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[No.16410] 教養としての <まんが・アニメ> 投稿者:   投稿日:2011/01/10(Mon) 09:33
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教養としての <まんが・アニメ>
  大塚英志+ササキバラ・ゴウ
       講談社現代新書 1553

手塚治虫はアトムを描いているうち、人間の「死にゆく身体」や「成熟する身体」に思い至ります。人間は成長するのに、ロボットのアトムは変わりません。
アトムの「恐ろしい欠点」に気づいた天馬博士とは、その意味では手塚治虫自身であったと言えます。
そして手塚漫画の「恐ろしい欠点」への自覚は、結果としてこの国の戦後史が抱え込むことになった「成熟の困難さ」をめぐる問題とも通底する主題として「アトム」や手塚まんがの中に一貫して見いだされるのです。
ぼくはこの「アトムの命題」との葛藤の中に戦後まんが史があるとさえ考えます。

梶原一輝は「アトムの命題」を最も忠実に継承した作者の一人だと思うのです。言うなれば星飛雄馬はアトムの生まれ変わりであったわけです。
(著者は、このあと、梶原一輝と手塚治虫の間に直接の師弟関係は一切ないと断定している。梶原の劇画は明らかに手塚のストーリー漫画との違いをうたって出発したはずである)

しかし、手塚と梶原の間に直接の関わりや影響の跡、そして互いに互いをどう思っていたかとは全く違う次元で、この二人の作者は戦後まんが史という歴史の上では明らかに一つの系譜をなしているように思えます。そしてこの全く異質な二人の作者をつなぐのが「アトムの命題」です。

「巨人の星」では、十歳だった星飛雄馬が長嶋茂雄の巨人入団の記者会見に突如姿を現すところから始まり、リトルリーグ、高校野球、そして巨人に入団してから後の物語へと続きます。
一方、「あしたのジョー」はドヤ街に現れた孤児の少年矢吹ジョーが落ちぶれた元ボクサー丹下段平に見いだされプロボクサーへの道をたどっていくという物語です。

こういった主人公の成長を幼年期、思春期から青年に至るまで、その経路や教育の受け方、人格形成などに焦点を当てて描く物語を小説の分野では「教養小説」と呼びます。「教養小説」とは日本語訳で、本来は(ビルドゥングスロマン)といいます。これは直訳すれば「成長物語」となります。

けれども「巨人の星」や「あしたのジョー」は主人公の成長物語でありながら、しかしその結末は常に悲惨です。
星飛雄馬は左腕を破壊して姿を消し、矢吹ジューも「真っ白に燃え尽きて」しまいます。また「タイガーマスク」の伊達直人に至っては世界チャンピオンに挑戦する直前、交通事故で人知れず死んでゆくのでした。

成長しないロボットのアトムに成長を求めてしまった天馬博士の姿と星一徹は重なり合うのです。しかも天馬博士は死んだ息子の代わりにアトムを作り、星一徹は巨人に追われた自分の身代わりとして星飛雄馬に野球を教え込みます。
つまり、星飛雄馬はアトムと同じ運命の子どもであったわけです。

「巨人の星」の半ば、大リーグボール1号を打ち砕かれ、直後では星飛雄馬は自分は父親に作られた「野球ロボットだ」と自らの運命に反発し、女の子と恋愛をするなど「人間らしく」生きようと一度は努力します。
ロボットが人間らしく生きたいと願うアトムの矛盾を、星飛雄馬はしっかりと継承しているわけです。けれども恋人は不治の病で死に、星飛雄馬は再びプロ野球に復帰します。

星飛雄馬が戦っていたのは息子を成長させるために父親の与えた試練ではなく、むしろ、プロ野球選手である限りは小さな身体を酷使し父から与えられた野球技術の中で生きなくてはいけないという運命、つまり、永遠に父親離れできず大人になることができないという父の与えた呪縛との戦いであった、という気がします。
アトムが「父」天馬博士によって成長しない身体=ロボットとして作られたのと同じ葛藤を、星飛雄馬もまた生きなくてはならなかったのです。
だからこそ、星飛雄馬は成長するためには、つまり、父の呪縛から逃れるには自らを破滅させるしかなかった、ということになります。
「巨人の星」は一見、主人公を成長させようとする父親を描きながら、しかしそれは息子に成長を禁じる父親がその背後に存在していたのです。
そしてその象徴として、プロ野球選手に致命的な小さな身体やロボットの如く与えられた野球の技術があるのです。そこにはやはりアトムの姿をぼくは見ないわけにはいきません。

 ーーーーーーーーーーーーー

教養小説は、ドイツでこのような型の小説が育ったので、英語でもしばしばドイツ語表記(Bildungsroman、ビルドゥングスロマン)が使用される。

初期の教養小説として有名なものにゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」がある。
ほかにも下記のような小説がある。
 緑のハインリッヒ(1850年、ゴットフリート・ケラー)
 ジャン・クリストフ(1904年 - 1912年、ロマン・ロラン)
 車輪の下(1906年、ヘルマン・ヘッセ)
 魔の山(1924年、トーマス・マン)
 三四郎(1908年、夏目漱石)
 次郎物語(1941年-1954年、下村湖人)
個人的には、「即興詩人」や「路傍の石」もあげたい。

さて
この著者は
成長しないロボットのアトムと悲劇の投手星飛雄馬の類似点を指摘しているが
それを、日本の戦後の「成熟の困難さ」に結び付けているのは、評論家としてのさがであろう。
国家の経済成長とか民族の発展興亡はまた別の問題であろう。

そもそも
子ども時代をあつかう小説や物語が、主人公が大人になると
続きが書きにくいのは、かのトムソーヤの作者もそう書いている。
だから、少年の時代の話でやめている。
若草物語やアンのシリーズなどで、作者は苦労して書き続けたが、結局は主人公が大人になってからは、時代背景や人物をめぐる環境の変化に対応するのが難しくなってくるのである。

「サザエさん」や「ちびまる子」を見るとわかるように
主人公とそれをとりまくキャラクターたちは成長しないのである。
それが、話を続けるためには必要なのである。
 という楽屋裏事情にふれて、ひとまずこの本の紹介を終わります。


[No.16411] Re: 教養としての <まんが・アニメ> 投稿者:   投稿日:2011/01/10(Mon) 11:41
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> 教養としての <まんが・アニメ>
>   大塚英志+ササキバラ・ゴウ
>        講談社現代新書 1553

アニメに関するところですが
短くメモ書きします。

アニメ「ガンダム」は商業的には失敗作となった。
おタク的なアニメファンから高い評価を得たものの、全国的には放映されない地方も多かった。
スポンサーの玩具会社クローバーからテコ入れの要請があった。
 一話完結
 勧善懲悪
 新合体メカ登場
などの軌道修正がシリーズ半ばで検討された。
富野由悠季(とみの よしゆき)たち制作者側が実際に行ったのは、主役の新合体メカ追加と、敵が毎週新メカを投入してくる程度の変更だけだった。
そもそも彼らは「一話完結」「勧善懲悪」を否定したところから、このガンダム番組を作ってきたのだ。
こうして予定より二ヶ月早くうち切られたのは、要するに、番組の内容を理解できる年齢層とスポンサーのねらう年齢層が、決定的にズレていたからである。
放映が終わってから「ガンダム」のプラモデルが爆発的に売れ出した。
しかし、発売したのはスポンサーのクローバーではなく、バンダイだった。
バンダイのガンダムのモデルを買ったのは、主に中高生以上の人間だった。 

前衛まんが家の石ノ森章太郎は、数々のヒーローを生み出した。
石ノ森作品がたくさん映像化される秘密は、この著者はキャラクター主導のドラマにあると分析している。
それは手塚治虫のまんがではヒゲオヤジやケンイチやランプが役柄を変えていろんなまんがにに登場するのとの違いを指摘している。