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[No.16425] 「橋のない川」を読む 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/15(Sat) 05:45
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「橋のない川」を読む
対談 住井すゑ/福田雅子

壷井栄と壺井繁治の夫婦は、ある時期うまくいかない時期があった。
二十四の瞳で栄が有名になり、訪ねてくる客が栄の客ばかりだった。
繁治にとっても栄にとっても辛い時期だった。
住井すゑはだから夫が亡くなってから
橋のない川を書いたという。

家で病気で寝てばかりいた父親を子供たちが尊敬するようにと
住井すゑは夫に金の管理をさせた。
母はケチだ、父は何でもいうとおりに金をくれると娘れい子は思った。

「橋のない川」は、住井すゑが著作した小説。1部から7部まで刊行され、第8部は表題のみを残し作者が死去している。

橋のない川の意味
 部落に橋がかかっていない、そこに橋をかける。
 作者は、ベーリング海峡を考えた。あそこが陸続きだったら、アメリカ大陸もなく、シベリア大陸もない。世界はひとつであり、敵対関係は生まれなかった。ベーリング海峡に橋をかける小説を書くという考えがあった。ベーリング海峡ではあまりにもスケールが大きくなって、小説としてはまとまらない。そこで普通の川に架ける橋ということになった。

孝二が夢を見るシーン
シベリアのある岬に孝二がたたずみ、相対するアラスカの岬にまちえの姿がある。非常に幻想的なシーンとして描写されている。

住井すゑは、天皇がいるから被差別部落があると考える。天皇制は身分差別が必要なのだと考える。

「夜あけ朝あけ」の合評会にいくと、聞くに堪えないような悪口雑言並べて非難された。児童文学をやっていた一部の人たちが非難攻撃してきた。反動だといって。
ところが、レニングラード大学教授による「夜あけ朝あけ」の批評が新聞に出た。
「夜あけ朝あけ」ぐらい先見の明を持っている作品はない。人類の将来を見通した作品だ。これに並ぶ作品があれば教えを乞いたいものだ。
それに続く日本の農村を描いた短歌とか詩とかたくさんあるけれども、それはみんなこの思想の後を追ってるようなもんだっていうふうな意味あいで、先駆的である、先見の明に富んでいる作品だと批評された。
それが日本では、これくらい反動でくだらない作品はないと非難を受けたのだ。

これだけ非難されたらペンを折るだろうといわれたが、見ておれと彼女はドアを蹴って出て帰った。もうそのときは橋のない川の構想はきちんとできていた。
 農地解放で自分の土地はもらったが、供出制度で食えないから長男は都会へ出稼ぎに出る。

住井すゑは、国家はいらないという。当然国旗も国歌も不要。
みんなまとめて一つの国になったら、軍隊は一種の国家警察になる。
戦争はない。

住井すゑは第七部で抑えておいて、第八部で盛り上げるという構想をいだいていた。
第七部はあんまり感動がなかったのはそのためだった。
しかし、作者は第八部をタイトルだけ書いて原稿を書かないうちに亡くなってしまった。

作者の考えでは沖縄戦に熊夫一人だけ生き残るというあらすじを考えていた。
それは隊長が「明日はアメリカ軍が攻めてくる。水筒の水を飲み回そう」と言いさらに「ここにエタはいないから安心して飲め」と言う。
その場にいた熊夫は「俺だけは末期の水は飲まない」と、隊長の差別に抗議して玉砕の部隊に入らない。
そしてただ一人生き残る。捕虜になり無事送還される。
そういった筋書きを考えていた。

作者は女学校時代、部落の資産家の娘が同級生だった。
裁縫の時間に、裁縫の着物をたたむとき一人ではたたみづらい。
だから二人でたたむのだが、部落から来ている娘には誰も手伝わなかった。
最初は傍観していた著者も、結局見かねて手伝う。そういう場面に先生は注意しなかったという。
あとで、その部落の娘の兄が役場の部落問題の係になっていて、この兄から部落問題の資料を貸してもらう。

木村京太郎の姉婿がシベリア出兵をしたとき、軍隊内で差別を受けたことを直接聞くことができた。