> また、この件に関しお詫びの一言もなく、写真の入れ替えで済めばケッコウなはなし。いずれにしてもABCの企業イメージは、マイナスの方向に大きく揺らいだことは、まず間違いない。それにしても、Toyota側からの指摘がなけりゃ、頬かむりでもするつもりだったんですかねぇ。(@_@;)これ、今朝の中日新聞によると、ニュースブログが指摘したのだそうです。『急加速を示すエンジン回転計の映像をよく見ると、ドアが開き、ギアも「停止」位置に入っていることを示す電光表示がある』と。米国は、反動も強い国なので、これからに期待しましょう。
相変わらずイラク戦争時代の古い手を使うABCは、放送倫理の、それこそABCをもう一度学びなおさなければならない。 また、この件に関しお詫びの一言もなく、写真の入れ替えで済めばケッコウなはなし。いずれにしてもABCの企業イメージは、マイナスの方向に大きく揺らいだことは、まず間違いない。それにしても、Toyota側からの指摘がなけりゃ、頬かむりでもするつもりだったんですかねぇ。(@_@;)
The 800th Uscar(Academy)Awards:● Actor in a Leading Role● Best scenario both for A.B.C tv.,"Toyota's Unintended acceleration"● Actor in a Supporting RoleProf.David Gilbert,"his original demonstration" (OddReuters reported this morning.)
すでに源氏物語の訳本を何度か読み比べてまた解説書なども受験生向きから中学生向きまでいろいろ目に付くものを読んでいます。瀬戸内寂聴訳の源氏物語は全10巻いまちょうど第5巻を読み終えました。本のうしろに系図とか寝殿造の図とか衣装図や簡単な用語集がついていますが何より良いのは、たとえば第5巻では「蛍」「常夏」「篝火」「行幸」「藤袴」「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」の各帖の要旨と原文には書いていないこと、しかし、読者はそこから推察できることなどをわかりやすく解説していることです。第4巻「玉鬘」からこの5巻の「真木柱」までは、玉鬘の身辺のことが多く語られるため玉鬘十帖と呼ばれるのだそうです。寂しく死んでいった夕顔の忘れ形見の玉鬘が召使に連れられて行った先の九州で美しく成長しこのまま田舎でうずもれさせるのは可哀想と、地方豪族の迫る追っ手から必死に船で逃げて都まで来たのはいいが源氏に会わせる手だても見つからず、おつきのものたちが困っている場面でしかも、狭い宿に押し込められ、相部屋をよぎなくされたとき(彼らの最大のピンチ)その相部屋に一緒になった相手が、なんと源氏の命を受けて玉鬘を探しに来た召使だったとはまるで現代の小説ロマンやテレビドラマみたいですがともかく、苦労した玉鬘一行は今をときめく源氏の屋敷にひきとられ、源氏と玉鬘は一緒に暮らすことになります。本当の父親は内大臣(かつての頭中将のこと、葵上の兄弟)で、おりをみて源氏は内大臣にひきあわせるわけです。そして、内大臣はこの突然現れた美しい娘こそ帝の妃にと思うのだが結局果たせず、源氏のほうは別の娘を帝の妃にしてしまいとても悔しがる。でも、玉鬘にふさわしい婿も現れ、その婿の正妻が怒って子供たちを連れて実家に帰ってしまう修羅場もあるのです。そんなこんなで、内大臣は娘の雲居雁が幼馴染の夕霧(源氏と葵上の息子)との相思相愛を邪魔するが、二人の辛抱強さに負けて、とうとう一緒にさせるところまで、この5巻には書いてありました。若い玉鬘が物語本に熱中してそれを書き写すのを見た養父の源氏は彼女に自分の物語論を話します。「物語は作りもので根も葉もないこととわかっていても、上手な作者の手になると本当のように思って感動する。日本紀などの歴史書はほんの一部にしかすぎず、物語こそ神代からこの世に起こったあらゆることが書いてあり、善悪いずれも、この世に生きていく人の有様の、見逃しにできないことや、聞き流しできない心に残ったことなどを書いてある。善人ばかり書いたり、あまり誇張した表現はかえって興をそぐ」この物語論こそ、作者の紫式部の物語論なのです。作者紫式部は、ほかのところでも、虚構と見せかけた小説のほうが、事実を書いたという歴史書よりも人生の真実を書いていると(登場人物の口を借りて)述べています。源氏物語の現代訳にはいるきっかけを与えてくださった「あやさん」に感謝します。
この本はなかなかおもしろかったのですがほかにも似たような脳の機能の本を読みました。 まあ省略しますが。いま私はたいてい 大学図書館で5冊の本を借りています。大学図書館は、毎月何人利用者があって、本を何冊借りられたかという統計をとっています。 年間の統計をグラフで表示して、しかるべき会議で報告します。したがって、本を借りて読んであげるのは、図書館の営業成績に貢献することになるので、応援しているわけです。たまに図書館の事務長さんに会うと愛想がいいのです。私の場合、さらに県立図書館で10冊借りて読みます。元気のよいときは市立図書館で5冊借りますから2週間に20冊読むことになります。そしてあと一箇所じつは借りられる所があるのでそこも利用したら更に10冊なんと全部で30冊借りられます。さすがに、そんなにフル利用するのは疲れますからめったにはしませんが。本を読むことは楽しいし、頭の体操になると思います。ボケ防止ですね。
著者高田明和は三田の大学を出て浜松医科大学名誉教授医学の世界は学問の進歩が激しい。10年前の常識は、いまでは非常識なんてこともある。ある薬や食べ物はよいとされた時代があり、いまはその反対に害があると言われることがある。そもそも 少量なら薬、大量なら毒 というのは酒だけでなく漢方の世界でも昔から言われていたこと。上野の科学博物館にも、そんな展示があります。●脳の栄養失調 1999年の年間自殺者は33000人を越し過去最悪。日本陸軍史上最悪といわれたインパール作戦の30000人の死者を上回った。精神の安定には脳内物質のセロトニンが必要である。現在のうつ病の薬のほとんどは脳内のセロトニンの作用を高める物質である。セロトニンは肉に含まれるアミノ酸のトリプトファンからできる。トリプトファンは我々の体でつくることはできないから、牛乳などの食べ物からとる以外にはない。トリプトファンは、普通では脳内に入りにくい。トリプトファンが脳内に入るには、ブドウ糖が必要である。とくに、食後のデザートとして甘いものをとることはブドウ糖を供給するという点で理屈にかなっている。脳を栄養失調にすれば、うつ病、痴呆など脳の異常はなんでも起こる。●減塩による死亡率 いったい塩辛いものを食べるのは本当に健康に悪いのだろうか。そもそも食塩と血圧の関係が注目されたのは、ある種の遺伝的に変異したラットが食塩に非常に感受性があり、食塩を制限すれば脳出血などにならないという研究から来ている。しかし人間の場合、高血圧の人でも食塩感受性の高い人は多くないということがわかってきた。アメリカの「サイエンス」という雑誌に次のような論文が発表された。1980年代の56の研究の統計は、血圧が正常な人にとって極度の食塩の制限はほとんどよい効果がない。食塩を制限すると、単に心疾患による死亡率が増えるだけでなく、全体の死亡率も増えるという結果が得られている。●喫煙とうつ病の関係 禁煙できない最大の理由は、たばこを吸うことにより快感、または精神の安定が得られることにある。快感を与える脳内の物質であるドーバミンの動態を調べると、ニコチンはストレス時にドーバミンの神経抹消からの放出を増やすことがわかった。これはコカインや覚せい剤などによる刺激の仕組みと同じである。これがたばこは麻薬と同じ依存性があると主張される理由でもある。また、ニコチンはうつ病の際に減少しているセロトニンの増加も引き起こす。このためにうつ病の人、ストレスにさらされている人はたばこに手を出す回数が増えるのである。このように、禁煙が精神の安定に関係するということがこの問題を難しくしている。喫煙利利点とも思えることを述べると、禁煙を主張する人たちから抗議がくる。 私の知人の某教授は禁煙するとイライラ症状になり、その夫人からたばこを吸うよう勧められたが、あれは正しい処置だったかもしれない。●薬の効果に人種差 欧米の医学研究は白人を対象にしているから、そこで効く薬が日本人には効かないことがある。アメリカで得られた結果を日本人にそのまま当てはまるだろうか。また、それ以外の病気の治療法で、日本とアメリカでは異なる方法が用いられなければならない場合もあるだろう。この著者は、とくに食べ物について欧米で得られた結果を、そのまま日本に適用する危険について危惧を持っている。●絶望感が病気を招く 「物事を楽観的に考える人は長生きだ」という感じを持つ人は多いだろう。では、絶望感をもつ人は病気になりやすいのだろうか。統計的には、絶望感をもっている人は高血圧になったり、うつ病になる確率が高いという研究報告がある。ローマ時代の医学者ガレンは「がんはくよくよ悩む人に起きやすい」といっている。この言葉を聞くと、ことの真偽はともなく、がんになるくらいなら悩まないほうがよいと思うだろう。
中山正和:新・発想の転換法 日本経営者団体連盟弘報部 昭和56年日本人は右脳で漢字の象形文字としてのパターンを認識して、左脳でカナという表音文字を認識して言葉で理解する。欧米人は左脳、中国人は右脳しか使っていないのに対して、日本人は左右の両方の脳を使う。人間の左脳は計算機のようなデジタ機能をもち、右脳はアナログ的なパターン認識をする。右脳の働きの強い人はカン(感じ)のするどい人、左脳の働きの強い人は意識(言葉)の才能がすぐれた人で、一人の人間において右脳と左脳の能力が両立することは稀である。頭をうまくつかうためには、右脳でひらめき、左脳でその説明を考えるとよい。そのためには左右の脳をつなぐ脳梁の働きが大切である。つまり、頭の中のネットワークが大切である。 このあと色々な例を挙げて、斬新なアイデアを考え出し説明しているが、それは省略します。 講義や講演に使えそうな内容でした。さて話変わって相手の立場になって考えていない、つまり机上の空論みたいな思考で失敗している例として下記の例を紹介しています。 町会からアンケート用紙がまわってきた。「宮城沖地震のとき水が困ったという。電気、ガスにくらべて水道の復旧は非常に遅れる。本町会では井戸をお持ちの家を調査しておくことにした。アンケート用紙に書いて下さい」井戸の調査してそれからどうしようというか。昔からの家には井戸があるだろうが大した数はない。その後にミニ開発で建て売り住宅が増えたためみんな井戸を埋めてしまった。もし、井戸の地図を作ったりしたら、いざというときみんなそこへバケツを持って集まっていくと井戸はたちまち枯れるだろう、水をもらえなかった人は恨むだろう。戦後の引き上げ体験で極限の人間の非常識行動を知っている著者はこのことを意見として書いた。そうしたら町会だよりのお叱りを受けた。町会は仲よく住みやすい町作りをするためにできあがったことを思い起こしてほしい。著者はせいぜい、災害時には井戸をお持ちの方はどうぞ近所の人に水をあげてくださいと書いておけばよいと思う。 大学に火事の時は消防車を入れるか入れないかで大論争があった。入れることに反対の先生の意見は「歴史的に大学の自由を妨害してきたのは警察機構であり、消防庁は警察機構に属するものであるから、消防車を大学に入れることは大学の自由を犯すことになる」というものだった。火事になって早く火を消したい人の立場になってものを考えないで、理屈でかくあるべきであると考える人の限界である。
5巻では元から密かに綿の種を高麗に持ってきた文益漸のことが述べられてあります。 Wikipediaによると >朝鮮半島へは1364年に文益漸が国禁を犯して元から伝えたという記録が残されている。この本には元につかえた文益漸は、元の順帝をいさめたため雲南に配流されます。その地で子供たちに文字を教え、読書をしてすごすうちに綿の花を見かけ、土地の人から綿花の使い方を教えてもらいます。すなわち、綿花をとって冬の服の中に入れたり糸にして木綿に織って服をつくって着ることを教えられるのです。彼は綿の種を高麗に持ち帰ろうと思うが国外に持ち出すことは厳しく禁じられていたので毛筆の柄に綿の種を隠してもってきたという。彼が配流を解かれた1363年の翌年12月に、彼は綿の種を持って高麗に帰ることができた。日本へは799年、三河国に漂着したインド人がもってきたという記録があるが、それは続かず本格的に栽培され一般的になったのは、16世紀以降のようです。
> 小学生向きの絵本です。> 第1巻は全部神話 2巻ではどうなるでしょう。挿絵を描いているのは1912年生まれの金龍煥で初代韓国漫画家協会会長だが戦前は日本で活躍した挿絵画家で(筆名は北宏二)少年倶楽部などに多くの作品を残している。譚海にも描いてある。http://www12.ocn.ne.jp/~tateyama/tannkai.html日本少年にも描いてある。http://www12.ocn.ne.jp/~tateyama/nihonnsyounenn.html講談社の世界名作全集にもある。http://www.hokutendo.com/gidosyo-sekaimisaku.htmここでは梁川剛一や椛島勝一や松野一夫とならんで名前が出ているから一流だったのだろう。だから絵はきちんと描かれてある。4巻では新羅の王たちが、鮑石亭に流れる水に杯を浮かべて「曲水酒宴」をしているところに後百済の軍隊が押し寄せてきて、王たちが生け捕られる場面が描かれています。 鮑石亭は白兎山人さんの案内で見ましたね。
> 今回↓これを見たら、当時と比べて大きな進展?があるので驚きました。> > http://inoues.net/ruins/wani_hakase.html Panさんよいものを見せていただきました。