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[No.16418] 安藤優一郎:大名行列の秘密 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/12(Wed) 12:57
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三百以上ある大名が、半数は江戸に1年いて、次の1年は国許に帰るのだから
その都度江戸は大名行列が出たり入ったりしただろう。
宿、食べ物、衣料品、そのほかの生活用品を揃えたり、交通整理などと
大変だったろうと思われる。

最後の広島藩主浅野茂勲(しげこと)(明治になり改名し長勲ながこと)は20代後半で明治維新を迎えたが
江戸の社会風俗の記録者として知られる 三田村鳶魚 (みたむらえんぎょ)の質問に答える形で
大名時代の日常を語った。 その回顧録は面白い。

参勤交代時、道中は本陣に泊まる。枕元の床の上には軍器が並んでいる。
殿様が眠っている傍らで小姓が二人座っていて、本を読みたてている。
ありふれた盛衰記とか太平記というものを読むので、やはり眠いから
ひとつのところを二度読んだりしておかしくもあるが、枕元で読んでいられるのでなかなか眠れない。

小姓は殿様の警備役なので不寝番として二人座っているわけである。
寝込んでしまっては夜襲を受けたら殿様を守られないか、起きていないといけないのである。
だから、殿様の寝所は一晩中明かりがついている状態だった。
小姓たちは盛衰記や太平記を朗読していた。彼らが眠らないようにという配慮であろう。
しかし、殿様としたら、明るい上にそばで朗読されては気になって眠りたくても眠られなかったであろう。 殿様にはプライバシーはなかったらしい。


[No.16419] Re: 安藤優一郎:大名行列の秘密 投稿者:   投稿日:2011/01/12(Wed) 17:26
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> 最後の広島藩主浅野茂勲(しげこと)(明治になり改名し長勲ながこと)は20代後半で明治維新を迎えたが
> 江戸の社会風俗の記録者として知られる 三田村鳶魚 (みたむらえんぎょ)の質問に答える形で
> 大名時代の日常を語った。 

寝所に入っても、警護の不寝番が座っていては、殿様はゆっくり眠られない。
当然睡眠不足になる。参勤交代では数日から十数日かかるから、どこかで睡眠不足を解消しなければならない。
どこで睡眠を補うかというと、それは駕籠に乗ったときである。駕籠の中で眠るという。
しかし、駕籠の乗り心地といえば、駕籠の中に薄い布団が敷いてあるくらいなので、あんまり楽ではなかったと浅野の殿様は述べている。

参勤交代の大名行列は一日にどれくらい歩いたか、どうやら平均32〜36キロぐらい歩いたらしい。
盛岡藩南部家の場合、盛岡から江戸間で11泊12日もしくは12泊1日の旅だったという。平均すると一日に43〜46キロ歩いたことになる。
 盛岡ー花巻ー水沢ー神成ー三本木ー仙台ー大河原ー福島ー郡山ー白河ー佐久山ー宇都宮ー杉戸ー千住ー江戸

大名行列には警護の武士だけでなく、殿様専任の料理人もメンバーに加わっていた。
宿場の本陣に行列が到着すると、料理番が台所に入って調理する。調理が終わると、料理の責任者である台所奉行がまず毒味する。
それからいよいよ、殿様の御前に出されることになるが、今度は殿様の毒味役による再度のチェックが入る。毒味役は実際は近習が毒味をしていたようだ。
二重のチェックを受けた後、ようやく殿様は箸をつけることができた。

こうして毒味された食べ物は、味がまずくても一言も言えない。何か嫌いなものが出たら無理して飲み込むこともある。
事前に希望を聞かれるが、出てきた料理が口に合わなくても、出されたものは食べないと、料理人の責任問題に発展するから残さず食べることになる。
量も決まっていて、それを毎日規則正しく食べることになる。

この本には携帯用の風呂と携帯用のトイレの説明もありました。もちろん殿様専用です。風呂は沸かすのではなく、お湯を運んできて風呂としたようです。


[No.16420] Re: 安藤優一郎:大名行列の秘密 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/12(Wed) 20:56
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大名行列は将軍も例外ではない。
将軍家茂は東海道を行列して京都に着いてから、大阪城に入り長州征伐の本拠地としたのだが
結局家茂は大阪城で病死して江戸に戻られなかった。

この将軍家茂の東海道行列を来日したシュリーマンも見物している。
外国人が将軍の行列を見学している錦絵が残っている。

大名行列は費用がおどろくほどかかったので、各藩は経済危機に陥った。金を貸した商人たちが大名邸に押し寄せたし、増上寺も実は金貸しをしていたので僧侶たちが直訴に及んだ。これはさすがに幕府でも問題となり、増上寺は幕府の叱責を受けた。

こんなことが続き、大名の経済を救うため、幕府は江戸在府期間を1年から半年に減らした。
それは海外の侵略の恐れが出てきて軍事力の増強をはかるためであった。
大名は少し楽になったが、江戸の経済は悪くなった。 

参勤交代の緩和に伴い、江戸に置いた大名の妻子の帰国を許した。
こうした処置は、諸大名の自立性を高め、幕府権威を失墜させることになっていった。
そして宿場町の宿屋も飲食業者も経済的にきびしくなった。

大名行列は、幕府の権威を高め、諸大名の力をそぐ目的があったが、経済的事情で続かなくなり、大名行列の縮小となり幕府の権威は低下して、ついには明治維新となるわけだが、現代の町おこしとして、大名のキャラクターとしての再発見、あるいは大名行列をモデルとした行列をイベントとすることなどが全国各地に見られることで、大名行列の意義のひとつが現代も生きているのではないかと著者は結んでいる。