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[No.16119] 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 10:26
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あるとき思いついた著者は日本各地の寺を歩き回る。
永保寺(えいほうじ)を訪れたとき、夢窓国師が座禅を組んだといわれる山腹の岩に座ると、下を見ると目がくらくらするが、じっと座っていると、座っている岩の下から、なにやらジンジンと波動が伝わってくる感じがする。
三井寺ではゴボゴボと音をたてて湧き出す地下水を見ていて、体がふらふらした。あのときもジンジンと体がしびれる感覚があった。
比叡山で、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)の行者がたどる山道を歩いていたら、突然体がむずむずして、じっとしていられなくなった。その辺に落ちている木の枝を拾い杖にして、転がるように坂を駆け下りた。そのときも足元から突き上げてくる波動と、天から降りてくるヴァイブレーションを感じた。

東洋医学には経絡(けいらく)という考え方がある。いわば、体内を走る国道のようなものだ。
その経絡には数百のポイントがあるという。俗にツボという。
日本列島を人体にたとえると、そこを走る見えないラインがあり、そのツぼにあたる場所に、古い寺や社があるのではないか。
その場所に身をおくと、なにか奇妙なエネルギーを実感する。
(山を登って名刹にたどり着くので体が疲れて感じやすくなっているせいかもしれない。あるいは感覚的に鋭い人がこの神秘的な大地のエネルギーを感じるのかもしれない。東洋には人体の気脈だけでなく、大地には地脈があるという。すくなくとも金脈とか水脈という言葉をわれわれは実態を考えながら使っている)


[No.16120] Re: 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 11:12
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今の若い人にはなんのことやら見当がつかないだろうが、著者たち昭和の子どもは、戦争の時代に育った。
小国民とよばれ、戦争のために役立つ教育をほどこされた。
モールス信号も、その一つだった。
そのモールス信号を全部覚えるのは大変なので工夫があった。
 ト・ツー 伊藤のイ
 路上歩行のロ
 ハーモニカのハ ツー・ト・ト・ト
 ノといえば ト・ト・ツー・ツー 乃木東郷

著者が若いころ、宴席で何か芸をやれと強制され、困ってしかたなく、立ち上がって手旗信号をやった。
イ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、トと順番に両手をふり回したが、これがまったく受けなかった。
手旗信号は、海洋少年団の訓練で体に叩き込まれた。まちがうと手旗の棒でコブができるほど殴られたものだ。

頭も体も、やわらかいうちに刻み込まれたものは、一生残る。消そうと思ってもどうにもならない。
せめて外国語でも叩き込まれていれば、いまになって役立ったものを。

軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)を全部暗記しているという著者
小学生時代に無理やりつめこまれたので、終生消えずに残っている。

消去するという意味のイレーズという言葉はおぼえたが、古い記憶をイレーズすることはできない。
困ったものだ。

(人間が自分の意志でコンピュータのように記憶を消去できたら便利だ。そうはいかないのが生き物なのだ)


[No.16123] Re: 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/15(Mon) 16:02
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誰か先輩を思わざる
晩年の石坂洋次郎の話
著者五木寛之は、晩年の石坂洋次郎はかなり大らかだったと書く。
著者の顔を見ると
「やあ、五木ひろしくん」とニッコリする。
「五木寛之です」と言うと
「そう、そう、失礼、失礼。でも、彼は好青年だね。近所に引っ越してきたときは、ちゃんと引越し蕎麦を持って挨拶に来た」
次に会うと、また
「やあ、五木ひろしくん」

あるとき、司馬遼太郎が笑いながら言ったという。
「こないだ石坂さんがぼくの顔を見て、きみの『青春の門』はおもしろいね、って」
「えっ、それで司馬さんはなんと」
「仕方がないから、ありがとうございます、って言っておいた」
「すみませーん」
それ以来、司馬遼太郎にはなんとなく頭があがらない感じになったという。

歌を歌えば骨がなる。
あくびをしたり、大きく口をあけたりすると、頬の骨がゴリゴリッと鳴るという。
たぶん歯の噛み合わせがずれているのだろう。
不正咬合は、当然歯科医に相談して矯正してもらうのが正しいのだが
五木寛之は健康保険を使わない、つまり医者通いをしないから
自分の体の不具合を、なんとか工夫して調整するのが趣味で得意らしい。

最近の医学の進歩はすごく、東京からニューヨークの患者の手術ができるということである。
しかし、慢性の鼻炎で悩んでいるとか、持病の腰痛で苦しんでいるというような
身近にわんさという症状を治せる病院はあったら教えてほしいと著者の五木は書いている。
先日ある有名なドクターと対談したとき、終わって席を立つドクターの姿勢を見て
五木は「腰痛があるのでしょう」と言ったら
「わかりますか。いや、こればかりはどうも」と白状したという。
そこで、著者が長年にわたって工夫した腰痛を出さない方法を教えたというが
医者は人の言うことをきかない人種だから、たぶん実行していないだろう。
 その方法とは、犬のように両手両足を使って歩き回る四足ウォーキング療法である。

著者によれば
人間が立ち上がって二本足で歩行するようになってから、腰痛の苦しみが生まれたのである。
腰痛は病気ではない。それは人間の背負った宿命である。宿命に治療はない。ただそれを出さないように、腰痛をなだめすかしながら、折り合って暮らすしかない。
 腰は曲げない。膝は曲げるためにある。
 室内では常に手足を使って這うことを旨とする。トイレに行くときも両手両足で這う。

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歌手“五木ひろし”は、本名が松山数夫〈まつやま かずお〉だが、何度も改名して、最後に
彼を応援した作詞家山口洋子が、作家の五木寛之から、苗字の「五木」をもらったから。
だから、記憶力がマイルドになってきた石坂洋次郎が間違えたりも理由がないわけではない。


[No.16124] Re: 五木寛之:みみずくの日々好日 投稿者:   投稿日:2010/11/15(Mon) 19:54
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> 今の若い人にはなんのことやら見当がつかないだろうが、著者たち昭和の子どもは、戦争の時代に育った。
> 小国民とよばれ、戦争のために役立つ教育をほどこされた。
> モールス信号も、その一つだった。
> そのモールス信号を全部覚えるのは大変なので工夫があった。
>  ト・ツー 伊藤のイ
>  路上歩行のロ
>  ハーモニカのハ ツー・ト・ト・ト
>  ノといえば ト・ト・ツー・ツー 乃木東郷

五木寛之とは同い年ですから同じ体験をしています
中学1年のとき「伊藤のイ」のモールス信号は全部覚えました
教練の時間には手旗信号です。1人づつ校庭の裏の丘に登って教官から指示された通りの伝言を紅白の手旗で伝達する、それを校庭で全員が解読する、全員正解するまでは解散できない。間違ったら殴られる。教官が殴り疲れると生徒たち互いに殴り合いをさせる それが日常でした

小国民ではなく少国民でした。山本有三が提唱した用語です

> 軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)を全部暗記しているという著者
> 小学生時代に無理やりつめこまれたので、終生消えずに残っている。

軍人勅諭、教育勅語、歴代天皇おくり名(125代まで)は必須でした。今でも大半は記憶に残っています


     さんらく亭@甲子園