[掲示板へもどる]
一括表示

[No.15775] 西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/18(Sat) 08:15
[関連記事

西條八十の自伝から
これを書いているうちにPCの調子が悪くなったので
とりあえず最少のメモ書きだけしておきます。

竹久夢二と一緒に赤城山のぼりをしたとき、「宵待草」は一番しかないのはものたりないと著者が竹久にいったら、それでは君が二番を作ったらと言われたという。
それで西條八十は「宵待草」の二番の詩をつくったという。この詩は評判がいまいちである。

「東京行進曲」の映画主題歌をつくることを頼まれて、無名の詩人の詩の一節
「青い銀座の瓦斯の灯に粋な年増のすすり泣き」を想い出して
「昔恋しい銀座の柳 仇な年増を誰が知ろ ジャズで踊って、リキュールで更けて 明けりゃ彼女の涙雨」とつくったという。
あとで、中山晋平の意見を聞いて「明けりゃダンサーの涙雨」に変えたという。
四番は最初は
「長い髪してマルクス・ボーイ 今日も抱える『赤い恋』」だったが
これをビクターの文芸部長から官憲がうるさそうだから書き換えよと言われたので
「シネマみましょか、お茶飲みましょか、いっそ小田急で逃げましょか」
と直したという。

霧島昇とミス・コロンビヤが「旅の夜風」の唄を吹き込むとき、世間の噂では
霧島の求婚に対してミス・コロンビヤがなかなかよい返事をしないということだった。
松竹が「愛染かつら」のあとに「純情二重奏」という映画をつくることになり、またも著者に主題歌の作詞を頼む。
唄ができて吹き込みの時、霧島昇と一緒に歌うのは新人女優の高峰三枝子
ところが誰が見ても二人の仲が異常によろしい。スタディオでその空気はみな感じた。
それからまもなく、霧島昇とミス・コロンビヤの結婚発表があり世間をさわがせた。
レコード関係者は、高峰の出現が躊躇していたミス・コロンビヤに決意を促したのだろうと噂したという。


[No.15777] Re: 西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/18(Sat) 13:00
[関連記事

西條八十 唄の自叙伝(人間の記録シリーズ29巻)  日本図書センター 1997

西條八十(1892−1970)
 昭和31(1956)年の
 この本のあとがきで、著者は初版が出て約10年たったこと
 新版の校正をみながら、この10年間に亡くなった中山晋平などのことを思い出したなど書いている。  

> 竹久夢二と一緒に赤城山のぼりをしたとき、「宵待草」は一番しかないのはものたりないと著者が竹久にいったら、それでは君が二番を作ったらと言われたという。

著者は記憶違いをしていて、このときの竹久夢二の旅姿は、黒衣に袈裟掛けの僧形であったという。

> 「東京行進曲」の映画主題歌をつくることを頼まれて、無名の詩人の詩の一節
> 「青い銀座の瓦斯の灯に粋な年増のすすり泣き」を想い出して

著者は、故秦豊吉の作だと思っていたら、そうではなく雑誌「文章世界」の投稿家であった「森れじな」というやはり夭逝した若人の作品であったことを小島政二郎から教えられたという。

> あとで、中山晋平の意見を聞いて「明けりゃダンサーの涙雨」に変えたという。

中山晋平はよくこういうことをしたらしく、野口雨情も似たようなことをされている。


[No.15782] Re: 西條八十 投稿者:   投稿日:2010/09/20(Mon) 14:11
[関連記事

 男爵さま、まいど。

> 西條八十 唄の自叙伝(人間の記録シリーズ29巻)  日本図書センター 1997
>
> 西條八十(1892−1970)
>  昭和31(1956)年の
>  この本のあとがきで、著者は初版が出て約10年たったこと
>  新版の校正をみながら、この10年間に亡くなった中山晋平などのことを思い出したなど書いている。  
>
> > 竹久夢二と一緒に赤城山のぼりをしたとき、「宵待草」は一番しかないのはものたりないと著者が竹久にいったら、それでは君が二番を作ったらと言われたという。
>
> 著者は記憶違いをしていて、このときの竹久夢二の旅姿は、黒衣に袈裟掛けの僧形であったという。
>
> > 「東京行進曲」の映画主題歌をつくることを頼まれて、無名の詩人の詩の一節
> > 「青い銀座の瓦斯の灯に粋な年増のすすり泣き」を想い出して
>
> 著者は、故秦豊吉の作だと思っていたら、そうではなく雑誌「文章世界」の投稿家であった「森れじな」というやはり夭逝した若人の作品であったことを小島政二郎から教えられたという。
>
> > あとで、中山晋平の意見を聞いて「明けりゃダンサーの涙雨」に変えたという。
>
> 中山晋平はよくこういうことをしたらしく、野口雨情も似たようなことをされている。

 昔は、著作権なんかには、ごちゃごちゃ云わずのんびりしてたんですね。

 今は、Twitterでは、「千の風になって」の作詞者という日本人が「新井 満の盗作だ」ということで
上げて、もめてるみたい。
 もともと、アメリカでの、作詞,作曲の歌の筈で、詩も直訳に近い形で作られた筈ですがーー。
 たかだか、訳詩者**。作曲不詳。くらいが正しいと思うんやけど。

                                 Toshichan in Kyouto-fu
 


[No.15786] Re: 西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/21(Tue) 07:22
[関連記事

Toshichan  こんにちは

> > > あとで、中山晋平の意見を聞いて「明けりゃダンサーの涙雨」に変えたという。
> > 中山晋平はよくこういうことをしたらしく、野口雨情も似たようなことをされている。

西條八十にしてみれば
ジャズを踊ったり、リキュールを飲み交わした二人も、歓楽は一夜にして終わって翌朝は別離の涙であるという、刹那的享楽を風刺したつもりだったのだが
中山晋平から「彼女の、というところを、ダンサーのとさせて頂きたいので、そうすれば曲にはずみがついてごくいいんですが」という注文を受け入れた。
当時の中山晋平といえば、日本中の歌謡曲、民謡曲を一人で背負っているような存在で、この人の手にかかれば流行らぬものなしという人気だったから、意見に従うしかなかった。

だから、この歌の最初の原案の歌詞が変わってしまって、なぜダンサーが泣くのか、作詞者にもわからないものになってしまった。
しかし、この歌は流行りに流行って、当時のレコードで二十五万枚を売り出すに至った。
後年、「愛染かつら」のレコードは売上数百三十万枚といわれ、レコード界空前の売高と讃えられたが、その時代民間にあった蓄音機の台数を数えると、あるいは「東京行進曲」のほうが売上枚数において優っていると説く人もいた。

この歌詞については、東京をあまり退廃的に描いたのが不適当だと「江戸っ子の面汚し」という非難が相当あった。
「いっそ小田急で逃げましょか」と書かれた鉄道会社から最初は抗議されたそうだが、そのうち宣伝効果があったことを知った鉄道会社は、作詞者に無料の乗車券を送ったと別の本に書いてある。

これほど流行った「東京行進曲」に対して、ビクター会社は西條に三十円しか払わなかった。
まだ専属契約もできていなかったので印税なども支払わなかった。
楽譜などもむやみに出たようであるが、たいてい無断出版で、たったひとつビクター出版社という出版社が、三十円か五十円を届けてきた。
そのうち楽譜の無断出版が多いのに業を煮やした中山晋平が、弁護士と相談して法的手続きを取り全国の悪楽譜出版業者から相当の謝礼をはき出させたと話は聞いたが、中山から西條に仲間に入るよう話はなかったという。

当時はまだ作曲が主、歌詞が従という観念が音楽界にもレコード業者にもあったようである。
西條八十もだんだん大衆歌謡に身を入れるにつれ、歌詞にも作曲と同一価値権利を認めることを主張するようになっていったのである。

>  昔は、著作権なんかには、ごちゃごちゃ云わずのんびりしてたんですね。

いまは作詞が主で、作曲は従ですね。先に歌詞が作られ、それに対応して作曲されるというシステムが定着しています。古賀政男がこれが正しい手順だと言ったことを記憶しています。
たまには逆の手続きでできる歌もありますが。


[No.15788] Re: 西條八十 投稿者:   投稿日:2010/09/21(Tue) 13:11
[関連記事

 男爵さん。まいど。

> 当時はまだ作曲が主、歌詞が従という観念が音楽界にもレコード業者にもあったようである。
> 西條八十もだんだん大衆歌謡に身を入れるにつれ、歌詞にも作曲と同一価値権利を認めることを主張するようになっていったのである。
>
> >  昔は、著作権なんかには、ごちゃごちゃ云わずのんびりしてたんですね。
>
> いまは作詞が主で、作曲は従ですね。先に歌詞が作られ、それに対応して作曲されるというシステムが定着しています。古賀政男がこれが正しい手順だと言ったことを記憶しています。
> たまには逆の手続きでできる歌もありますが。

 これは、一つに日本語の音韻構造があるかもしれへん。
 日本語のアクセントは、強弱アクセントでなく、高低アクセントなので、音符の配列が、
高低アクセントに近く無いと、唄い難く,聴き取り難いことに、あるらしい。

 演歌が年寄りに唄い易いのはその所為もありそう。ニューミュージックの系統は
聴いていると、疲れるというのは、曲優先で、逆のアクセントに作曲してあるためかもーー。

                           Toshichan in Kyouto-fu

                              


[No.15789] Re: 西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/21(Tue) 13:17
[関連記事

みなさん こんにちは

>  日本語のアクセントは、強弱アクセントでなく、高低アクセントなので、音符の配列が、
> 高低アクセントに近く無いと、唄い難く,聴き取り難いことに、あるらしい。
>
>  演歌が年寄りに唄い易いのはその所為もありそう。ニューミュージックの系統は
> 聴いていると、疲れるというのは、曲優先で、逆のアクセントに作曲してあるためかもーー。

Toshichan説はあたっているように思われます。
人間に優しい演歌、そうでないニョーミュージックでしょうか。
                              


[No.15793] Re: 西條八十 投稿者:Pan  投稿日:2010/09/22(Wed) 11:16
[関連記事

男爵さん、Toshichan、みなさん、こんにちは

>>  日本語のアクセントは、強弱アクセントでなく、高低アクセントなので、音符の配列が、
>> 高低アクセントに近く無いと、唄い難く,聴き取り難いことに、あるらしい。

    〜〜〜〜〜〜

>Toshichan説はあたっているように思われます。
>人間に優しい演歌、そうでないニョーミュージックでしょうか。

 学生時代に何の気の迷いか山田耕筰の『作曲法』の本を読んだことがあります。
 その中で、滝廉太郎の荒城の月を綿密に取り上げて、ボロクソに書いてあったことだけ覚えています。

 アクセントと曲の高低ががチグハグなので、何を言っているのか判らないと。                               

 この時、思ったことは、そんな厳しいことを言っても、歌詞の一番で合わせたら二番はどうなるのだろう?
 もう一つ、関西と関東ではどうなるのだろう?

 その後考える機会がありませんでした。(^-^)


     ***** Pan *****


[No.15794] Re: 西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/22(Wed) 12:05
[関連記事

Panさん、Toshichan、みなさん、こんにちは

>  アクセントと曲の高低ががチグハグなので、何を言っているのか判らないと。   

>  この時、思ったことは、そんな厳しいことを言っても、歌詞の一番で合わせたら二番はどうなるのだろう?

一番にあわせても二番の歌詞ににあわないこともありそうです。
その場合は作詞に注意が払われないといけないでしょうね。

古関裕而の作曲したものは、詩によくあっていると言われます。
彼は独学で音楽を勉強したようなものですが
若いとき、お寺の住職に頼まれて、詩に曲をつけることをやっていたのが、後で作曲に役に立ったと述べています。
古関裕而は、私淑していた山田耕筰の推薦でコロムビア専属の作曲家に迎え入れられたのです。


[No.15844] 日本語のアクセント大切に 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/01(Fri) 21:10
[関連記事

> Panさん、Toshichan、みなさん、こんにちは

> >  この時、思ったことは、そんな厳しいことを言っても、歌詞の一番で合わせたら二番はどうなるのだろう?
>
> 一番にあわせても二番の歌詞ににあわないこともありそうです。
> その場合は作詞に注意が払われないといけないでしょうね。

金田一春彦の本「ケヤキ横丁の住人」を読んでいます。
あとでくわしく紹介するつもりですが
ここの話題の関連のことが出ていたので
とりあえず紹介します。

金田一春彦は金田一京助の長男ですが
若いとき歌うことが好きで、作曲家本居長世のところに出入りしていました。
本居長世は本居宣長以来の国学の家の六代目に当たるため、言語や文学に造詣が深かったのです。
日本語のメロディは日本語のアクセントを活かして作るべきだということを大事にして
西條八十の詩に曲をつけた「お山の大将」では、一番と四番とでメロディを変えているのは
アクセントを重んじたためだそうです。


[No.15845] Re: 日本語のアクセント大切に 投稿者:   投稿日:2010/10/02(Sat) 00:24
[関連記事

 男爵さん、 Panさん、みなさん、まいど。
>
> > >  この時、思ったことは、そんな厳しいことを言っても、歌詞の一番で合わせたら二番はどうなるのだろう?
> >
> > 一番にあわせても二番の歌詞ににあわないこともありそうです。
> > その場合は作詞に注意が払われないといけないでしょうね。
>
> 金田一春彦の本「ケヤキ横丁の住人」を読んでいます。
> あとでくわしく紹介するつもりですが
> ここの話題の関連のことが出ていたので
> とりあえず紹介します。
>
> 金田一春彦は金田一京助の長男ですが
> 若いとき歌うことが好きで、作曲家本居長世のところに出入りしていました。
> 本居長世は本居宣長以来の国学の家の六代目に当たるため、言語や文学に造詣が深かったのです。
> 日本語のメロディは日本語のアクセントを活かして作るべきだということを大事にして
> 西條八十の詩に曲をつけた「お山の大将」では、一番と四番とでメロディを変えているのは
> アクセントを重んじたためだそうです。

 なるほど。此の辺、考えてないと、唄い難いので、カラオケなんかでは
流行らない、ということに、なりそうですねー。
 若い方は兎に角。
 

                          Toshichan in Kyouto-fu

                        


[No.15795] Re: 西條八十 投稿者:   投稿日:2010/09/22(Wed) 12:33
[関連記事

みなさん、まいど。
>
> >>  日本語のアクセントは、強弱アクセントでなく、高低アクセントなので、音符の配列が、
> >> 高低アクセントに近く無いと、唄い難く,聴き取り難いことに、あるらしい。
>
>     〜〜〜〜〜〜
>
> >Toshichan説はあたっているように思われます。
> >人間に優しい演歌、そうでないニョーミュージックでしょうか。
>
>  学生時代に何の気の迷いか山田耕筰の『作曲法』の本を読んだことがあります。
>  その中で、滝廉太郎の荒城の月を綿密に取り上げて、ボロクソに書いてあったことだけ覚えています。
>
>  アクセントと曲の高低ががチグハグなので、何を言っているのか判らないと。

 たしかに!。「杯 」の所は「か」が上げてありますねー。おまけに、小節の始めに
あるみたい。                             

>  この時、思ったことは、そんな厳しいことを言っても、歌詞の一番で合わせたら二番はどうなるのだろう?
>  もう一つ、関西と関東ではどうなるのだろう?
>
>  その後考える機会がありませんでした。(^-^)

 もちろん、音階が変わらへんと歌にならへんし、完全には無理でっせ。

 これ、最初はニョーミュージックは、聞き慣れない、所為かと思てましてんけどーーー。

 京都のお店のママさんが、「若いお客さんの歌は、長い時間、聴いてたら疲れるんどすわ」と
 云うの聴いてて、下手な歌を聴いて手を叩くのを商売にしてる人がそう云うのんやから、
何か理由があるかも、と考え出したのが、この結論ですさかい、合ってる保証はあらへん。
 単なる仮説ですわ。

                             Toshichan in Kyouto-fu