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[No.15372] Re: 言語は色眼鏡である 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/17(Thu) 17:35
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もう この話題はお忘れのようですね。 きっと

> イギリスの新聞で泥棒の記事が載っている場合
> よく警察当局は the thief or thieves を捜査している、と書いてあるそう
> です。

> ところが、これがフランス語だとどうでしょうか。
> フランスでは男の泥棒 le voleur と女の泥棒 la voleuse との区別があり
> ます。
> そうするとフランス語で正確に言おうとすると「男の泥棒または女の泥棒たち
> または女の泥棒または女の泥棒たち」と書かなければならないのでしょうか。

> ドイツではどうかと言われても、私のドイツ語の力ではそれはわかりません。
>  ドイツ語の先生に聞いてみましょう。

知り合いのドイツ語の先生に聞いたら
返事をいただきました。
 # 泥棒の場合、一人の泥棒が押し入った、となると
 # とくに男女の別なくDieb男性名詞を使います。
 # 女泥棒だと分かれば、Diebinにします。

 # 泥棒たちの場合は、Diebの複数形を使います。

 # 翻訳する場合は、それぞれの訳者のセンスで
 # いろいろと書けると思います。
 # 一団の泥棒が、中に女も含まれているもよう、etc.
 # などで対応できます。ドイツ語も、分かっている場合に
 # のみDiebinを使います。

というわけで
ドイツ語でも通常は男性名詞を使うそうです。
これが、はっきり女の泥棒だとわかった場合は、女性名詞を使う。
やはり、ある程度は原則的に男性名詞で対応して
女性だと確認できたときには(しかたないから)女性名詞を使う
ということになるようです。


[No.15371] 失敗を恐れない人生術 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/17(Thu) 12:42
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古郡廷治:失敗を恐れない人生術

毎日生きていくのに元気がほしいとき
元気を与えてくれる本をつい読みたくなります。
 
  ーーーーーーーーーーーーーーーーー

怖がっている者は、ものごとが悪い方にいくと考える。だから変化は脅威である。
希望をもっている者は、ものごとがいい方にいくと考える。だから変化は歓迎すべきものである。

いい話は、いい始めといい終わりがあり、その間が概して短いものである
 放送文化賞受賞式で、人間国宝清元志寿太夫が壇上で「私は話が下手でございます。本日はどうもありがとうございました」と挨拶した。

しゃべってしまってバカを証明するより黙っていてバカと思われる方がいい(アブラハム・リンカーン)
話して後悔したことはあるが、だまっていて後悔したことはない(シュルス)

黙っていると間違っていることやバカと思われることは避けられるが、自分が正しいという可能性もなくしてしまう(イゴール・ストラヴィスキー)
完全な沈黙は死者も同然である

年寄りは自分より十五歳は年上の者である(バーナード・バルーク)

若いときは、一日が短く1年は長い。年をとると、1年は短く一日は長いものである(ニキータ・パーニン)

若さは年齢だけではなく心の問題である。年数だけで年をとるわけではない。理想をなくすから年をとるのである。信ずれば若いし、疑えば年寄りである。自信に比例して若く、恐れに比例して年寄りである。希望に比例して若く、絶望に比例して年寄りである(ダグラス・マッカーサー)

  ーーーーーーーーーー

一般に欧米人は沈黙を嫌う。
誰かの講演を聞いた後は、必ず何か質問する。
その質問がピントはずれで、日本人なら質問しないような質問でもすることがある。
日本人は変なことを口に出して笑われることを恐れて、つい質問をしない傾向がある。

しかし
リンカーンは変なことを言ってパカと思われるよりは黙っていたほうがいいと考えたのは
まさに日本人と同じである。
これは欧米人には珍しいと思われる。

欧米では「黙っているのはバカである」という言葉がある。
でも、「沈黙は金」という言葉もあるではないかという人があるかもしれない。
これは、知らないことでもしゃべりすぎる欧米人たちに対して
少しは黙っていなさいという(自戒の)意味の言葉らしい。そうある人の本に書いてあった。


[No.15369] Re: 今日は何の日・6月16日 投稿者:   投稿日:2010/06/16(Wed) 08:11
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KAME(亀井)さん、いつも有難うございます

> 1963(昭和38)年 世界初の女性宇宙飛行士・テレシコワ少尉の乗ったソ連の「ヴォストーク6号」打上げ。地上との交信で「私はカモメ」と呼びかける


「ヤーチャイカ」 でしたね

ザーザーしたノイズのなかから聴こえたのを覚えています


        さんらく亭@甲子園


[No.15368] 今日は何の日・6月16日 投稿者:   投稿日:2010/06/16(Wed) 05:35
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みなさん、今日は
今日は何の日、6月16日
和菓子の日
全国和菓子協会が1979(昭和54)年に制定。
848(嘉祥元)年6月16日、菓子類を神前に供え疫病退散を祈ったという「嘉祥菓子」の故事に由来する。

麦とろの日
麦ごはんの会が2001(平成13)年に制定。
「む(6)ぎとろ(16)」の語呂合せ。
栄養バランスが高く夏バテ解消効果もある「麦とろごはん」の普及を図る日。

ケーブルテレビの日
郵政省(現在の総務省)が1991(平成3)年に制定。
1972(昭和47)年、「有線テレビジョン放送法」が成立した。

ユリシーズの日,ブルームズ・デー
アイルランドのジェームズ・ジョイスの名作『ユリシーズ』では、1904年6月16日の朝8時から翌日午前2時すぎまでの約18時間に18の挿話が展開することから、世界中のファンから記念日の扱いをされている。また、主人公の名前レオポルド・ブルームから「ブルームズ・デー」とも呼ばれる。

無重力の日
地下無重力実験センターがある北海道上砂川町が1991(平成3)年3月に制定。
「む(6)じゅう(10)りょく(6)」の語呂合せ。

家庭裁判所創立記念日
1949(昭和24)年、家庭裁判所が創設された。
家庭裁判所では、「家庭に平和を、少年に希望を」の理念に基づき、主に夫婦関係や親子関係の家事事件の調停・裁判、未成年者の事件の審判、児童の福祉を害する成人犯罪についての裁判等が行われる。

1939(昭和14)年 国民精神総動員委員会が「生活刷新案」を決定。ネオンの全廃、学生の長髪禁止など

1963(昭和38)年 世界初の女性宇宙飛行士・テレシコワ少尉の乗ったソ連の「ヴォストーク6号」打上げ。地上との交信で「私はカモメ」と呼びかける

1964(昭和39)年 新潟市を中心にM7.7の新潟地震。死者26人。日本海沿岸一体に津波。海岸附近で地面が液状化

今日の誕生日の花:ウツボグサ
花言葉:協調性
今日の一句:高野みち歩くもえにしうつぼ草   神尾久美子

出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


[No.15367] Re: 今日は何の日・6月15日 投稿者:   投稿日:2010/06/15(Tue) 11:16
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KAME(亀井)さん
いつも有難うございます

> 1960(昭和35)年 全学連主流派の安保改定阻止統一行動で国会突入を図り警官隊と衝突。東大生・樺美智子さんが死亡

ちょうど50年前の今日なのですね。思い出します(シミジミと)

当時会社の労組書記長をしていました。総評傘下で上部団体からの指示で安保反対国会請願デモへ参加することになり、午後4時ごろ(就業時間内)に組合員約30人を引率して地下鉄で国会議事堂へ向かいました

地下鉄駅から地上へ出たら学生や劇団関係のデモ隊の大群のなかに吸い込まれてそのまま議会正門前まで来ていました。門前では神近市子、浅沼稲次郎などが手を振って激励していました。その頃から雨が降ってきて、だんだんひどくなってきたので我々の隊には若い女性が多く濡れるのが気の毒と思ったため私の独断で一旦地下鉄駅構内まで引き返して様子を見ることにしてデモの隊列から離れました。構内で30分ばかり様子を見ましたが一向に止む気配がないので「わが隊はここで解散!」と宣言して一同それぞれ帰宅の途につきました

私は一旦帰社(日本橋)したあと夜になって独身寮(浜田山)へ帰ったらTVのニュースで国会デモで女子学生死亡の報道をしていました。よく見たらちょうど我々が立ち去った直後の衝突だったのです。もしあのまま現場に居たら巻き込まれていたかも知れないと思うとゾッとしました。翌朝になってその女子学生の名が「樺美智子」と分かって二重に驚きました

大学で社会学の講義を受けた樺俊雄教授の娘さんであり高校生のとき私の兄が家庭教師をしたことがあるお嬢さんだったからです。女生徒で東大へストレートで入るのは珍しかった時代です。歴史に「if」はありませんがもし彼女が生きていたらその後の日本の政治は変っていたに違いありません

あの日のデモ参加は就業時間内で当然会社からは給料カットと譴責処分を拝受しました。更に数日後の追悼集会にも会社に無断で参加して名誉ある処分をいただきました。若気の至りとは面白いものです

あの日、目の前で見た浅沼稲次郎が4カ月後(10.12)日比谷公会堂で刺殺されるとは夢にも思いませんでしたがその日比谷の事件にも不思議な因縁がありましたがそれはここでは割愛しておきます

長々と失礼しました


[No.15366] Re: 今日は何の日・6月15日 投稿者:   投稿日:2010/06/15(Tue) 08:35
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KAMEさん、みなさん、こんにちは。

> 1963(昭和38)年 坂本九の『上を向いて歩こう(スキヤキ)』がアメリカのヒットチャートで1位を獲得

恥ずかしながら、笑い話ではなく家の娘は「スキヤキソング」を本気で「焼肉」と間違えてました。
こんなに身近にアホがいるとは・・・


[No.15365] Re: 白い春風のように/訪問看護婦に誇りを持って 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/15(Tue) 07:55
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> 山本美和:白い春風のように 訪問看護婦に誇りを持って

このテーマ、もう少し続けます。

医療設備の整った病院に入ったのに、なぜ患者は暗い表情をするのだろう。
完全看護なので家族は面会時間が終われば帰ってしまう。長い夜を一人ですごさなければならない。
朝になって、治療が始まると、いい患者にならなければ...と自分を押し殺し、「はい、はい」と医師や看護師の言うことを聞く患者。苦痛もぐっと我慢しているにちがいない。
 
そのおとなしい患者が、家族に対して豹変して「遅いじゃないか、何をしていたんだ」と怒鳴り、時期でもないのに「いますぐメロンを買って来い」とわがままを言って困らせたりする。

患者にとって病院とは、上司の家に挨拶に行って無理やり床の間の前に座らされたような、なんとも居心地の悪い場所ではないのか。
できるだけその人らしく治療ができるようにと著者の看護師たちが気を配っても、それ以上に患者が気遣って、特に医師の前に出ると、借りてきた猫のように変身しているのではないだろうか。

訪問看護を経験すると驚きの連続であった。
想像以上に患者の状態は病院とは違っていた。緊張していないから顔つきからして違っていた。
さらに驚いたのは「いやだ」という言葉をはっきり口に出すということである。「痛い、何するだ」と大声を出す患者もいた。家族のほうも「そんなことされて歩けるようになったら困るで」とリハビリを拒否するケースもあったという。ベッドで寝たきりのほが手がかからないからというわけ(某施設の話みたい)。

こんなことは病院では考えられないことだ。治療がすめばリハビリをし、できるだけ自立した生活をめざす。寝たきりより少しでも座位を、座位ができれば立位を、と著者たちはごく自然に考えてきた。
それなのに余計なことをすると、著者たちの訪問すら拒否されそうな勢いである。
「在宅看護の指導をする」などといった考えは引っ込めて、わかりやすい言葉での説明を繰り返しながら、家族や患者に受け入れられる努力がまず必要だった。

   ☆      ☆

92歳の夫を世話する88歳の妻のケース
夫は末期の胃がんで、自宅で最後を迎えることを希望している。
一種のターミナルケアといえるだろう。点滴に痛み止めなどを加えている。

夫は痩せて骨ばるようになったほか、腰に床ずれができかかっている。
そこを見るために、壁際に向いてもらう。横向きの姿勢を長く続けるのは体力のおちている患者にとってはなかなか大変である。
「おじいさん、その紐を使いなさいよ」「いや、なに、そんなものは...」「大丈夫だろうと思って、紐を結わえ付けたのに、使わない。私のいうことなんか聞かないんだからねえ」と妻はこぼす。
夫は「そんなもののお世話にならなくてもまだ大丈夫」というところか。
顔はやや苦痛でゆがんでいても愚痴をこぼさない。我慢強い人なのである。

妻のとりとめのない話を聞いてあげるのも、いつも病人相手ではストレスもたまるであろうし、一人で看護に当たる不安もあるから、老夫婦二人のためになっている。妻は家事を一人でこなし、ヘルパーなど利用していない。医療保険の訪問看護のみ利用している。
今後、痛みが強くなったり、呼吸困難が生じたりすれば、妻一人では大変なので、そのときはヘルパーに入ってもらい、著者たちもできるだけ頻繁に訪問し妻を支えることになるだろう。

この二人の老老介護はうまくいっているケースである。妻は夫を自宅で診ることをさほど大変だと思っていないし、看護疲れなども今のところない。
それは夫がよい病人だからであろう。寝たきりではあるが、小柄でやせていて軽いから、妻が夫の体を拭くときでも動かすのが楽である。自分でも手足は動かせる。もし、大柄で重くて、脳梗塞などの後遺症があり半身麻痺なら、いくら本人の希望があっても家で看取るのは難しくなる。
夫は排泄の感覚もあり、求めに応じて便器を使用しているから、おむつ交換の必要もない。しかも、我慢づよくわがままも言わない。ぼけてもいない。
妻としても、夫を看取ってから自分ひとりで暮らすつもりである。それがうまくいかなくなったら東京に住む息子のところに身を寄せてもいいと考えている。

今後、妻に最後まで自宅で診てほしいと思う夫はダイエットしなければいけない。男女をとわず看護に一番嫌われるのはデブなのである。そして、妻を先に死なせないように、定年と同時に離婚されないよう夫は用心が肝要。
妻を大事しておけば、将来大事にしてくれるはず。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーー
この本には
ほかにもいろいろなケースが紹介されていた。
両足の膝がうまく曲がらず、歩けないため、家の中では
いざって移動しているE子さん。頭はしっかりしている。
トイレまで行くのは大変なので、紙おむつを使って、ごみ袋に捨てている。
ヘルパーさんから
「介護保険を使って、ベッドもポータブルトイレも入れるよう強く勧めてください」と著者は頼まれる。
しかし、E子さんはこのままでいいという。万年床よりべっドの方が清潔だと考えるのはヘルパーだが、狭いところにベッドを入れたら足の踏み場もなくなる。いまの配置はテレビも電話も手の届く範囲にあるから本人には一番便利なのである。
紙おむつを捨てるまでは自分でできるE子さん
ポータブルトイレに変えたら、たまった中身を捨てなければならない。そうすると一日おきのヘルパーさんは毎日来てもらうように変えなければならない。そうなると、(予算の関係で)ショートスティやデイサービスの利用回数を減らさないといけない。
といろいろ考えて、著者は現在のスタイルが本人にとっても一番よいと判断する。
E子さんには息子がいて、たまには顔を出すと彼女も嬉しいのだが全然姿を見せない。それが、彼女の隠された不満だった。
  それぞれの家族には、そうなるまでの歴史があった。


[No.15364] 白い春風のように/訪問看護婦に誇りを持って 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/15(Tue) 07:24
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山本美和:白い春風のように 訪問看護婦に誇りを持って

看護婦(看護師)でありながら介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を取った著者が働くのは、信州の地。
 
どうも信州では、高齢者のおばあさんが自宅で亡くなるのが当たり前で、病院で死んだら一生後悔すると考えているのが、介護しているお嫁さんのようだ。
介護されているおばあちゃん本人がそういう願いであるのは理解できても、
おばあちゃんを入院させたくない、自分のそばで、おばあちゃんの家で死なせたいというのが、嫁の立場らしい。

善意に考えると、病気を治すには、専門家による治療と、それを側面で支える親しい人たちによる思いやりが必要であるが、入院すれば治療に傾く。痛い思いをしなければならない。しかも世話をしてくれる看護師の数が足らず、十分な心配りが受けられないだろう。年寄りにつらい思いや心細い思いはさせたくない。もう高齢であり高度な医療を受ける必要もないから、年寄りの気持ちを十分理解できる私が最後まで家でお世話しよう。十分尽くさないと私の気持ちがすまない。
そう、お嫁さんは思っているようだ。

「百歳まで生きられたら、お祝いを盛大にするから、みんなできておくれ」と口癖のように言っていたKさんの場合
元気だったのに、秋のころ転んで寝込んでから起きられなくなってしまった。
床ずれがおきないように、お嫁さんが体を動かそうとすると「痛い痛い」と悲鳴に近い声が出る。転んだとき打った腰が痛むのであろうか。その声を聞くと、お嫁さんはつい手を引っ込めてしまう。
一生懸命世話したいと思うお嫁さんでも、看護の専門家ではないから、おばあちゃんの嫌がることはできない。
看護師たちは在宅で直すのは難しいから、入院して治療することを勧めるのだが、
お嫁さんは言う。「もしこのまま、おばあちゃんが病院で死んだら、私は一生後悔するで...」

こう言われて、家族の希望にしたがい在宅訪問を続けた看護師たち。
予想されたことであるが、残念なことに日に日に様態が悪くなっていく。
寝たきりの患者は床ずれを起こして、それが悪化していった。
とうとう、年末にKおばあちゃんは亡くなってしまった。

息子や娘、孫たち大勢の家族に囲まれ、安らかに息をひきとったKさん
お嫁さんは「これで後悔はありません。ありがとうございました」と穏やかな声で医師や著者たちの前で大粒の涙を流した。
 著者たちはよい仕事をしたのだった。


[No.15363] 今日は何の日・6月15日 投稿者:   投稿日:2010/06/15(Tue) 05:37
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みなさん、今日は
今日は何の日、6月15日
信用金庫の日
全国信用金庫協会が制定。
1951(昭和26)年、「信用金庫法」が公布された。

暑中見舞いの日
1950(昭和25)年、暑中見舞いはがきが初めて発売された。

1896(明治29)年日本海溝附近のM6.9の地震により三陸地方に大津波(明治三陸地震)。死者約2万7千人

1960(昭和35)年 全学連主流派の安保改定阻止統一行動で国会突入を図り警官隊と衝突。東大生・樺美智子さんが死亡

1963(昭和38)年 坂本九の『上を向いて歩こう(スキヤキ)』がアメリカのヒットチャートで1位を獲得

1992(平成4)年 「国連平和維持活動協力法」(PKO法)が可決成立

今日の誕生日の花:アジサイ
花言葉:素朴なかわいらしさ
今日の一句:紫陽花剪るなほ美(は)しきものあれば剪る    津田清子

出典は今日は何の日、毎日が記念日
http://nnh.to/
及びNHKラジオ深夜便から引用しています。


[No.15362] Re: 今日は何の日・6月14日 投稿者:   投稿日:2010/06/14(Mon) 21:44
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KAMEさん、みなさん、こんにちは。

> フラッグデー (アメリカ合衆国)
> 1777年、「星条旗」を正式にアメリカ合衆国の国旗と定めた。
> アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていた。しかし、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、ワシントンらがフィラデルフィアの旗作り職人ベッツイ・ロスに依頼し、星条旗を完成させた。第28代大統領ウィルソンがこの日を国民の祝日とした。

はーい、きょうはフラッグデーです。
んもう、だいぶまえからあちこちに旗がはためいてます。
そうでなくでもアメリカ人は国旗大好きなので、旗がじつに多いです。

うちからフィラデルフィアに行く途中にベッツィ・ロス・ブリッジというのがあります。
・・・って、ただの橋なんですけどね。えへへ


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