[No.15683]
釣りキチ三平の釣れづれの記 平成版
投稿者:男爵
投稿日:2010/08/29(Sun) 11:15
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矢口高雄の本名は高橋高雄
釣りキチ三平はその名前を尊敬する白土三平から拝借したという。
(なにしろ生まれる子どもにつけようとした名前だった。が、娘二人しか生まれず、息子につけることはできなかった)
ガロの編集長に頼んでも、白土三平は人嫌いだから会えないと断られ
弟子に頼んで白土三平の仕事場に入ることができ、憧れの白土三平と話ができたのだった、
釣りキチ三平の姓は三平(みひら)で、これは秋田出身の大毎オリオンズの三平春樹からやはり拝借したという。
だから、釣りキチ三平は三平三平(みひらさんぺい)となる。
作者の本名が高橋高雄という名前で、その印象に似せてつくったらしい。
高校卒業後銀行員生活を12年続けて
やはり漫画家になりたいという夢があきらめられず
ガロに漫画が載ったことをきっかけに銀行を退職して背水の陣で漫画家をスタートした。
しかし、堅実な性格で描く漫画は最後までの筋を考えてから描くし
雑誌社から新しい連載など頼まれても、自分のペースを守って
無理な仕事はしないようにした。
締め切りをきちんと守る数少ない漫画家として出版社の世界では有名だったという。
東北出身、かつ銀行員という職業から身につけた真面目さが
この漫画家の身上かもしれない。
昭和48年
「釣りマンガ」連載の要請が出版社からあったが
著者はすぐ引き受けなかった。
それまでの経験で、準備不足のままスタートして、(本人によると)少年誌二連敗の苦い経験から
まず一、二本読みきりを描いて自信がついたら連載をしたいと出版社に頼んだ。
そして
発表したのが「幻の怪蛇・バチヘビ」だった。
バチヘビとは秋田の言葉で、一般にはツチノコと呼ばれる幻の蛇である。
小学生のとき友だちと見たバチヘビの印象をマンガニしたしたものだったが
このマンガで彼は一躍人気マンガ家となることができた。
昭和48年といえば1973年になる。
それから全国でツチノコのブームが巻き起こったらしい。
私がツチノコを本格的に知ったのは「ちびまる子ちゃん」のマンガであった。
調べてみると「ちびまる子ちゃん」4巻に、まる子とたまちゃん、そして丸尾君がツチノコを捕まえて懸賞金をもらおうとする話が載っている。
このコミック本は1989年発刊のもので、雑誌に連載されていたのはおそらく1年前であろう。
この本の中で「いまから十数年前、まぽろしのヘビ:ツチノコの話題が日本中をかけめぐった」と書かれている。