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[No.15739] フランケンシュタイン 投稿者:男爵  投稿日:2010/09/11(Sat) 07:08
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世界こわい話ふしぎな話シリーズの第1巻(全12巻) 金の星社 1984
子ども向きの本だが、いちおう名作を読んでおこう。

17××年 北極をめざす船が回りを氷原にとりかこまれながら進んでいた。
一台の犬ぞりが北に向かって走っていた。犬ぞりには巨人のような人間が一人乗っていた。
船は氷に囲まれて進めないから翌朝まで待っていると
別の犬ぞりが大きな氷に乗って船のほうへ流されてきた。
船長たちは
その犬ぞりの男ビクター(ヴィクトール)・フランケンシュタインを助けて、彼から恐ろしい話を聞いた。

ジュネーブ生まれのビクター・フランケンシュタインはインゴルシュタットの大学で化学を勉強して、生命のみなもとを研究しているうちに、生命のみなもとを発見した。
そして、彼は人造人間をつくる。
(いっぱんに言われている怪物フランケンシュタインは、作った科学者の名前がフランケンシュタインであり、作られた人造人間のことではないのだが、怪物の名前として知られている)
こうして作られた男は顔が醜かったため、人々に親切にしても迫害されて続けて、やがて心もすさんで、人間たちに復讐をするようになる。

特に自分を作ったビクター・フランケンシュタインに対しては憎しみが大きく
彼の兄弟や妻や親友まで殺してしまう。がさすがに作ってくれたビクター・フランケンシュタインは殺さず、北極をめざして逃げてしまったので、ビクター・フランケンシュタインが彼を追っていたのだ。

この恐ろしい話をし終わってビクター・フランケンシュタインはやがて船内で死ぬ。
いつのまにか現れた大男は自分を作ってくれたビクター・フランケンシュタインの前で泣く。
泣き終わって、船長に自分も死ぬことを告げ氷に乗って去っていった。

     ▼   △   ▼

イギリス人作家メアリ・シェリーによって書かれた
人造人間の物語

なんと彼女は19歳の時に、この奇怪な物語を執筆したのである。
彼女は1797年8月30日、ロンドンに生まれた。
彼女が16歳の時、社会主義の先駆者として知られる父
ウィリアム・ゴドウィンの思想に共鳴し、
同家に出入りするようになった、青年詩人パーシー・ビッシュ・
シェリーと恋に落ちた。

しかし、シェリーにはすでに妊娠していた妻ハリエットがいた。
メアリは義妹ジェーン(後にクレアと改名)を伴い、
シェリーと駆け落ち同然で大陸へと旅立つ。
以後、彼ら3人は大陸諸国やイギリス各地を転々とする放浪の日々をおくり、
その間にメアリは、長女(生後すぐ死亡)と長男ウィリアムの2子を出産
している。

1816年5月にスイスのジュネーヴに赴いた3人は、友人の
バイロン卿と侍医ポリドリが滞在するレマン湖畔のディオダティ荘で、
ひと夏を過ごすことになった。
天才詩人バイロン卿は、当時クレアと愛人関係にあり、彼女はその子を身ごもっていた。

別荘ではやがて彼らは、当時はやっていたオカルト科学をめぐる議論や、
ドイツの怪談本を楽しむようになった。

ある日、バイロン卿が「めいめいが怪談話を書いてみよう」と提案した。

だが、文才ゆたかな二大詩人であるバイロンとシェリーは途中で投げだしたのに
対し、素人のメアリとポリドリが、怪奇小説史上に残る名作を書き上げたのである。

ポリドリは、バイロンが残した謎めいた断片をもとに「吸血鬼」を書いた。
この短編は後に舞台化され、「ドラキュラ」などの吸血鬼文学流行のはしりとなった。

1816年10月 メアリの母方異父姉ファニーが、服毒自殺をとげる。
同年12月 妊娠中の妻ハリエットが池に身を投げ、メアリとシェリーは正式に結婚。
1817年5月 メアリはフランケンシュタインの物語を書き上げた。
1818年3月 「フランケンシュタイン」出版された。
同年9月 娘クララがヴェネツィアで病死、
翌年6月 長男ウィリアムも、熱射病のためローマで死亡。
1822年7月 滞在先のスペチア湾で、ヨットが転覆して夫シェリー死亡。
1821年12月 ポリドリが服毒自殺。
1822年4月 妹クレアとバイロンの娘アレグラ病死。
1824年4月 バイロン卿、ギリシアで病死。
メアリー・シェリーが「フランケンシュタイン」の執筆にとりかかってから、
わずか8年余で関係者全員が、不可解な死をとげた。

18世紀後半にフランケンシュタインの亡命家族がジュネーブに実在した。
フランケンシュタイン家は15世紀まで、バイエルンの北部
(フランケン地方、この地のフランケン・ワインは優秀ワインとして有名)に、かなりの領地を所有していたらしい。
しかしルター派に属していた一族は、反宗教改革の勢力によって
同地を追われ、ジュネーヴを拠点に新たな生活を始めることになった。
フランケンシュタイン家の子孫は、特にジュネーヴの法曹界で頭角を現し、
法学者、弁護士、判事を輩出した。

この一族の末裔にヴィクトール・フランケンシュタインという天才科学者がいた。
すでに3歳で家庭教師から、書き方、初等教育、読み方の手ほどきを受けていた
という記録が残されている。
有能な家庭教師のもとで植物学、化学、数学の才能を開花させていった。
彼は17歳でインゴルシュタット大学に入学し、解剖学と生理学を専攻した。
彼の才能に注目した著名な化学者ヴァルドマン教授の理解ある指導のもとに
ヴィクトールは長足の進歩をとげ、入学後2年間で、もはや大学から学ぶ
べきことは何もないまでになった。
このフランケンシュタインの、異常なまでの電気刺激による生命蘇生の実験
とその失敗を記録した日記が残されているという。

蛇足
さて、このフランケンシュタインという言葉について、語源の説明です。
Frankenstein:
Franken(フランケン族 ドイツ民族の一派)の石で造った城(Stein)
フランケン族の領主は石の城に住んでいたので、Frankenstein と名乗ったのかも
しれない。
 なお、
 たとえばドイツ民族の中のアングロ族とザクセン族が
 ローマの兵隊になって、イギリスの島に渡り、
 それが今日のイギリス人の先祖になったので
 イギリス人のことをアングロ・サクソンと呼ぶと
 説明されています。

Frankfurt:
Frank (フランケン族)が歩いて渡ったという
furt(浅瀬)
 ドイツには Ochsenfurt という地名もあります。
 これは雄牛が歩いて渡るほどの浅瀬という意味です。
 イギリスの 0xford も同じ意味といいます。


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