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[No.15734] モラエス 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/10(Fri) 06:39
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マルチメディア館の
徳島でのモラエスに関する写真に対応しています。
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あるいは
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/07-mm/wforum.cgi?no=13981&reno=13394&oya=13212&mode=msgview
(この掲示板は写真が載せられないので)

日本を愛したエトランゼのモラエス
徳島のモラエス会は
モラエスを通じて日本とポルトガルの友好と親善に努めています。

海軍の学校を卒業して、海軍士官となり
マカオで暮らすが、日本に兵器購入のため神戸に来て
日本が気に入って、自分で希望して神戸で領事になり
やさしい日本女性ヨネと暮らした。
領事を退職してから
ポルトガルにも帰らず、マカオの家族(現地妻との間に二人の息子がいた)とも別れ
亡くなったヨネの面影をしのぶため
ヨネの墓のある徳島でひっそり暮らしたモラエス。

そこに日本を愛したラフカディオ・ハーンのような外国人の姿を見ることができる。
モラエスも文学青年だった。繊細な心をもつポルトガル人モラエスは
母国のポルトガルの肉親にもマカオの計算高い現地妻にも心がゆるせず
やさしかったヨネのことをしのびながらひっそり晩年を送った。

ヨネが亡くなって一人暮らしの世話をするべく
ヨネの姪コハルがきて一緒に暮らしたが
若いコハルには幼なじみの男がいて、モラエスには適当にあしらっていたようで
モラエスは内心愉快ではなかったようだが、ヨネの姪ということで
なんとか世話になっていた。
だが、コハルも死んでしまい、さびしいモラエスはコハルの妹マルエが
そばに来てくれることを願ったが断られる。
マルエの母親はモラエスの金が魅力だったから、娘には勧めたようだが。

ヨネは遊郭にいたのをモラエスに身請けされたので
モラエスに感謝して尽くしていたのだが病気で死んでしまう。
彼女が長生きしていたのなら、おそらくモラエスの日本の生活は幸福なものとなったろう。

日本が好きで徳島にひっそり生活してヨネの墓参りをかかさなかったモラエスだが
徳島の人からは冷たく扱われたという。
日本人は外国人には冷淡なのだ。特に戦前の地方都市においてはそうであったろう。

だが、東京外語大学にポルトガル語科ができてポルトガル人の教師によりポルトガル語を学ぶ学生たちが増えると
ポルトガルで日本のことを書いたモラエスの本を読んだポルトガル人の評判が日本に入るにつれ、モラエスの評価が高くなって
東京外語大学のポルトガル学科の学生たちが四国にやってきた。
上手なポルトガル語でモラエスに話しかけるものだから、モラエスは驚いたり感心したりした。
それから、モラエスは公的に日本人から愛されるようになって、あちこちのセレモニーに来賓として招待されることになったが、行きたがらなかったという。


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