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[No.15867] 筒井清忠:西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/04(Mon) 14:41
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この本は
読売文学賞、山本七平賞特別賞・日本児童文学学会賞特別賞を受賞している。

なかなか読みごたえのある本だ。

北原白秋は西條八十をライバル視していたらしい。
手塚治虫も福井英一や石森章太郎をライバル視して一時的にノイローゼになったらしい。
 石森章太郎は手塚治虫系統だからわかるが、福井英一は手塚漫画とは雰囲気が違うと思うのだが。

関東大震災で、西條八十は落ちてきた屋根瓦で額を怪我するが、それでも妻子や母親や兄の安否を求めて東京中を走り回る。幸いみな無事だった。
大混乱の人混みでなかなか進めず、深夜の上野の山で過ごすことになった西條八十は
疲労と不安と飢えで無口になった群衆のなかで、一人の少年がポケットからハーモニカを出して吹くこうとしていたのを見る。
西條八十は一瞬、周囲の人々が怒り出すのではないかと案じ、止めようとしたがもう少年は吹きはじめた。
「それは誰も知る平凡なメロディであった。だが吹き方はなかなか巧みであった。
と、次いで起こった現象、これが意外だった。群衆はわたしの危惧したように起こらなかった。おとなしく、ジッとそれに耳を澄ませている如くであった」
上野の山の群衆はこのハーモニカの音によって慰められ、心をやわらげられ、くつろぎ、絶望のなかに一点の希望を与えられた。
この情景を見ていた西條八十はあとで自伝に書いている。
「わたしは大衆のための仕事の価値をはじめてしみじみと感じた」
「このときの感動が、後日ぼくにレコード歌を書かせる契機となったのであった」
後年、西條八十はNHKのラジオ番組「私の秘密」でこの少年(山北藤一郎)と再会している(昭和34年10月23日)。

さて
この関東大震災だが、同じ頃野口雨情作詞中山晋平作曲の「船頭小唄」が映画化され全国的に流行して、あまりの流行に退廃的だという批判がなされ、関東大震災後に、この歌の流行のために震災が起きたのだと幸田露伴が新聞に書いたほどである。
 阪神大震災の時も、世の中の道徳的でないことがあったため大震災が起きたと指摘する人もいた。いつの世も、事件や天災とその当時の世相を結びつけ警告を与えようとする人間はいるものである。


[No.15873] Re: 筒井清忠:西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/05(Tue) 12:12
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> この本は
> 読売文学賞、山本七平賞特別賞・日本児童文学学会賞特別賞を受賞している。
>
> なかなか読みごたえのある本だ。

そろそろ図書館に返すので
大急ぎでメモ書きします。

戦時中に「同期の桜」などたくさんの戦争支援の歌をつくってきた西條は戦後に非難されることになる。
「軍国主義を肯定した」という批判に関し、西條は晩年次のような回想を残している。
ある歌人が、「若鷲の歌」の第四聯末尾の「母へ写真で送りたい」という箇所を「作詞者のセンチメンタリズムで女々しい。もっと勇壮に詩を結ぶべきだ」と攻撃してきた。
ところが終戦後、同じ人物が、今度は、西條を「戦犯詩人だ」と「掌を返すように文句をつけてきた」というのである。
西條八十や古関裕而の活動の周囲には、こうした自らの創造的活動には力なく、つねに体勢に順応しながら、他者を批判することで保身をはかるような人物が横行していたというのも事実なのである。
(藤田嗣治も戦争中の活動について、同じような裏切り行為をする仲間にあいそをつかしフランスに帰ったという話がある)

著者は
戦後に早稲田大学を退職したのは、大学内の派閥争いの結果で、西條をずっと支援してきた吉江教授のライバルが権力欲のため、西條たちを追い出したという説をいくつかの証拠をあげて述べている。
大学教授たちにしてみれば、大学の中で研究だけしていればいいものを、多くの歌謡曲をヒットさせ、芸能界のスターたちとも親しかった西條には嫉妬を感じていたので、それも西條追い出しのエネルギーとなったのであろうとも述べている。


[No.15874] Re: 筒井清忠:西條八十 投稿者:   投稿日:2010/10/05(Tue) 18:24
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 男爵さん。まいど。

> この関東大震災だが、同じ頃野口雨情作詞中山晋平作曲の「船頭小唄」が映画化され全国的に流行して、あまりの流行に退廃的だという批判がなされ、関東大震災後に、この歌の流行のために震災が起きたのだと幸田露伴が新聞に書いたほどである。
>  阪神大震災の時も、世の中の道徳的でないことがあったため大震災が起きたと指摘する人もいた。いつの世も、事件や天災とその当時の世相を結びつけ警告を与えようとする人間はいるものである。

 関東大震災のお陰か「船頭小唄」は、カラオケに、1923年とか出て来て「へー」
となるみたいですわ。
 100年近く前の歌やねんね。
 90年経ったら。AKB48の歌がカラオケで唄われますやろか。

 かなうもんなら、見てみたい紋ですわ。

                          Toshichan in Kyouto-fu

                           
 


[No.15875] Re: 筒井清忠:西條八十 投稿者:男爵  投稿日:2010/10/05(Tue) 19:36
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>  関東大震災のお陰か「船頭小唄」は、カラオケに、1923年とか出て来て「へー」
> となるみたいですわ。
>  100年近く前の歌やねんね。
>  90年経ったら。AKB48の歌がカラオケで唄われますやろか。

AKB48を知っているなんて
Toshichanは若いですね。

今年の六月頃に東京の漫画喫茶で
AKB48のある若い女性が表紙に出ている若者向けの週刊誌を見たので
それからAKB48という言葉を知りましたが、何のことかわからず
(あんまりテレビも見ないし)
渋谷の駅前でAKB48の宣伝カーを見て、どういうものかわかって納得しました。

その頃 AKB48と黒板に書いたら学生から「よく知っている」と言われたことがあります。
こちらのテレビに毎日出てくるわけでもないようですし。
最近は登場するのが多くなったみたいです。
 


[No.15942] Re: 筒井清忠:西條八十 投稿者:   投稿日:2010/10/19(Tue) 01:54
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>  男爵さん。まいど。
>
> > この関東大震災だが、同じ頃野口雨情作詞中山晋平作曲の「船頭小唄」が映画化され全国的に流行して、あまりの流行に退廃的だという批判がなされ、関東大震災後に、この歌の流行のために震災が起きたのだと幸田露伴が新聞に書いたほどである。
> >  阪神大震災の時も、世の中の道徳的でないことがあったため大震災が起きたと指摘する人もいた。いつの世も、事件や天災とその当時の世相を結びつけ警告を与えようとする人間はいるものである。
>
>  関東大震災のお陰か「船頭小唄」は、カラオケに、1923年とか出て来て「へー」
> となるみたいですわ。
>  100年近く前の歌やねんね。
>  90年経ったら。AKB48の歌がカラオケで唄われますやろか。
>
>  かなうもんなら、見てみたい紋ですわ。

 カラオケで確かめたら、1921年らしいですわ。89年前でんねんね。

                          Toshichan in Kyouto-fu

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