誰か先輩を思わざる 晩年の石坂洋次郎の話 著者五木寛之は、晩年の石坂洋次郎はかなり大らかだったと書く。 著者の顔を見ると 「やあ、五木ひろしくん」とニッコリする。 「五木寛之です」と言うと 「そう、そう、失礼、失礼。でも、彼は好青年だね。近所に引っ越してきたときは、ちゃんと引越し蕎麦を持って挨拶に来た」 次に会うと、また 「やあ、五木ひろしくん」
あるとき、司馬遼太郎が笑いながら言ったという。 「こないだ石坂さんがぼくの顔を見て、きみの『青春の門』はおもしろいね、って」 「えっ、それで司馬さんはなんと」 「仕方がないから、ありがとうございます、って言っておいた」 「すみませーん」 それ以来、司馬遼太郎にはなんとなく頭があがらない感じになったという。
歌を歌えば骨がなる。 あくびをしたり、大きく口をあけたりすると、頬の骨がゴリゴリッと鳴るという。 たぶん歯の噛み合わせがずれているのだろう。 不正咬合は、当然歯科医に相談して矯正してもらうのが正しいのだが 五木寛之は健康保険を使わない、つまり医者通いをしないから 自分の体の不具合を、なんとか工夫して調整するのが趣味で得意らしい。
最近の医学の進歩はすごく、東京からニューヨークの患者の手術ができるということである。 しかし、慢性の鼻炎で悩んでいるとか、持病の腰痛で苦しんでいるというような 身近にわんさという症状を治せる病院はあったら教えてほしいと著者の五木は書いている。 先日ある有名なドクターと対談したとき、終わって席を立つドクターの姿勢を見て 五木は「腰痛があるのでしょう」と言ったら 「わかりますか。いや、こればかりはどうも」と白状したという。 そこで、著者が長年にわたって工夫した腰痛を出さない方法を教えたというが 医者は人の言うことをきかない人種だから、たぶん実行していないだろう。 その方法とは、犬のように両手両足を使って歩き回る四足ウォーキング療法である。
著者によれば 人間が立ち上がって二本足で歩行するようになってから、腰痛の苦しみが生まれたのである。 腰痛は病気ではない。それは人間の背負った宿命である。宿命に治療はない。ただそれを出さないように、腰痛をなだめすかしながら、折り合って暮らすしかない。 腰は曲げない。膝は曲げるためにある。 室内では常に手足を使って這うことを旨とする。トイレに行くときも両手両足で這う。
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歌手“五木ひろし”は、本名が松山数夫〈まつやま かずお〉だが、何度も改名して、最後に 彼を応援した作詞家山口洋子が、作家の五木寛之から、苗字の「五木」をもらったから。 だから、記憶力がマイルドになってきた石坂洋次郎が間違えたりも理由がないわけではない。
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