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[No.15697] おとなのための星の王子さま 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/01(Wed) 10:57
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小島俊明:おとなのための星の王子さま、筑摩書房

いちおう
これを読むみなさまは
内藤濯訳「星の王子さま」
を読んでいるという前提で
私のコメントを書きます。

原著「星の王子さま」→小島俊明「おとなのための星の王子さま」→私のコメント

子供のころサン・テグジュペリが読んだ本に
「一匹の獣を飲みこもうとしているウワバミ」の説明がのっていた。
それから、子供のサン・テグジュペリは帽子の絵を描いて大人に見せる。
そして、大人にこわくないかと聞くと、大人はどうして帽子がこわいのかと逆に子供の彼に聞く。
それから、サン・テグジュペリはおもむろにウワバミの腹の中にいる象を絵を描いて説明する。
 いま、私が気がついたのは、実際に蛇が飲み込むと、こんなふうにはならないのではないか。
 すなわち帽子の上の方の曲線の形はよいとしても、底辺の直線のラインは不自然ではないか、なにしろ象の足だけなのだから、何か凹凸の曲線となるはず。
 つまり、ツチノコ形となるのではないかと気がついたのです。
 もっと意地悪にいえば、サン・テグジュペリは本での知識だけで、本当の観察をしたのではない。
 子供は大人より細かいところを見ています。だから、蛇が獣を飲み込んだのを見て帽子のような形のものを見つけたり考えたりしたのではないでしょう。
  都会の子供が本で虫や動物のことを知っても、実物を見たことがないから、カブトムシが死んだら電池が切れたと錯覚するようなもの。そう思ったのでした。

まあ、子供になったつもりのサン・テグジュペリが、やはりこの帽子の絵をニューヨークのあるレストランで見せて、その人が出版社の社長だったために、子供向けの本「星の王子さま」が生まれることになったわけですが。
だから、この「星の王子さま」はフランスよりも先にアメリカで出版されたわけです。

作者サン・テグジュペリは
「星の王子さま」で
かんじんなことは、目に見えないのだ
ほんとうのものは目に見えないから
どうしたら、目に見えないものが目に見えるようになるのであろうか
というテーマを何度も繰り返します。

王子さまは、大事な花のことを思い出します。
その花は、しかし、ワガママのようです。まるで女のような印象です。
男に対してつれないそぶりをみせる女のようです。そこには、サン・テグジュペリの思いが反映しているのでしょう。

それから
王子さまに「飼いならすとは」という言葉の意味を伝える狐が出てきます。
狐のいう「飼いならす」とは「絆をつくる」ということです。
飼いならすためには、手間ヒマをかけて、よい関係をつくることです。
狐が「きみが午後4時に来るとすると、もう3時から嬉しくなりはじめる。時間がたつにつれ幸福感が増してくる。4時にはもうそわそわして、幸福の値打ちというものを発見するわけだ」と例をあげて説明してくれます。
 友情とか信頼関係が生まれるまでには時間がかかります。
 江戸の遊郭で、花魁とねんごろになるのには何度も通わないといけないというシステムも、この狐の飼いならし理論の実践だったかもしれません。
 もっとも、何度も通わせて金を使わせるという目的があったのも主な理由でしょうけど。

こうして、王子さまと狐の間に絆が創られ、密接な結びつきができますが
やがて、狐と別れます。
狐は別れるとき、王子さまに言います。
ものごとの本質は、目では見えない。 心で見ないと、ものごとはよく見えない。

最後に、王子さまは毒蛇に噛まれて死にます。
そうすることで、王子さまは自分の星へ帰っていくのです。
ということで、この話は終わります。

しかし、いったい死んだら自分の星へ帰るということはどういうことなのでしょう。
死んで帰るところといえば、フランス人なら天国をさすのでしょうか。
星の王子さまは、そもそも天国から来たのでしょうか。それなら、エンゼルだった?
王子さまの話からすると、そこはわれわれの考えている天国とは違うようです。
タイムマシンとか宇宙ロケットを使って、もといた星に戻るというのなら、まだわかるのですが
私には蛇に噛まれて死んだ王子さまが、自分の星へ戻ることができたとは、全然信じられないのです。
もっとも、それをいえば、王子さまの話に出てくる
飲み助の星も、点灯夫のいる小さな星も、引力とか空気のことを考えたら不自然です。
星から星へどうやって移動してきたのでしょうか。
まったく説明不足です。
サン・テグジュペリのつくり話だから、それはしようがないのですが。

そもそもが、私には
星の王子さまが自分の星に帰るために
蛇に噛ませるという方法しかなかったのでしょうか。
それが不思議で納得がいかないのでした。


[No.15698] Re: おとなのための星の王子さま 投稿者:   投稿日:2010/09/01(Wed) 19:43
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 男爵さん、みなさん、

> 小島俊明:おとなのための星の王子さま、筑摩書房

 あっしはその「星の王子さま」をいい加減にしか読んでいませんのでここに出てくる資格はありませんが、この箇所は王子様では大事なところのようですね。かれはapprivoiserということばを持ち出してきます。

 これはグーグルでも、仏→日のばあい「飼いならす☆」仏→英で「tame★」とでてきます。

 絆というのはキツネにいわせたことばで、その実、著者のことばです。

 仏和などをみると、この単語は、野生の動物だけでなく人間にも使われるようですね。どうしようもない大人とか子供をなんとか大人しくさせるという場合に使われるのでしょうね。いまさっき見つけたのですが、エロイサ・ジェイムスという女流作家に「The Taming of duke」とかいう題の本があることを知りました。ラルースs'apprivoiserの訳語としてto become more sociableを採用しています。

 また、時間がかかるといわれましたが、たとえば、よくヨーロッパの言語をやると、相手を呼ぶのに親称、敬称のふたつがあり、よほど親しくならないと親称は使えない、などとあります。たとえば、ドイツ語のDu,Sieなど。

 ☆ じつは飼いならされた、となっていましたが、これは不定法ですから当然「飼いならす」でなければいけません。(^_-)-☆

 ★ tameも to tameではないでしょうか。

「おとなのための星の王子さま」は1995年刊行の本だそうですね。ということは、ノストラダムス・ブームを思い出すと、またまた違う解釈が現れる可能性があること。これは否定できません。

 たとえば、岩波の版権が切れた2005年には8種類の新訳が現れました、なにか異常!

 だいたい、王子と云う訳語自体にも紋題がありそうですね。有名なマキャベッリの「君主論」も、フランス訳ではLe Prince(もとはイタリアなのでIl Principeですが)となっています。

 大公と訳すのが適当だが、最初に訳した内藤濯が王子とやってしまったというひともあります。星の王子の「星」もオリジナルタイトルにはなし。なかには日本語題名を原題そのまま「プチ・プランス」としたものもあります。(川上勉・甘利美登利訳グラフ社刊。)

 それから、科学的不正確さについては、あれは子供大人をとわず、すべてのひとに向けて、と云うことにはなっていますが、やはりいちばん読んでいるのは子供たち*ではないでしょうか。

 ま、かれの大きな目的の一つは「教訓」をたれることであり、科学知識の普及ではなかったと、愚老は考えます。とすると、そこをあまりほじくってはと云う気もしてきます。(^_-)-☆

 そういうものならフランスでいえば、ジュール・ヴェルヌに求めたら、とも思います。

 ま、以上色々書きましたが、これはどうか、非科学的な紋爺の寝言とお聞き下さい。(^_-)-☆これは反論ではなく、ただの感想です。(^_-)-☆

 * 序文で、この本を「大人に捧げたい」と書きながら文末では「子供だったころの」レオン・ウェルトに」で結んでいます。