> 中谷陽二:精神鑑定の事件史 > 中公新書1389 ヒンクリー裁判 レーガン大統領を撃った男 ヒンクリーは金持ちの両親に育てられた落ちこぼれ息子 映画「タクシー・ドライバー」の主人公と一体化した彼は ヒロイン役の十三歳のジョディ(彼の母と同じ名前)の熱狂的ファンになり、のちに彼女がイェール大学に進学した時、おっかけをはじめる。 ジョティにとってはありがためいわくのファンだった。
彼女の気をひくため、彼はレーガン大統領暗殺を決行して失敗し捕まえられる。
ロシア皇太子襲撃事件 明治24年3月 ロシア皇太子ニコライを国賓として迎えるという勅諭が政府から発せられた。 皇太子はギリシアのジョージ親王をともなってシベリア鉄道の起工式に向かう途上、4月27日に長崎に来遊し、鹿児島を経て、5月9日には神戸から京都に到着した。 11日には接待の責任者である有栖川宮親王の案内で滋賀県を遊覧し、三井寺を訪れた。滋賀県庁の訪問を終えて京都の旅館にもどる途中、沿道警備をしていた巡査の一人津田三蔵が突如としてサーベルを抜いて皇太子に切りかかったのである。 犯人は車から飛び降りた皇太子を追尾したが、車夫らと皇族の車に乗っていたジョージ親王に取り押さえられ、そのさい奪われたサーベルで切られ、負傷していた。
犯人は犯行理由をあいまいにしか述べなかったため、三浦判事が尋問をもとに次のように要約した。 ・かねてからロシアの対日政策に不満を抱いていた。 ・皇太子は漫遊を口実として日本の地理視察のため来日したのではないかと想像したる ・まず東京に赴いて天皇に挨拶しないことが甚だしい無礼であると憤った。 ・当日、三井寺境内の西南戦争記念碑の警備を命ぜられ、みずから出征した戦役の往時を偲んで感慨を深くしたおり、二人の西洋人が四方を眺望しているのを見て、皇太子が県下の地理を視察しているものと判断した。このとき犯行を決意したが、実行は躊躇した。 ・そこで機会をうかがい、沿道警備のさい決行した。
津田は裁判では落ち着いていて、裁判長の問いに答え「愛国の情、忍ぶこと能わざるに至るより、害を加え奉りしものなり」と起訴状と一致する内容を証言した。
この著者は津田の症状を下記のように解説している。 津田は勤勉、へんくつ、非社交的な、分裂気質者が疑われる性格の人であり、詳細は不明であるが、短期間の精神的変調のエピソードの経歴をもつ。 事件の直前まで特異な言動は気づかれず、犯行は計画性のない、きわめて唐突な行為である。核心についての記憶が抜け落ちており、犯行のさなかには意識が狭窄し、外界の認知が妨げられていたことを推測させる。また犯行後は速やかに正常な状態に復している。 要するに犯行時には一時的な異常状態にあったと思われる。これは、もともと心理的ストレスへの脆弱性をもつ津田が、耐えられる限度を超える状況に置かれたことによって引き起こされたと考えられるのである。
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