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[No.15838] 手塚治虫 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/30(Thu) 12:18
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日本図書センターの人間の記録シリーズ100
このシリーズで読んだのは29の西條八十、あと1,2冊あるかどうか。

この本も数日後に返却するため大急ぎで読みます。
・漫画映画
  昭和18年に、日本最初の長編漫画映画「桃太郎の海鷲」という6巻ものが封切られた。
  そのほか「フクチャンの潜水艦」や「くもとちゅうりっぷ」など中篇の国産動画が次々と封切られたが、ほとんどおざなりの米英撃滅のものであった。
  敗戦の年の春、意外な傑作が突然現れた。「桃太郎 海の神兵」全9巻 監督瀬尾光世(現せお・たろう)、原画桑田良太郎、音楽古関裕而、作詞サトウ・ハチロー、美術黒崎義介 焼け残った松竹座で見た手塚治虫は感激して、将来漫画映画をつくろうと決心した。
  それからディズニーの映画を見るようになった。「白雪姫」は50回以上、「バンビ」は80回以上見た。
 
・モルフォ蝶とウラニア蛾
  モルフォは青いぴかぴか光る蝶で南米のお土産として有名である。
  モルフォとウラニアは翅の光り方の構造がぜんぜん違うそうである。
  三島由紀夫や安部公房の作品の華麗さや国際性はモルフォ型であり、北杜夫のいぶし銀のような味はウラニア型であろう(北杜夫もやはり手塚治虫と同じ昆虫少年であった)。

・馬場のぼる
  三戸から上京してきた馬場のぼるは「おもしろプック」の「ポストくん」で売り出した。
  馬場登元特攻隊員は小学校の代用教員になった。ところが、予科練だったという前歴のため追放になった。数ヶ月基地いただけで飛行機に乗ったこともなかったのに。
  結局、馬場登は終戦と同時に昇格した、いわばポツダム下士官なので、追放が解除され、また代用教員になることができた。
  そのうち疎開していた作家の白木茂が東京へ帰るとき、一緒に東京に行って絵描きになったらどうだと誘われたのだ。

・「ミクロの決死圏」は盗作である
  手塚の作品に「吸血魔団」というSFものがある。ある薬品の威力で、わが身をゴミのように縮めた科学者が、ある結核患者の口の中にとびこんで肺に行き、そこで結核菌と戦う話である。
  アトムを映画化して「アストロ・ボーイ」の名でアメリカのテレビに放映した。そのうちにアトムのオリジナルのネタがきれて、手塚のほかの作品から脚色したものをつかうようになった。
  その中に「吸血魔団」もはいっていた。それが、「アトム体内の冒険」というタイトルでテレビ放映された。
  NBCへ二十世紀フォックス社のプロデューサー・ブレーンの一人であるウェルナーという男から手紙がきて、「アストロ・ボーイ」のシリーズなかの、あるエピソードを今フォックスが企画しているSF映画シリーズのひとつに使いたいのだが、著作権その他はどうなっているかと問い合わせがあった。
  NBCのドット氏は、そのシナリオをNBCの権利において相手のシナリオ・グループに送ると同時に、手塚の住所も知らせたので、いずれ相手から連絡もあるだろう、と手塚治虫のところへ通知してきた。
  手塚は連絡を待っていたが、ついにウェルナー氏からは手紙はこなかった。
  その映画「ミクロの決死圏」は、構成から、体内の美術設定からドッキドッキと打つ心臓音に至るまで、「アトム体内の冒険」と同じであった。しかも、科学者の体が、人体内で大きくなりかけるスリルまでそっくり盗用していた。

中国や韓国などアジアの国ならいざしらず、特許とかオリジナルにうるさく裁判にあけくれるアメリカの人間が手塚治虫のアイデアを盗用していたとは。


[No.15839] Re: 手塚治虫 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/30(Thu) 21:38
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> 日本図書センターの人間の記録シリーズ100
> このシリーズで読んだのは29の西條八十、あと1,2冊あるかどうか。
>
> この本も数日後に返却するため大急ぎで読みます。

著者の手塚は
戦後の日本の漫画の歴史をまとめたかったようなのだが
一時期は、戦前からの漫画家に戦後の新しい漫画家を合計しても、数はそう多くなかったのだが
手塚たちトキワ荘の若い漫画家たちが子ども漫画の世界を開拓してから
読者が増え、出版社のほうでも漫画を描ける新人を募集して
どんどん描かせるようになって、手塚たちの漫画の読者から新しい漫画家が生まれ
とうとう手塚は全部は把握できなくなったらしい。
この本には(私の知っている)主な漫画家は網羅しているが、少年漫画週刊誌が
出るようになってから次々と出てきた漫画家はもう範囲外になっている。
 私だって全部見ているわけでもないし。

この手の本としたら、著者の作品を中心に書けばよいのであるが
どうも手塚は欲張って、自分の回りの漫画界で活躍した漫画家は全部網羅したかったようである。

アメリカにアトムのアニメを売りに行って成功したことなど、あるいはアメリカの文化や社会要求にこたえて、アニメをアメリカ版に工夫したことなどももっとありそうだが
具体的にはあんまり書いていない。たぶんページの制限もあったのだろう。
ここではあと二つほど紹介しておわりにしたい。

・ジャングル大帝と琵琶湖のこと
  ジャングル大帝は、以前に考えていた白いライオンを主人公にした長編ものを描きたいと思っていたとき、別の用事で漫画少年を発行している学童社を訪れて、たまたまジャングル大帝の原稿を見せたら、漫画少年に連載することに決まってしまった。
  ジャングル大帝の話の中で、大陸移動説が出てきて、大陸移動説は現代では学問的に認められ、地震の原因とされている説であるが、当時としては比較的新しい学説で、手塚は月が地球から分離したとき太平洋の部分がはがれてしまって、そのいびつを直すため地球表面が動いたというユニークなことを考えたらしい(これはSF的)。
  地球規模でのユニークな考え方をする手塚は、琵琶湖があるから、琵琶湖を中心に、日本海へ運河を掘り、いっぽう淀川を掘り広げて巨大な船を通すようにすれば、日本海と太平洋をつなぐことができると考えた。
  この琵琶湖運河構想を中学校の地理の時間に提案したのだという。だが、地理の教師は全然相手にしてくれなかった。実はこの琵琶湖運河の計画を今も唱えている人がいる。いまの貧しい日本経済にとって建設費がかかるから実現はなかなか無理なのだが、この運河をつくれば日本海と太平洋をつなぐ交通運輸が便利になる。

・劇画工房
  手塚治虫はストーリー漫画の創始者として自他共に認めるところであるが
  漫画の世界に、劇画というジャンルが生まれた。これは手塚漫画とは違う世界だと思うが、日本の漫画の歴史としては無視できない存在なので、この本で紹介している。
  さいとうたかを 佐藤まさあき 石川フミヤス 桜井昌一 辰巳ヨシヒロ 山森ススム K・元美津
  水木しげるは辰巳ヨシヒロの劇画を評価したという。水木しげるの怪奇漫画の主人公は、眼鏡をかけ、出っ歯で顔の四角い青年が登場してくるが、これは辰巳ヨシヒロの兄がモデルなのである。

GHQもいなくなり、剣道や柔道などの漫画が描けそうになってきた時代に
正面切って武道漫画が生まれた。それが福井英一の「イガグリくん」だった。
人気絶頂となった福井英一は突然亡くなってしまった。新連載の「赤胴鈴之助」はどうなる。ピンチヒッターとして登場した武内つなよしが第2回以降を執筆し人気漫画となった。

福井英一もライバルだったが、劇画もライバルだったらしい。
手塚治虫は人気のある漫画が出てくると、それに対抗意識をもやし作風を広げたようである。