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[No.15825] 池上彰:日本語の「大疑問」 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/28(Tue) 10:39
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著者はアナウンサーなので日本語に注意深い。

埼玉県の「吉見百穴」
 「よしみ・ひゃくあな」と読んだら「ひゃっけつ」だと抗議の電話が殺到した。国の史跡に指定された固有名詞なので「ひゃくあな」が正しい。

栃木県日光市の二荒山神社といえば、「ふたらさん・じんじゃ」と読む。
ところが同じ栃木県宇都宮市に、同じ二荒山神社という名前の神社があり、こちらは「ふたあらやま・じんじゃ」と読む。この宇都宮の神社を紹介するたび「ふたらさん」の読み方も知らないのかという抗議電話がかかってくるという。
本人が自分の知っている知識は狭いところで正しくて、ところ変われば間違いだということを知らない。(抗議する人が恥をかいた実例)

ニュースを見ていると、「今日はあいにくの雨模様となって....」とアナウンサーが原稿を読んでいるのだが、画面を見ると、雨が降っている。
「雨模様」というのは、正しくは「今にも雨が降りそうで降らない状態」のことである。
(この雨模様の誤用は、もはや普通になってしまった?)

よくある間違い日本語(就職試験に出ます)
 青田買い? 青田刈り? 卒業のはるか前に企業が試験をして内定、これを青田買いならわかるが、青田刈りとしたら収穫をあきらめ刈り取ってしまうので意味が異なる。
 情けは人のためならず 若い人がよく誤解する言葉。情けをかけると、その親切にあまえて人間がだめになるから、よけいな親切をしないようにと誤解している。
 気がおけない人 これも若い人が誤解する。本来の意味は「気楽につきあえる人」
のことです。
 私に役不足 これは立派な大人も間違う。「課長の辞令を受けました。私には役不足ではありますが、全力をつくします」は間違い。これでは「私はもっと力かあるから、こんな役職は軽すぎて満足できません」という意味になる。

長い間には誤った使い方が世間の主流となって、後世に日本語として残ったものも少なくないという。

ワープロの言語能力は最近の若者なみ
 新聞に「分退庁の巡査部長」と出ていた。 分隊長の誤り。
 発砲スチロールは発泡スチロールの誤り。
 テレビの世界では衛生放送という言葉がしばしば見られるという。
   最近の学生の書いた作文の中には新語が見られる。感覚としては納得できる新しい漢字言葉なのだが。


[No.15827] Re: 池上彰:日本語の「大疑問」 投稿者:   投稿日:2010/09/28(Tue) 12:18
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> 長い間には誤った使い方が世間の主流となって、後世に日本語として残ったものも少なくないという。
>
> ワープロの言語能力は最近の若者なみ
>  新聞に「分退庁の巡査部長」と出ていた。 分隊長の誤り。
>  発砲スチロールは発泡スチロールの誤り。
>  テレビの世界では衛生放送という言葉がしばしば見られるという。
>    最近の学生の書いた作文の中には新語が見られる。感覚としては納得できる新しい漢字言葉なのだが。

 男爵さんは読書狂だ。
 男爵さんは読書教だ。

 と、直ぐ新語がつくれるのが、日本語の特性でっせ。

                          Toshichan in Kyouto-fu


[No.15828] Re: 池上彰:日本語の「大疑問」 投稿者:   投稿日:2010/09/28(Tue) 14:07
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> ワープロの言語能力は最近の若者なみ
>  新聞に「分退庁の巡査部長」と出ていた。 分隊長の誤り。
>  発砲スチロールは発泡スチロールの誤り。
>  テレビの世界では衛生放送という言葉がしばしば見られるという。
>    最近の学生の書いた作文の中には新語が見られる。感覚としては納得できる新しい漢字言葉なのだが。

こうした間違いが頻発する責任の一端は、一部のSF作家にもあるのではないでしょうか。たとえば、若い読者が多い筒井康隆や、かんべむさし。(^_-)-もちろん、SFにかぎらず、普通の作家でも、題名に語呂合わせのようなのを使う人たちもありますが。

 本のタイトルですが、前者では「心狸学社怪学」「宇宙衛生博覧会」「言語姦覚」後者では「かんちがい閉口坊」。

 ちょっと考えれば分かるはずですが、こうしたものを数多く読んでいる(あるいは、読まされていると?)とつい。また大衆参加時代の影響。これは、一般の庶民にテレビやラジオなどで喋らせるための弊害。間違った日本語をつかうものが多い。さらに(全国放送を含む)最近のアナウンサー。いい間違えても直さない。あるいは、はじめから知らないのか。熟語などでも、可笑しな間違いをする。ぶっつけ本番のため直す時間もないのか?)

 レポーターになった芸能人なども、可笑しな日本語をつかう。これが毎日全国で放送される。四字熟語の下半分が、違っていることもよくある。

 これは大衆参加が続く限り、永久になくならないと思います。悪貨が良貨を駆逐し老兵は歯噛みしながら、死んでゆくよりほかないのです。(-_-;)

 懸賞つきで新しい諺を募集したりするのも、よくないかも。この上位当選の諺が、在来種をさっさと駆逐してしまうかも。


[No.15829] Re: 池上彰:日本語の「大疑問」 投稿者:瀬里恵  投稿日:2010/09/28(Tue) 14:14
[関連記事URL:http://fine.ap.teacup.com/serie-brog/

>  情けは人のためならず 若い人がよく誤解する言葉。
> 情けをかけると、その親切にあまえて人間がだめになるから、
> よけいな親切をしないようにと誤解している。

これは諺を中途半端に覚えているから犯す間違いですネ。
「情けは人の為ならず、巡り巡ってわが身の為」が正しい諺。
ちゃんとフルフレーズで知っていれば、間違えようが無い筈ですネ。


            瀬里恵


[No.15830] Re: 池上彰:日本語の「大疑問」 投稿者:   投稿日:2010/09/28(Tue) 19:08
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> 著者はアナウンサーなので日本語に注意深い。
>
> 埼玉県の「吉見百穴」
>  「よしみ・ひゃくあな」と読んだら「ひゃっけつ」だと抗議の電話が殺到した。国の史跡に指定された固有名詞なので「ひゃくあな」が正しい。

固有名詞であれば、たしかに『ひゃくあな』が正しいのでしょうが、吉見百穴は「広辞苑」でも「新辞林」でも、ヨシミノヒャッケツと入れないと出てきません。つまり、ヒャッケツが見出し語になっています。しかも、いずれも百穴の説明の後に、よしみのひゃくあな、を付け加えています。これはどちらでも、いいと云うことではないでしょうか。(放送関係者は、地名など常に正確に発音していて、あっしもいつもほんとうに驚かされますが…)とくにヒャクアナにこだわることはないような気がします。(^_-)-☆

> ニュースを見ていると、「今日はあいにくの雨模様となって....」とアナウンサーが原稿を読んでいるのだが、画面を見ると、雨が降っている。
> 「雨模様」というのは、正しくは「今にも雨が降りそうで降らない状態」のことである。
> (この雨模様の誤用は、もはや普通になってしまった?)

 広辞苑の場合、雨模様はあめもよう、では説明が出てきませんね。あまもよう、でないと、雨模様の説明が見られないのもなんかフシギですね。もともとは、あまもよう、や、あまもよい、の方が正しかったのでしょうか。雨降りでは、アメと読み、雨漏り、や雨宿りでは、アマと読む。日本語って、すぐ間違いそうになるから大キライっ。(-_-;)

 あっしも、段々自信が無くなってきやした。しかしアナウンサーになる人は別として、一般のひとは、そんなに字句にこだわらなくてもいいいような気がします。(字句の正確さより、内容の方が大事?)

 外国の学校では、小学校、中学校は別として、大学生や一般人でも「国語の正しい使い方」と云った本を何冊も書斎に揃え、人が間違えると、その都度いちいち指摘するのでしょうか。外国でも、日本のように、大人になっても、生涯自国語を必死に勉強したりしているのでしょうか。本屋などでは、日本と違って、自国語の本は、入り口の目立つ所にはなく、奥の方の片隅にあったような。

 手にとっている人も、ほとんどが外国人のようだったような気がします。

 現役の頃、あっしが求道をキュウドウと発音したら、上司に笑われましたが、辞書にはキュウドウの読みもあります。広辞苑で、きゅうどう、と入れると説明の後に、ぐどう、と付け加えてあります。

 日本語は、読みが一つのと、複数のとあり、アナウンサーや一部の人しか使いこなせないのは確かなので、将来は整理されて、もっと簡略になるのではないかと思います。

 いま日本語を一つの間違いもなく正確に教えられる親は、ごく少数しかいないと思います。そのうち誰か、あっしの趣旨に賛同する学者が出て、日本に言語革命が起こる筈です。(^_-)-☆


[No.15832] Re: 池上彰:日本語の「大疑問」 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/28(Tue) 20:42
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唐辛子紋次郎さん

> > 「雨模様」というのは、正しくは「今にも雨が降りそうで降らない状態」のことである。

>  広辞苑の場合、雨模様はあめもよう、では説明が出てきませんね。あまもよう、でないと、雨模様の説明が見られないのもなんかフシギですね。もともとは、あまもよう、や、あまもよい、の方が正しかったのでしょうか。

もう この本は図書館に返したのですが
「あまもよう」が正しかったと思います。いまでは「あめもよう」という人が多いですね。

>現役の頃、あっしが求道をキュウドウと発音したら、上司に笑われましたが、
>辞書にはキュウドウの読みもあります。
>広辞苑で、きゅうどう、と入れると説明の後に、ぐどう、と付け加えてあります。

ラジオ深夜便で昔のアナウンサー教育のことが話題になったことがありますが
女性のアナウンサーが「家並み」を「いえなみ」と読んだら、あとで上司から「やなみ」と直されたそうです。
そのとき、小柳ルミ子の「わたしの城下町」が流れてきて、二番の歌詞に
 「家並(いえなみ)が とぎれたら
  お寺の 鐘がきこえる」
とあったので、いえなみでいいじゃありませんかと反論したそうです。
   これは若い安井かずみの詩の感覚が、昔風の言葉をほうむってしまったんでしょうね。

昔は正しかったのに、人々が間違えた読み方を多用するようになって
正義が少数派となり肩身が狭くなっている場合は他にもあると思います。
言葉は流行するものですから。
これからも日本人は多数派はどれかと注意しながら生活するのでしょう。
受験生にその問題点と被害が集中しそうです。