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[No.15646] 宗教法人法はどこが問題か 投稿者:男爵  投稿日:2010/08/19(Thu) 09:59
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宗教法人法はどこが問題か
   井上順孝編集  弘文堂

宗教法人法について、それぞれの立場で
賛成反対を述べる人たちの意見を整理して紹介しています。

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宗教法人法は
政教分離の原則に違反するのではないか。宗教団体の自治権を大きく侵害するのではないか。
所轄庁には調査権限が与えられていないので、宗教法人の実態を把握できないという説明があるが、実はおかしい。
1951年の宗教法人方制定以来、文化庁からは毎年、宗教法人に対して庶務の概要及び財産目録、あるいは収支計算書の提出が求められていて、法人側は自主的に協力している。だから、財産内容についても文化庁側は実はかなり詳しく実態を把握しているはずと思うが、そのようには言っていない。
法改正は宗教法人運営の透明性を高め、自治能力を高めるのだと言われているが、はたしてそうなるだろうか。むしろ、一方的な国家の介入による法改正というものは、宗教法人と国とか行政の間の信頼関係を損なうのではないかという心配がある。
今回の法改正は例えると、一部の非行生徒が事件を起こして、これは問題だということで学校側が一方的に校則を厳しく改正してしまうようなものではないか。
生徒も大半は真面目な生徒であるから、最近の学校では校則を改正する場合でも、生徒自身に図って生徒に考えさせるというような民主的な手段をとっている学校が多いと思う。しかも、校則を守るのは生徒自身である。生徒が自主的に納得して校則を守ろうというような改正でなければ意味がないと思う。
  天谷忠央 中央学術研究所所長

(一部の悪い外国人が密入国したり国内犯罪を犯すからといって、外国人に厳しい法律を作って対応するのがいいのだろうか、と言っているようなもの)
(だいたいの会社や国民は真面目に税金を払っているのだから、厳しいチェックをするのはおかしい。一部の不正な会社や国民のために、厳しい規則を作るのはおかしいと言っているようなもの)
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財務関係書類、備え付け帳簿などの提出義務及び開示の問題である。
これについては、そういう財務書類は、宗教法人のいわゆる「俗」の部分の問題にすぎないのだから、そのようなものを所轄庁に提示したって、あるいは一般信者に開示したって、さしたる問題はないのではないかということが大きな論調になってい。
しかし、財産目録とか貸借対照表、収支計算書などの財産関係書類というものは、確かに数字にすぎず、「俗」なる領域の記載という側面が大きいといえるが、その数字の裏側には必ず「聖」なる領域、すなわち宗教団体の信仰・教義や活動というものが密接に関わっているわけで、そういうようなものを数字で反映しているのがこれらの書類・帳簿なのである。家計簿を見ればその家の生活の実態が一目瞭然になるのとほぼ同じようなことではないか。さらには、これらの書類・帳簿には宗教団体などの信者のプライバシーに関わるような問題もしばしば含まれている。
そのようなものを所轄庁が強制的に提出させる、あるいは信者などに開示することを一律に国家が義務づけるということが、はたして現行の宗教法人法という観点から見ていいのかどうかということが、大変問題になろう。
要は、そういう「俗」なる部分に過ぎないとの口実の下に、「聖」なる部分に対する国家からの干渉、介入の契機になるのではないかということが一番の懸念である。
       桐ヶ谷 章  創価大学教授

(聖なる部分と称して、見られたくないもの、見せたくないものがあるようだ。それは何だろう)
(ブライバシーだからといって神社やお寺の建築の際の寄付は公開しているではないか)

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戦後50年たって日本は民主化されたというふうに言われるが、敗戦によって外からもたらされた民主主義というのが、我が国でどのくらい根付いてきたのかが今試されている。社会に存在する集団一つ一つが民主化されるということが、社会全体がトータルに民主化されていく、社会に存在する宗教団体や宗教法人もその例外ではない。だから、ある意味で宗教法人の自己管理、自己規制、自立性の強化ということが、やはり、日本社会全体の民主的な改革の一環であるというふうに私自身は考える。
「どこどこの新聞でのコメントは許すけれども、他では許さない」というワープロでもって大きく書かれたものなどで威かしたり、嘲笑したり、侮蔑した手紙が私のもとに届く。このような手紙をみると、どういう立場で、どういう背景で書いているのかよくわからないが、信教の自由を守るとすれば、表現とか言論活動という、憲法で同じように並んでいる他人の正当な権利については無視して、信教の自由や宗教弾圧の面だけしかみない、このような人にこそ、真の信教の自由を守るために、自由社会・民主主義社会と宗教法人、宗教団体の問題を真正面から問いたいと思っている。
    棚村政行  早稲田大学教授

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宗教法人は非課税の恩恵を受けている。公益法人でも、あるいは非収益団体でもいいのだが、非課税の特典を受けている以上、公益活動をやっているということを対外的に公表、操を立てながら、あるいは社会的に認知されるよう努力してほしい。非課税の恩恵を受ける以上、最低限のことをやることがなぜ信教の自由の侵害になるのだろうかと思う。
所轄庁はこれまでサボって何もやってこなかったのは事実だと思うが、少なくとも解散命令の請求権や、あるいは収益事業に対して、要するに目的外活動に対する停止の命令権がある。だけれども、本来やるべきことをこれまで一回もなってこなかったわけである。つまり、認証取り消しや、目的外の収益事業に対する停止命令はこれまで一軒も発動されていない。行政がサボってきたからである。本来ならば、私はいわゆるアンケートをして任意に答えていただくだけではなくて、そういう取消権や停止権限がある所轄庁として、最低限アンケートを出して調査して、出向いて行って調査するぐらいのことはやってもいいと思う。もちろんそれは任意である。任意であるが、やってもよかった。それを今まで行政はしてこなかった。
今回の質問権は、行政庁をサボらせないための法律だと私は認識している。質問権といっても勝手にできるわけじゃない。宗教法人審議会にいちいち問い合わせしなきゃいけないわけである。そんなことをやっているうちに、問題の宗教団体は知るであろう。所轄庁がこういう質問をしたがってることぐらいのことは、いろんなルートで聞かれようとする団体は知ることができるだろう。そういう意味じゃ秘密性も何もない質問権である。宗教団体に対する迫害だという意見がある。私も、権力あるいは政府は性悪説の立場でとらえるべきだと思う。
しかし、少なくとも宗教の迫害というのは、信仰に対する強制及び信仰を理由とする不利益扱い、これがある場合に信教の自由の侵害となるはずである。しかし、今回の法律改正によって信仰を持つことによって強制あるいは不利益があるということにはならないだろうと私は思うが、いかがであろうか。問題は、まだ今後、認証取消しのあり方、あるいは解散請求の際の保全措置のあり方、それから、税制の検討、あるいは無認証基準をこのままでいいのかと、様々な問題があるので、私自身は宗教が大事であればあるほど、大いにここらへんの問題についても議論してほしいと思う。
        山口 広  弁護士 全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長

     ○     △     ○

それぞれの立場での意見ですが
皆さんはどれが妥当だと思いますか。