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[No.16428] 中谷陽二:精神鑑定の事件史 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/16(Sun) 05:42
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中谷陽二:精神鑑定の事件史
    中公新書1389

刑法第三十九条
 心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。
   心神喪失者とは、精神障害のために是非善悪をわきまえることができないか、わきまえてもそれにもとづいて行動することができない人をいう。
   心神耗弱者とはこれらの能力が著しく低下している人を意味する。
これはあくまでも法律上の規定で、決定するのは裁判官であり、そのための判断資料を提供するのが鑑定人としての精神科医に与えられた役割である。

鑑定人は多くの場合
「現在の精神状態」と「犯行時の精神状態」の診断が鑑定事項として要求され、それぞれについて根拠をあげながら説明しなければならない。

「現在」すなわち精神鑑定を行っている時点の精神状態を診断する手法は、通常の診断の場合と大差はない。
ただし、拘禁による特赦な心理的影響すなわち拘禁反応があることを計算に入れる必要がある。
つまり、刑が確定されていない被疑者、被告人では、厳しい判決を受ける琴への不安が大きなストレス原因となる。

とりわけ極刑が予想されるような事件では、被告人はいわば陰っぷちに立たされているわけで、想像を絶した心理的ストレスに曝されている。

拘禁反応の症状はさまざまで、たとえば、自分は無罪だと信じる「無罪妄想」、釈放されることが決まっていると信じる「赦免妄想」という特殊な妄想がある。

心神喪失者と判定されて刑を軽くされることを期待し、精神病を演じる場合は詐病と呼ばれる。

詐病も拘禁反応も、日常の診療場面では経験できない得意な現象であり、被鑑定人が置かれた状況、その心理の特殊性を熟知していないと誤診のもとになる。

「犯行時」の精神状態の診断となると、さらにやっかいである。
犯行日時は、鑑定の数ヶ月前か、再鑑定であれば一年以上前のこともあり、犯行時の状態は、もちろん実際に目で見て観察する訳にはいかない。
被鑑定人の供述内容がそれまでどのように変化してきたかということまで知っておかなければならない。


[No.16429] Re: 中谷陽二:精神鑑定の事件史 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/16(Sun) 05:46
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ヒンクリー裁判
レーガン大統領を撃った男
 ヒンクリーは金持ちの両親に育てられた落ちこぼれ息子
 映画「タクシー・ドライバー」の主人公と一体化した彼は
 ヒロイン役の十三歳のジョディ(彼の母と同じ名前)の熱狂的ファンになり、のちに彼女がイェール大学に進学した時、おっかけをはじめる。
 ジョティにとってはありがためいわくのファンだった。

 彼女の気をひくため、彼はレーガン大統領暗殺を決行して失敗し捕まえられる。

ロシア皇太子襲撃事件
明治24年3月
ロシア皇太子ニコライを国賓として迎えるという勅諭が政府から発せられた。
皇太子はギリシアのジョージ親王をともなってシベリア鉄道の起工式に向かう途上、4月27日に長崎に来遊し、鹿児島を経て、5月9日には神戸から京都に到着した。
11日には接待の責任者である有栖川宮親王の案内で滋賀県を遊覧し、三井寺を訪れた。滋賀県庁の訪問を終えて京都の旅館にもどる途中、沿道警備をしていた巡査の一人津田三蔵が突如としてサーベルを抜いて皇太子に切りかかったのである。
犯人は車から飛び降りた皇太子を追尾したが、車夫らと皇族の車に乗っていたジョージ親王に取り押さえられ、そのさい奪われたサーベルで切られ、負傷していた。

犯人は犯行理由をあいまいにしか述べなかったため、三浦判事が尋問をもとに次のように要約した。
・かねてからロシアの対日政策に不満を抱いていた。
・皇太子は漫遊を口実として日本の地理視察のため来日したのではないかと想像したる
・まず東京に赴いて天皇に挨拶しないことが甚だしい無礼であると憤った。
・当日、三井寺境内の西南戦争記念碑の警備を命ぜられ、みずから出征した戦役の往時を偲んで感慨を深くしたおり、二人の西洋人が四方を眺望しているのを見て、皇太子が県下の地理を視察しているものと判断した。このとき犯行を決意したが、実行は躊躇した。
・そこで機会をうかがい、沿道警備のさい決行した。

津田は裁判では落ち着いていて、裁判長の問いに答え「愛国の情、忍ぶこと能わざるに至るより、害を加え奉りしものなり」と起訴状と一致する内容を証言した。

この著者は津田の症状を下記のように解説している。
津田は勤勉、へんくつ、非社交的な、分裂気質者が疑われる性格の人であり、詳細は不明であるが、短期間の精神的変調のエピソードの経歴をもつ。
事件の直前まで特異な言動は気づかれず、犯行は計画性のない、きわめて唐突な行為である。核心についての記憶が抜け落ちており、犯行のさなかには意識が狭窄し、外界の認知が妨げられていたことを推測させる。また犯行後は速やかに正常な状態に復している。
要するに犯行時には一時的な異常状態にあったと思われる。これは、もともと心理的ストレスへの脆弱性をもつ津田が、耐えられる限度を超える状況に置かれたことによって引き起こされたと考えられるのである。


[No.16430] Re: 中谷陽二:精神鑑定の事件史 投稿者:男爵  投稿日:2011/01/16(Sun) 05:51
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津山三十人殺し
昭和13年に岡山県津山市近郊で、祖母に育てられた都井睦雄が大量殺人を決行。
彼は徴兵検査で結核と診断され不合格になり、その後に二人の女性から屈辱的仕打ちを受け、人生に絶望し犯行に至った。

国民学校教師のワーグナーはミュールハウゼン村で自分の妻子を殺してから大量の村人殺人を行う。
クレペリンの弟子ガウプはチュービンゲン大学の精神科主任教授で、ワーグナーの精神鑑定をしてパラノイアと判定した。
ワーグナーは筆がたち、「妄想」という戯曲を書く。これはバイエルン国王ルートヴィヒ二世が侍医グッデン博士とともにシュタルンベルク湖で溺死した話である。
ルートヴィヒ二世とグッデン博士との関係は、ワーグナーとガウプとの関係と同様、パラノイアと鑑定人との関係であったが、このことをワーグナー自身が気がついていた。
ナチスに信奉していたワーグナーは自分の子どもが劣悪の遺伝子をもっていたので殺したことを是と考えていたようだ。

津山事件の都井睦雄とワーグナーの共通点について
著者は下記のようにまとめる。
どちらの場合も、妄想と犯行は村落の狭い共同社会を舞台として起きたものである。
都井ではひ弱な敏感性が、ワーグナーでは精力的な活動性が目立つという違いはあるが、どちらも努力家で優秀な模範青年であったこと、倫理的敗北を意味する性的過失が妄想の鍵体験となったことはよく似ている。
都井が若くして罹患し、ワーグナーでは死因となった結核も共通点といえる。
さらに犯行に先立って自殺の願望が存在し、ついには死を決意して殺人を決行したことも一致する。
大量殺人犯はしばしば直後に自殺を図る。その場合は一種の拡大自殺であり、多数の他人をまきぞえにした自己破壊行動といってもよい。

より興味深い点は、彼らの人生に対する特有な構えである。都井は遺書の中で、幼少時代にはじまり、犯行決意に至ったさまざまな経緯を語ったうえで「ああ思えば不幸な僕の生涯であった」と、自分の生涯の総括を記した。
ワーグナーは、殲滅計画を練るのと並行して全三巻の自伝を著した。これらはいずれも人生の回顧である。
パラノイアでは妄想と人生が一体をなすことを鋭く洞察したクレペリンによれば、パラノイア患者は妄想を通して、あたかも「人生を、本をひもとくように眺め渡す」のである。