足立倫行:妖怪と歩く 評伝・水木しげる
19人乗りの飛行機でフラッグスタッフ空港に着いた水木しげると著者たち 迎える宮田雪・玲子夫妻は子連れなのに、アメリカに住む住所が定まらない夫婦。 アメリカの原住民ホピ族を訪ねての旅 水木と宮田との交流は二十年以上になるという。 「宮田さんがホピ族を連れてインドに行きたいが金がないというので」資金捻出のため新作本「水木しげるのノストラダム大予言」(辰巳出版)の原作を任せたくらい。
宮田はインドで会った日蓮宗系の平和運動家、日本山妙法寺山主の藤井日達の影響を受け 1978年、反インディアン法の議会上程に抗議する全米インディアン大行進に参加するため渡米し、態度を保留していたホピ族に行進参加を促すためアリゾナ州のホピ族の村を訪問した。 宮田は八年がかりで映画「ホピの予言」を完成させたり、ホピ族の三人を日本に招待した。
ホピ族の踊りをメモした著者は警備員に追い出される。しかし、上着の下に隠して録音した水木やカメラにおさめた宮田(彼は特別に認められていた)は無事だった。 彼らの民芸品カチーナ人形セットを75万円から50万円に値切って水木はキャッシュで買い取った。
アメリカでの日本のアニメ展示会と一緒になって 別室のアニメの部屋は満員だが、水木の部屋はポスターを見たアメリカ人は部屋を出て行った。わざわざサインを求めにやってきたのは子どもに頼まれたという日本人駐在員など。 彼の漫画がアメリカ人に理解されるには時間がかかりそう。水木のアニメもアメリカでは放映されていなかったし。
「ホピの予言」 四つの州にまたがるところからフォー・コーナーズと呼ばれナホバ居留地(ホピ居留地をふくむ)から現在全米エネルギー資源の三分の二以上が採掘されている。 インディアンは鉱物資源を「母の内蔵」と呼び取り出すことを禁じてきたが合衆国政府や大企業にとっては住民を強制移住させても手に入れたい宝の山。 それは1940年代の原爆製造のウラン鉱からはじまり石炭・石油と拡大され、1970年代に入って再度のウラン・ラッシュが起こり、低賃金・安全無視で雇用された多数のインディアン鉱夫が次々にガンで志望、しかも副産物の鉱滓は大量の放射能を含んだまま野積みにされ、あたりに飛び散り川に入って急速に環境を汚染、政府はこの地域を国家的犠牲地域と定め、さらに... ジャーナリスティックな感覚に裏打ちされた鬼気迫るドキュメンタリー映画
著者も境港出身 「手塚治虫は一番病にとりつかれている」と水木しげるは言う。 弟子の石ノ森章太郎にも嫉妬した手塚治虫、その意地が死ぬまで漫画を書き続けたわけだが。
「一時左翼が、安保反対って言ってたでしょ? あれがはわからんのです。戦争であれけだひどいことをやって負けたら、勝ったアメリカの言うことを聞くのは当たり前ですよ。敗戦国なんだから。ドイツとソ連の関係を見ても、やられた方がやった方を許しちゃくれませんよ。日米安保なんて当然のことだと思うんですよね。 右翼はこれもわからんのです。天皇を神と奉って戦争をやって、それで負けた。だったら、なぜまた天皇を神にまつりあげようとするのか。そこがさっぱりわからんのです。間違ってたんだから、そういう考え方はやめればいいじゃないですか。そうでしょ?政治的な運動って、わからんですね。私は」
敗戦時に現地除隊したいという水木に、そんなことはしないで一旦日本に帰って両親に会えと言ってくれた砂原軍医。二人はその後再会するが、砂原は自分の言ったことは覚えていない。砂原は、水木が現地に残ったら、現地人が困るのてはないかと推察して日本に帰ってきたのではないかとと言う。
水木は片手でも落胆しなかった。片手になった軍人がみるみる元気をなくすのわ見て反面教師としたらしい。これではダメだなと思ったという。弱気になったら、こりゃ生きていけん。
戦後に片腕の水木は日本人からも親切にしてもらっが、ニューギニアで現地人から親切にされたのは片腕だったからかもしれないと今になり気づく。
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