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[No.15843] ブとタのあいだ 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/01(Fri) 10:19
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著者小泉吉宏は
コピーライター出身の自称漫画家です。
「ブッダとシッタカブッダ」を発表して
あの「相田みつを」みたいな存在ですね。
その言っているところは多少違うようですが、人生の格言めいたものを
漫画と文書で表現するといった仕事をしているようです。

パターンで考える人(ブタ) ← いわゆるステレオタイプ
 思い込みはよくない... なんで思い込みが起きるかって?
 そりゃ人生で次々と出会う相手や事件について いちいち考えるのは疲れるからじゃな
 あいつは短気だの こいつは便利だの パターンにはめこみゃ次に出会った時に考えるチカラが節約できるじゃろ
 ふー ところで若いヤツは年寄りをみな偏屈だと思っとるだろ!(と思い込んでいる)
   ○○はこうである、と明快に割り切れれば、その分、頭を別のことに向けられる。
   ついつい考えるのをサボルために、こういう思考態度をとるようになる。
   ドイツ人は高圧的だ。アメリカ人は陽気だ。 しかし、神経質なアメリカ人もいるし、日本人のように情緒的ナイーブなやさしいドイツ人もいる。そういうドイツ人は日本が気に入ってドイツに帰ろうとしない。

優越と劣等
 たいていの人は、他人と比べて自分が不幸だとか幸福だと思ったりする。
 受験に失敗したときや、失恋したときは、ほかのうまくいっている人に対して不幸だと思ってしまう。
 気をつけたいのは、他人と比べて、自分が優越感をいだこうとする心だ。
 − 僕はあいつより仕事ができる
 − わたしはあの人よりは美人よ
 − 私はあの人ほど人に迷惑をかけていないわ
 − 僕はあいつよりたくさん辛い目にあったから、あいつより大人だ。
 こういう人は、心の底で自分に失望していて、他人をけなすことで心のバランスを保とうとしているみたいだ。
 他人を自分より低く見ると、自分に価値があると思えてくる。それに他人をけなしている間は自分を見つめなくてすむから。自分を見ることから逃げていることにも気がつかない。
   江戸時代の士農工商その下の非人という階級制度、あるいはインドのカースト制度などは、辛い自分よりもっと下の階級の人がいることで自分をなぐさめることになったのかもしれない。
   でも、一時的にせよ、こういうことで心が落ち着くなら、それもいいではないか。
   そうやって落ち着いてきたら、まじめに自分を見つめなおせばいい。

慣れるとこわい医師と看護師
 その昔、ひどい医者と出くわした。腹が痛くなって引っ越したばかりで町医者を知らなかった。
 そこで、近所の大病院に行くと長い時間待たされて、通された診療室で初対面の医師からこう言われた。
 「あんなみたいな人に病院にこられるのは迷惑なんだよ」
 その医者は三十代半ばに見えた。人生経験が浅かったのかもしれない。その日は患者が多くてイライラしていたのかもしれない。
 痛みがあるのに「検査しても何も出ない患者なん診たくない」って検査前から決めつけている。同じような患者が前にもいたらしい。
 若いときは希望に燃えて仕事についたのだろうが、仕事に慣れてしまい、人間を相手に仕事していることを忘れたんだろう。
 彼らが見ているのは「いつもの仕事」あるいは「病気」や「症状」といった治療すべき対象と、病院側の都合であって、相手を「ひとりの人間」として見なくなっているのだろう。
 それがときには患者とその家族の心を傷つけてしまうことに気がつかなくなる。
 そういえば手術後のリハビリが終わっていないのに「老人にいつまでも入院されていては困る」と年配の副婦長から言われた人もいたなぁ。
   病院に来て診察を長く待っているほどの病気ではない、あるいはリハビリするのにここに長くいないでほしい、別のリハビリするところもあるのだから、そう言われた内容はたぶん客観的には正しいものだろう。
   患者も病気の状態によって病院を使い分ける頭や工夫があってしかるべきだが、同じ人間でも、健康なときの相手からの一言はなんともなくても、病気だとつい気分がすぐれず心に応えることがある。医師からの思いやりのない一言が、かえって病気を重くすることだってある。