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[No.16126] 船山信次:毒と薬の世界史 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/16(Tue) 12:15
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北里柴三郎とそのまわりの人たちについて紹介する。

東大を卒業してからドイツ留学した北里柴三郎
彼のドイツ時代の業績はノーベル賞に匹敵するのに、東洋人ということで、手柄をドイツ人に限定されたらしい。野口英世もノーベル賞の候補に選ばれていた。

北里はドイツ留学中に、恩師である東大細菌学の緒方正規(まさのり)教授の脚気菌説を否定したものだから
東大医学部青山胤通教授からにらまれ、せっかくドイツ留学しても帰国したら母校の東大に席はなかった。
森林太郎(鴎外)は脚気菌説を支持していた。ここは鴎外の政治的判断だったのだろうか。
北里を救ったのは福沢諭吉で、福沢の支援で伝染病研究所ができる。
この北里の研究所で、研究者になりたての27歳の志賀潔は赤痢菌を発見する。この本には、赤痢菌の発見の報告は北里の業績となるか、あるいは志賀と北里の連名で行って当然のものなのに、北里は研究報告を志賀の単独名で行わせたと書いてある。つまり北里は立派だったのだ。
1894年に香港にペストが大流行したとき、国から派遣された北里はペスト菌の単離に成功する。ところが東大から派遣された青山胤通教授はペストに感染してしまって九死に一生を得たのだ。
こうして青山は北里に思うところがあったらしく
北里の研究所を東大の付属とし、北里を自分の配下に置くことを画策する。
大熊内閣は内務省管轄であった北里の伝染病研究所を文部省に移管することを北里の意向を全く無視して決定した。
これに怒った北里は伝染病研究所の所長を辞任することを決意する。
北里を慕う副所長以下志賀・秦らの部長も研究員も一般職員まで、北里に従ってやめることになった。

こうしてもぬけの殻となった伝染病研究所が東大の青山教授に残された。青山はしみじみと語った。「北里はよい弟子をもっている」
北里は、福沢諭吉の別荘だった土地を譲り受けて結核療養所としていたが、そこに自前の北里研究所を設立した。
明治村には 北里研究所本館 が移築されているが、内部の展示において北里の業績がもちろん紹介されているが、このあたりの詳しい説明がなかったので、この本を読んで納得した。
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/travel/japan/image5/P8100563.jpg

野口英世は一時期、北里の伝染病研究所に所属していたことがある。
その時期に赤痢菌を発見した志賀潔を訪ねてアメリカから来日したフレクスナー教授の通訳を務めたのが野口英世であった。野口はフレクスナー教授が「アメリカに来たなら私を訪ねなさい」という外交辞令をつてに、アメリカに渡ったのだ。野口の姿を見て驚いた教授は、それでもせっかくきたのだからと野口のためにチャンスを与えたのだった。そこから野口の苦労と実りある人生ドラマが始まる。

この本には書かれていないが
脚気の細菌説と栄養欠乏説は明治の大きな論争であった。
特に森鴎外の脚気細菌説はその対応がまずく、陸軍の大量脚気患者と死亡者を出したという。
陸軍の対応のまずさに対して、海軍医務局長の高木兼寛は、イギリス海軍がパン食なので脚気が少ないことに目をつけ、海軍では麦飯や玄米を中心とした食事にしたら患者が少なくなった。
鴎外は上に書いたように東大の恩師の緒方正規教授にさからわなかったのか、あるいはドイツにあった細菌説を採用したのか、とにかく陸軍は麦飯や玄米食はさせなかった。地方から集めた兵士たちは白米を食べるのがなによりの楽しみだったから、その気持ちを尊重したのだという人もいる。
ともかく、海軍の麦飯カレーは脚気に強く、陸軍の白米は兵士を感激させたが脚気を救えなかった。
脚気に有効なオリザニンを発見した鈴木梅太郎は東大農学部の出身だったので、彼のノーベル賞候補に際して、東大医学部の教授たちが密かに妨害したと言われている。


[No.16127] 補足 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/16(Tue) 13:06
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船山信次:毒と薬の世界史  中公新書1974

> この本には書かれていないが
> 脚気の細菌説と栄養欠乏説は明治の大きな論争であった。

>.......、海軍の麦飯カレーは脚気に強く、陸軍の白米は兵士を感激させたが脚気を救えなかった。
> 脚気に有効なオリザニンを発見した鈴木梅太郎は東大農学部の出身だったので、彼のノーベル賞候補に際して、東大医学部の教授たちが密かに妨害したと言われている。

鈴木梅太郎については、本の後のほうでくわしく述べられていた。

お茶 中国雲南省が原産地
コーヒー アフリカ(エチオピア)が原産地
ココア 中南米が原産地

2002年 中国から入った、痩せる薬としての漢方薬いわゆる「減肥茶」のたぐいを服用すると肝障害が起きた事例があった。それらの名前はそもそも漢方薬にはないという。(新漢方薬?)
これらの漢方薬?の成分分析が行われたところ、3パーセントの高濃度でN-ニトロソフェンフルラミンが検出された。これは生薬の成分ではなく明らかに化学合成品が混入されたものであった。その化学構造の基本骨格は覚せい剤と同じである。

やはり中国から痩せ薬として入ってきた「天天素」などと称するものがあり、これらの服用との因果関係が疑われる入院治療を受けた事例や死亡事例が起こり、これらの商品からは、シブトラミンやマジンドールが検出された。
シブトラミンは米国で肥満症治療剤とされるが日本では医薬として承認されていない。シブトラミンはすでに述べた覚せい剤と同じ基本骨格を有するアルカロイドである。
一方、マジンドールはわが国では「麻薬及び向精神薬取締法」の規制対象になっている化合物である。

犬の安楽死に用いる薬物(毒物)を使用した事件も起きた。
1994年塩化スキサメトニウムによるいわゆる大阪愛犬家連続殺人事件が発生し、五人の死者が出た。
また、翌年には埼玉愛犬家殺人事件が発覚した。この事件では硝酸ストリキラーネで四名が殺害されている。 ストリキニーネは植物由来のアルカロイドである。(名前が似ているが、マラリア治療薬のキニーネとは全くの別物)