蒙はのちに高句麗を建国する。 「三国遺事」、「三国史記」、北魏「魏書」高句麗伝に残る伝説でした。朱蒙には長男瑠璃のほかに、高句麗建国後に生まれた二人の王子沸流(ふつりゅう)と百済の始祖となる温祚(おんじゃく)がいた。彼らは新たな地を求めて南へ旅立った。沸流は臣下の反対に耳をかさず海辺に国を建てたが、土地は湿気が多く水も塩辛く住むことができなかった。いっぽうの温祚は山と川に囲まれた良い土地に臣下たちと力を合わせ立派な国をつくった。それを見た沸流は己の不明を恥じて死に、その臣下たちはみな温祚につきしたがった。その国は発展して百済と国号した。そして、自分たちは高句麗と同じく扶余から出たものであるから、扶余をその姓とすることにした。 「三国史記」このように高句麗と百済は同系であり、しかも百済では温祚ではなく朱蒙を始祖として奉じていた。
著者田村毅は精神科医で大学教員でもある。私の考える「◎○セラピー」とはムンクが絵を描くことで心の悩みから逃れたとか会社の帰りに居酒屋で一杯飲んでストレス解消するアルコール・セラピーなど自分で行うストレス解消法なのですが以下に紹介するのは、この著者が行っている電子メールによるクライエントに行うカウンセリングのことです。まずインターネットの利点が述べられます。・直接医師の所まで行って面談して心の悩みを相談するより、電子メールのほうが楽である。 「メールなら書ける言葉が、言い出せず」・簡便性 いつでも都合のよい時、都合のよい場所から利用できる。・匿名性とプライバシー 新聞や雑誌などで相談する方法がいまも残っているのは、この理由でしょう。・日常生活との乖離 通常の世界で人が人と会うとき、そこに関係性が生じる。上下関係、年齢や性別や身分、それらの影響を受けず自由な状態でカウンセリングを受けられるのは望ましいことである。・自己開示の容易さ 以上の理由からインターネットでは、自分の気持ちが素直に語りやすい。もちろん、インターネットは良いことばかりではなく、問題もたくさんある。それは後ほど述べましょう。インターネット・セラピーの特徴・書き言葉であること 考えながら書くので頭を使う。記録が残るからあとで考える資料になる。・気持ちを表現すること あいまいに書いたり、明確に書いたり、感情をこめたり色々表現ができ、そのことが治療にもなる。・キーボードで表現すること 読みやすい。 手書きなら感情にとらわれ文字も乱れることがあるが、そういうことがなく読みやすい文字が送られる。・孤独であるということ 面談による気遣いがない。・インターネットの治療関係 通常の面談では、セラピストとクライエントの間に転移感情が生じるが、顔の見えないインターネットでは転移感情が起きにくい。 相談内容にもよるが、クライエントにとって自分の弱みをさらけ出す事が少なく、プライバシーが守られるという安全性がある。ーーーーーーーーーーーーー北杜夫の兄の精神科医も述べていたが、彼らの母親は非常にユニークな人で、非常の人と彼らは言っていたが、自分の気持ちをストレートに出す女で、その時の相手に対する配慮が全然ないワガママ人間であった(金持ちの娘という生い立ちもあったろう)。そのため息子たちも嫁たちもたくさん傷つけられたのであったが、長男の精神科医は保身のためもあり、自分のストレス解消法として、モーレツ母親の言ったことしたことを記録しておいたという。そして自分のコメントも(率直な気持ち)。そういう書くということがストレス解消になり、あとで自分たちの行動の正当性の証拠にもなったようである。まさに日記セラピーといえるだろう。インターネットは顔の見えない相手が向こうにいるので、相手が正しいことを書いていないかもしれない。つまり、クライアントが正しく状況を報告していないかもしれないし、場合によっては「なりすまし」て、悩める女子高生の相談と思っていたら、実はおじさんの創作だったということもありえそう。それから、いわゆるフレームなどのように、クライエントがセラピストに対して、誤解や不信感をもつこともありえる。なにしろ文字情報しかないのだから。かつて、私は文部省主催の国立大学・高専の教職員対象の「学生のメンタルヘルス研修会」なるものに参加したことがあった。要するに、大学や高専において学生が諸々の問題を抱えているとき、どうやって彼らに向かい合うべきかということのノウハウを専門家の講演を聞いたり、討論会で情報交換をしたのである。 そのとき、京都の大学の学生相談室のカウンセラーの先生が、日常業務としての学生相談の話をしていたが、私が今どきの学生は電子メールが得意なのもいるから、面談だけでなく、電子メールによる相談もあってはよいのではないかと言ったら、その先生は「確かに学生によっては、面談よりも電子メールによる相談を好む学生もいるから、学生によって面談をしたり、電子メールによる相談をしたりと、使い分けをしている」と答えていた。 それから、よけいな発言「大学では昇格には論文何編の世界で、学生相談にあけくれると論文を書く暇もないであろうから、たとえば学生センターのカウンセラー1年間という経験を論文1編に置き換えるという学内措置も必要ではないか」をしたら、この先生はよく言ってくれたとにっこり笑った。
みなさん、こんにちは今日は何の日、3月27日さくらの日日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二侯のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。1904(明治37)年 旅順港の湾口に汽船を沈めて封鎖する第二次旅順閉塞作戦実施。広瀬武夫少佐が沈みゆく船内で部下を探し、あきらめて引き上げる途中で銃弾をあびて戦死。美談としてもてはやされ日露戦争初の「軍神」に1968(昭和43)年 厚生省が、富山県神通川流域のイタイイタイ病の原因は上流の神岡鉱山から排出されたカドミウムであると発表1977(昭和52)年 大西洋のカナリア諸島の空港滑走路でジャンボ機同士が衝突。死者575人 1990(平成2)年 三菱石炭南大夕張鉱業所が閉山。1030人全員解雇 今日の誕生日の花:ヒヤシンス花言葉:控えめ愛今日の一句:春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな 蕪村出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
みなさん、まいど。 まあどうなるかは分かりませんが、あの騒ぎで下落した株価は半分程戻っています。 一応最悪期は脱したという、投資家の判断ですかね。 Toshichan in Kyouto-fu
> 守屋洋著 プレジデント社 > 老子と荘子、世に老荘思想といわれ中国「道家」の思想である。> すべてのものをあるがままに受け入れて作為を施さない。この世に生を受けたからといって喜ぶこともないし、この世を去るからといって悲しむこともない。どこか仏教につながる思想とも思える。しかし、中国に仏教の伝わるはるか以前に中国に生まれた思想である。 荘子は今から2300年も前の人、老子はもっとそれ以前の人。> 上善は水の如し> 上善とは理想的な生き方のことで、それは水のようなものである。「上善水の如し」は荘子ではなく、老子にある言葉でしたね。生き物にとって必要な水、しかし、多すぎると洪水となる。高いところから低いところに移動する水、その水の力で山は削られ平地が形作られる。エントロピーは増大する。> 先頭にも立たずビリにもならず保身術として最高。思うに、オリンピック優勝候補とマスコミから毎日評判にされると大変なプレッシャーを受け、それに負ける選手も少なくない。ヤワラちゃんこそ偉大だった。日本の選手がオリンピックに活躍するためには、マスコミは自重しなくてはいけない。今のようなマスコミは、贔屓の引き倒しをしているようなもの。誰かのセリフではないが、目立つ日本ゆえ、クジラやマグロの問題も、世界の僻みがその背景にあるのではないか。目立たない韓国は狗食が世界からまだ叩かれないが、もっと韓国が目立つようになったら.....中国の犬猫蛇ほか野生動物食もいずれ世界から非難されるかもしれない。
守屋洋著 プレジデント社孔子は真面目人間だが、世の中には時と場合によっては、真面目だけでは解決できないこともある。発想の転換をする時に荘子はヒントを与えてくれる。老子と荘子、世に老荘思想といわれ中国「道家」の思想である。「老子」はいたって寡黙。固有名詞の類は一つもなく、全編これ箴言集といったおもむきで、ポツンポツンと独り言のような言葉が並んでいる。これに対して「荘子」はすこぶる饒舌である。「老子」が全部で五千余字と短いのに対して、「荘子」は六万余字と長い。しかも、虚実とりまぜた寓話の類をふんだんに使い自説を補強している。「道」とはどんなものなのか。この著者によると・万物の根源に存在している普遍的な実体・万物の運動を支配している根本的な原理この二つの側面を含んでいるものだという。荘子の理想とする人物すべてのものをあるがままに受け入れて作為を施さない。この世に生を受けたからといって喜ぶこともないし、この世を去るからといって悲しむこともない。自分が生きていることも自然現象だとみなし、死についてあれこれ心を煩わさないのである。「史記」老子韓非列伝によると荘子の考え方はつかまえ所がなく、奔放であったから、王侯貴族たちは彼を使いたくても使うことができなかった。・荘子の主張は、老子の教えに基づき、それを発展させたものである・荘子その人は、仕官を嫌って自由人としての生き方を貫いたこと楚の威王から宰相の話があった時「宰相は高い地位だが、宰相になるのは、生け贄にされる牛のようなものです。おいしいご馳走を食べ数年飼育された後に、刺繍の着物を着せられ祭壇に引かれていく時になって、子豚になりたいと願ってもいまさら遅いのです。私をそんな目にあわせないでほしい」と断ったいう。とらわれないこと尭が土地の役人から福、禄、寿が備わるよう祝福を受けた。福とは子孫に恵まれること。禄とはお金に恵まれること。寿とは長生きすることである。この三つが揃うことが人生最高の幸せだと中国人は認めてきたことだから。しかし、尭はそれを三つとも辞退したのである。さすが聖人だと言えないこともない。 福、禄、寿、お断りします。男の子が多いと心配事が絶えない。金持ちになると煩わしい。長生きをすればそれだけ多く恥をかく。いずれも徳を養うにはじゃまなことばかりだから、お断りするのです。だが、役人に言わせると、辞退するのはまだとらわれている証拠であって、ほんものではないのだという。 たくさん男の子が生まれたらそれぞれ天職につかせてやればよい。富に恵まれたら人々に分けてやればよい。聖人は住むところを選ばず、与えられたものを食べ、長生きして俗世間に飽きたら、天帝の住む理想郷に旅立てばよかろう。 無理するな、いいカッコウするな、淡々と生きよ、ありのままでおり、そう役人の口を借りて荘子は述べたということでしょう。上善は水の如し上善とは理想的な生き方のことで、それは水のようなものである。つまり、水のあり方に学べ、それが理想の生き方に近づく道である。 水というのは丸い器に入れると丸い形になり、四角な器に入れると四角な形になる。つまり、相手の出方に応じて、いかようにもこちらの形を変えていく。そういう柔軟性に学べということ。 水がないと地球上の生物は存在できない。そういう大きな働きをしておりながら、自分はというと低いところ、低いところへと流れていく。そういう謙虚さに学べということ。先頭にも立たずビリにもならず 先頭に立つと、いつまでもその地位を維持しようとして無理をするので途中で息切れを起こす。また、先頭に立つと目立つので、敵からも味方からも標的にされて足を引っ張られる恐れがある。いずれにせよ長続きしないし、へたをすると自滅を免れかれない。さればといって最後尾まで落ちてしまうと、厳しい批判を受けて身の置き所に窮してしまう。だから、目立たず、出しゃばらず、中段あたりにつけて、悠々とマイペースで走るのがよしとされるのである。陽子(ようし)が宋の国を訪れたとき、泊まった宿の主人が妾を二人囲っていた。一人は器量よしで一人は醜女。ところが可愛がられるのは醜女のほうばかり。器量よしは相手にされなかった。陽子は不審に思い、宿の主人にわけをたずねた。すると主人はこう答えた。「器量よしのほうは、それを鼻にかけるので、見ているといやになってきます。もう一人のほうは自分をよく心得ており万事控えめにふるまいます。それでかえっていとおしく思えてくるんです」陽子は傍らの弟子たちに語った。「いまの話をよく覚えておくがよい。かりに立派なことをしても、けっしてそれを鼻にかてはならぬ。そうすればどこに行こうと嫌われることはない」
みなさん、今日は今日は何の日、3月26日カチューシャの歌の日1914(大正3)年、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行った。この中で歌われた「カチューシャの歌」が大流行した。独立記念日 (バングラデシュ)1977(昭和52)年、東パキスタンがバングラデシュとして独立した。1947(昭和22)年8月14日に、(旧)インドがヒンズー教徒のインド、仏教徒のセイロン(現在のスリランカ)、イスラム教徒の(旧)パキスタンの3つに分かれたが、パキスタンは国土がインドによって東西に分断された飛び地となっていた。楽聖忌1827年、ドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなった。多くの交響曲を作曲し、「楽聖」と呼ばれた。3日前、甥のカールを唯一の相続人にするように遺言書を補足し、「諸君、拍手したまえ。喜劇は終ったのだ」という有名な言葉を呟いた。29日の葬儀には2万人の市民が参列し、宮廷歌手が棺を担いでフンメルら弟子たちがそれに続いた。しかし、数々の作品を献呈され交際のあった貴族たちは誰も出席しなかった。1945(昭和20)年 米軍が沖縄の座間味島に上陸、沖縄戦の始まり。1971(昭和46)年 多摩ニュータウンの第一次入居開始 1978(昭和53)年 開港4日前の成田空港に過激派ゲリラが突入し管制塔の機器を破潰。開港が5月20日まで延期 今日の誕生日の花:チューリップ花言葉:愛の宣告、魅惑今日の一句:遠山に雪のまだありチューリップ 高田風人子 出典は今日は何の日、毎日が記念日http://nnh.to/及びNHKラジオ深夜便から引用しています。
みなさん、ぷわらさん。まいど。> 今日は何の日、3月25日> 聖母マリアの受胎告知の祝日(Lady day)> 天使ガブリエルが聖母マリアに救世主(メシア)の母となることを告げた受胎告知の日。 この日は、キリスト教の国では休日なのですか? Toshichan in Kyouto-fu