> ガロの編集長に頼んでも、白土三平は人嫌いだから会えないと断られ
銀行員をしながら、好きな漫画を描くのはやめられない。 「現代相撲考・無敵」の原稿をガロの編集長に送ったところボツであった。 何かしなくてはいられない彼は、銀行員の少ない夏休みをつかって上京する。 そして、自分の作品のボツになった理由を聞きに行く。なかなか長井編集長はボツにした理由をいわない。 せっかく東京まで来たのだから、あこがれの白土三平に会いたいから紹介してほしいと頼むが、これも断られる。 人間嫌いだから、とても無理だというわけである。
それでも、わざわざ秋田から出てきた矢口高雄がかわいそうだと思ったのか 水木しげるに電話をかけて、水木とは会ってもらうことにした。 さっそく水木しげるの仕事場に行き、自分の作品を見せたら 「うまい、ホントにうまい」とほめられる。 「でも、長井さんには下手だと言われました」というと 「なにを言ってるんだ。ボクは絵描きだよ。その絵描きのボクがうまいと言ってるんだ。長井さんは絵描きじゃない。キミは、その長井さんとボクのどっちを信用するんだい」と嬉しい言葉を聞いて、矢口高雄は元気を取り戻す。
水木しげるから丁寧に描くようにと具体的なアドバイスを受け、秋田に帰って 次の作品に取りかかった。
そうこうしているうちに、彼は近所でドラムを叩いて練習する高校生から 漫画を描いている3人の高校生の友人がいて、彼らは高校を卒業したら東京のプロの漫画家のアシスタントになるという話を聞く。 これを聞いて心穏やかでなくなった矢口は、その漫画家志望の高校生たちに会うことになった。 佐藤貞雄、樋渡育夫、佐々木久の3人であった。彼らは大阪劇画の佐藤まさあきの工房に入った。 (増田町のまんが美術館にこの3人の原画があったようだ)
彼が描き上げた「長持唄考」はとうとうガロに掲載された。 それは二九歳の春だった。 その年の夏に、彼はまた上京してガロ編集長の所に行く。 第二作「ひとつねた」は出稼ぎの父の帰りをまちわびる幼い兄妹の話だったが 即採用された。 そして、白土三平に会いたいとまた紹介を依頼するが、長井編集長はいい顔をしない。 だが、矢口高雄は手を打っていた。 池内誠一という新人漫画家の絵が白土三平に似ていたから、もしかしたらア白土三平のアシスタントではないかと思ってファンレターを出したのだ。 やはり、かれの推理は当たっていて、白土三平のアシスタントだった池内誠一を頼って、念願の白土三平と会うことができた。
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