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[No.15424] 映画の 寅さん のこと 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/29(Tue) 05:52
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寅さんの付き人の書いた本から

第47作「拝啓車寅次郎様」のロケ現場
琵琶湖を前にして、湖面に目をやりながら「死ぬのは、いやだねえ」 1994

第48作「寅次郎紅の花」のロケ現場をしていた湯原温泉  1995
二人で岩風呂に入ったとき
背中を流したら
ふつうは、背中にお湯をかけると、肌がお湯をはじくように、スーッと流れていくのに
このときは、お湯が流れていかず、たちの悪い汗のように、渥美さんの体に、べたべた
と貼りつくような感じだった。
出口に向かう途中で残した衝撃的なひとこと「実はな、シノ、オレはガンなんだ」
表情には、薄い笑みのようなものさえ浮かんでいた。
それで私はピンときた。渥美さんは、おちゃらけたり、冗談めかすときにかぎって、
本当のことを言う人です。
宿屋の女将から頼まれた五枚の色紙ですら書くことが苦痛だったのです。

※小林は、渥美がガンを告白したのは滋賀県長浜だと書いている。
さらに、最後のロケの津山の奥の温泉で、「ああ嫌だ。死ぬのは嫌だね」風呂から
出るときそう呟(つぶや)いて「シノ、おれは先に行くよ」と言った。篠原は
「先に逝くよ」の意味にとり衝撃を受けたと書いている。

篠原靖治:渥美清 晩節、その愛と死 詳伝社(2003)
小林信彦:おかしな男 渥美清 新潮社(2000)


[No.15425] Re: 映画の 寅さん のこと 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/29(Tue) 05:55
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> 篠原靖治:渥美清 晩節、その愛と死 詳伝社(2003)
> 小林信彦:おかしな男 渥美清 新潮社(2000)

1962
「ここに茶碗があるとしよう。これが芸能界だ。で、芸能人とかタレントについて、
何か書いたりする奴は、茶碗の縁にこびりついている固い飯粒なんだ。そんなものだよ」
「ちゃんとした人もいるぜ。何年か前に出た『喜劇人回り舞台』なんて本は、資料
としては立派なものだ。批評眼は全くないけど」
「あれを書いた人は、テレビ局じゃ<セコ>といわれているよ」
「<セコ>って何だい」
「芸人に酒をたかる物書き、記者。そういう連中を<セコ>っていうんだ、おれたちは」(たかが芸人のあえていえば無神経なひとことに、ぼくが気を悪くしたのは、若かった
からといえないこともない。そんな記憶のために後に「日本の喜劇人」を書くはずも
なかったのだが、渥美清の部分を書いた時には、これがきみの飯粒論へのぼくなりの
答えなんだという思いで書いたから、「日本の喜劇人」を彼のアパートに送った)

1964 東京オリンピックの年の正月
礼儀正しいハナ肇、植木等からは電話で新年の挨拶があった。
渥美清は思いついたら連絡するという態度で、赤ん坊の病気で困っている小林の
気分を害した。
・おたく、ハナ肇の芝居をうまいと言ったんだって?
・うまいとは言わないさ。 だって、おれは芝居が下手なのかと迫られて、下手とは言えないだろう。
・そっか、そんならわかる。本気でうまいと言ったんなら、おたくの目が信用できない
と思えたんだ。そんな人じゃないと思っていたからね、おれは。
家の中が暗いのに、よけい暗くなるような言葉だった。
この男とはもう少し距離を置いた方がいい、とぼくは思った。

1969 東大安田講堂の封鎖解除
傷ついた若者たちは、東映のやくざ映画から、男はつらいよの深夜興業に移動して
いったのではないか。その事実を具体的に指摘して、これはまずいと僕に言った
戦闘的な演劇人がいた。

渥美清をめぐって
いろんな人の報告を読みました。
寅さんシリーズの山田監督に対する批判もありましたが。 


[No.15426] Re: 映画の 寅さん のこと 投稿者:男爵  投稿日:2010/06/29(Tue) 05:57
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> > 篠原靖治:渥美清 晩節、その愛と死 詳伝社(2003)
> > 小林信彦:おかしな男 渥美清 新潮社(2000)

もうひとつ紹介します。

「田所康雄が寅ちゃんに吸い込まれてしまいそうだ」という有名な言葉ほど
彼自身の困惑を語るものはない。
松竹もドル箱の寅さんのイメージを壊したくないため、渥美清が他の作品に出るのを
嫌がりはじめたふしがあった。私も二、三、渥美清主演の企画を提出したが、いずれも
却下された。渥美清は寅さんばかりを繰り返し演じ続けることになった。こうなった
場合の役者の心理状態というものは、私には察しがつかなかった。(前田陽一監督、
映画芸術)

渥美清は「ああ声なき友」(原作有馬頼義、監督今井正、松竹・渥美プロ提携作品、1972)をつくる。

渥美清も一時は寅さんの壁を壊そうとした。
しかし、そのうち寅さんをライフワークと考えるようになったらしい。


[No.15655] Re: 映画の 寅さん のこと 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/21(Sat) 13:14
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> > > 小林信彦:おかしな男 渥美清 新潮社(2000)

この本を改めて読んでいます。
最初に読んだ本は公立図書館にあったもので
いま手元で読んでいるのは大学図書館の本です。

著者の小林信彦は両国出身で、下町育ちを自認する。
彼の立場でいえば、柴又は下町では決してない。
それは山田洋次監督の戦略だったと著者は思う。
垢抜けない東京近郊の柴又は、ドラマの中では別な世界になる。
東京のはずれに残る田舎。 しかし、ひょっとしたら、まだ粋といった感覚のかけらが残っているかもしれない世界がある。
 どこにもない寅さんの柴又。しかし、どこかにあってほしい柴又。

渥美清は自分ことを書いた文章の中で一番ひかるのが、松竹新喜劇「寛美の阿呆まつり」のプログラムに寄せた文章である、とそう著者は指摘する。
その中で渥美は、自分は欲張りである、ケチである、自分一人だけができるだけいいものに数多く接し、会い、触れたいと思うと書いている。ほかの役者には、なるべくそんないい目にあってほしくないと本音を書いているわけである。藤山寛美という役者の一挙一動に笑い崩れる観客のうねりに、渥美はネタマシサを感じることを隠さない。観客が心から楽しんでいる。自分も寛美の芝居に満足して、帰る途すがら、よかったなー、上手いなー、憎たらしいなー、と一人でその余韻をかみしめる姿を文章にして、藤山寛美の芝居によせているのであった。
 渥美清は観客と一緒に藤山寛美の芝居を楽しんだ。だが、彼も役者だったから、ライバルとしての嫉妬心があった。たんなる観客には嫉妬心はない。純粋に楽しめばよい。

横溝正史の推薦で「八つ墓村」の金田一耕助をすることになった(テレビで人形佐七をしたとき、松方弘樹の佐七で子分の辰が渥美清だった。この時の渥美の演技を横溝は評価した)。
興行的には「八つ墓村(1977)」はヒットして会社に利益をもたらしたが、批評家たちの評判はよくなかった。
「ああ声なき声(1972)」は評判はよかったが興行としては失敗だった。
著者の小林は、監督の今井正が渥美のよさをひきだすには大物すぎたと分析する。そして、戦後10年くらいの時期の話なのを1972年に作るのは大アナクロニズムであったと分析する。
 私はよいテーマなら時代を超えて訴えるはずと思うのだが、映画そのものが衰退産業になって観客もまじめな映画を歓迎する観客がそういなかったからなのだろうと判断する。
かくして、寅さんのイメージがあまりにも強すぎるので、「ああ声なき声」のためわざわざ自ら出資して、寅さんと違うイメージの作品で自分の可能性を確かめようとした試みは失敗し、「山田洋次が監督した時だけ、渥美清は成功する」という世間の噂を肯定したような結果になった。
体のこともあり、寅さんシリーズが会社の営業に貢献するようになってきて、会社の期待もあり、世間の期待にこたえるためにも、渥美はほかの映画や路線の可能性をあきらめたのだろうか。

寅さんシリーズを総括して
著者は、このシリーズはやくざ映画のパロディであるという。
これをもっと明確に論理的に論文にしたのが佐藤忠男であると著者は指摘している。
それは 1971、キネマ旬報社の「世界の映画作家14 加藤泰・山田洋次」の巻頭の「二人の作家と日本の文化潮流」である。
 果てしなく失恋を繰りかえしながら不死身でいられるというのは一種の恐るべき能力
 「男はつらいよ」シリーズは暴力とファナティックな要素をぬきにしたやくざ映画である
 寅が失恋するたびに、スクリーンの中にも、映画館の中にも祝祭感がみなぎる

ということで、同じ本を読んでいますが、前回気がつかなかったこと(思わなかったこと)や新しい発見などあり、よい本は何度も読んだほうがいいと思います。