漫画家杉浦茂は2000年4月に亡くなった。 彼は田川水泡の弟子であった。 この本は杉浦茂自身の自伝原稿に加えることアシスタントだった斉藤あきらの原稿 さらに杉浦茂をよく知る二人の編集者井上晴樹と後藤繁雄の原稿とからなっている。
画家志望だった杉浦茂は知人の勧めで、のらくろの田川水泡の弟子となる。 その当時、田川の弟子には倉金章介(あんみつ姫)と長谷川町子(サザエさん)がいた。
アシスタントをした斉藤あきらには、好きなように描けばいいと言って おおらかだったという。 杉浦茂自身は美術学校には行かなかったが、洋画研究所というところで油絵の勉強をし帝展にも入賞している。 だからデッサンの基本はできているので、思うまま気ままにマンガを描いていたような気がする。 杉浦茂の漫画はとにかく面白かった。他の漫画家にはないユニークさがあった。
斉藤あきらは杉浦茂の手伝いをした後、高野よしてる、横山光輝の手伝いをする。 現代のようにアシスタント制度がまだなかった頃の話である。
斉藤あきらは、鈴木光明から若き日の赤塚不二夫を紹介される。なんと斉藤あきらと赤塚不二夫は実は近くに住んでいたのだ。 鈴木光明は石森章太郎と「東日本漫画研究会」を主催していた。 それから、宮城県から上京した石森章太郎は赤塚不二夫のところで世話になってから、トキワ荘時代を迎えるのである。 したがって、トキワ荘以前の赤塚不二夫が、斉藤あきらの絵を見て杉浦茂そっくりだと言ったのは、赤塚不二夫も杉浦茂の漫画をよく知っていたからである。 赤塚は斉藤に自分も杉浦茂の漫画が好きだと言ったという。 のちに赤塚不二夫は、「レレレのおじさん」で杉浦茂からアイデアをもらったと自分で言っている。
杉浦茂の漫画の登場人物には、食べ物の名前が多い。 コロッケ五えんのすけ、ジャガタラいものすけ、コッペパンタロー ふうせんガムすけ、やさいサラダのすけ、ちくわあなの守(かみ) するめいかのすけ、フライビンズのすけ、くしカツ十円のじょう おおめしくうぞう、たんげ五ぜん、あんこすきの守、まるいだいふく ろくどうざん、やきぶたにいちゃん、らっきょうぼうや
これらは 宮尾しげを「団子串助漫遊記」の影響か。 アンパンマンのやなせたかしも宮尾しげをや杉浦茂の影響を受けているかもしれない。
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