> 康熙奉:韓国ふるさと街道をゆく (2000.4)
一度読んで図書館に返した本だが 改めて本日借りてきた。 ちょっと読み直し。
慶州の仏国寺を見学するとき 突然、若い美人が現れる。 釜山の外国語大学で日本語を勉強しているという。 将来は韓国で日本語の先生になることが希望だ。 最初は警戒したが、いかにも誠実そうなので、彼女に案内してもらう。 すっかり仏国寺を見終わってから、駐車場に来た。その先には土産物屋が軒を連ねている。 彼女は進んでいく。ここで別れようかと著者は迷うが 結局彼女の後をついていくことにする。 はたして案内されたのは青磁を扱う店だった。 ここまで来て著者は思う、はじめからここに来ることを聞いていれば 仏国寺のガイドの申し出は断っていたはずだ。 しかたなく入った店で、六十代の二人のアジュマが待ちかまえていた。 二人は日本語も上手で熱心に商品の売り込みをする。 結局著者は一輪挿しを買うことにする。最初に1万円と言われたのを、値切って とうとう8000円で買う。 買い物が終わると、アジュマの態度が変わり少し機嫌が悪くなる。 もっと高いものを買ってくれると期待したのか、値切られたのが気にさわったのか。
この青磁の土産物屋のアジュマから、昔の釜山の話を聞く。 著者は昨日は釜山にいたのだった。 釜山駅の向かいはテキサス街といってベトナム戦争のころは アメリカの船員や海軍の軍人が多かった。 しかし、ベトナム戦争が終わると、アメリカ人はどんどん減って、そのかわりに 東南アジアの船員たちが増えてきた。東南アジアの船員たちはアメリカ人と違ってお金を持っていないから、店の売り上げも減った。 そうして店をたたんで、慶州にやってきたという。 この本の当時は、そのテキサス街はロシアの船員たちで賑わっていた。
仏国寺で著者の感じたことは 新羅が朝鮮半島を統一したのはすばらしいことだったが、ひとつ気にいらないのは 外国の力を借りたこと。その結果は、新羅は高句麗が現在の中国東北地方にまで広く持っていた版図を失う結果となった。 (随の煬帝は朝鮮に戦争を仕掛けて失敗し、それがもとで随の国は唐に滅ぼされてしまう。 唐も朝鮮半島支配をねらったのだが、手強いので様子を見ていた。そのうちに新羅から同盟の要請があったから朝鮮半島に乗りだしてきた。唐王朝は新羅という協力者があったから朝鮮半島に手を伸ばすことができた)
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