[No.15745]
事故のてんまつ
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/14(Tue) 11:02
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ヨネが亡くなってさびしくなったモラエスが
ヨネの姪コハルと一緒に暮らしたが
若いコハルには適当にあしらわれていた。
コハルも死んでしまい、さびしいモラエスはコハルの妹マルエが
そばに来てくれることを願ったが断られる。
気持ちがうまく伝わらなかった。
ヨネの姪の若い娘たちがモラエスに同情とか共感みたいなものが
少しでもあったら、また違う展開になったろうに。
こう考えたら
老作家が心を寄せた若い女性から冷たくされ
それが引き金となって
老作家の自殺をまねいたという小説を思い出した。
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臼井吉見:事故のてんまつ
ノーベル賞作家をモデルとした小説で、遺族から訴えられ
結局この本は絶版になった。しかし、たくさん出回っているから
古書店でいくらでも手に入るという。
私は図書館から借りてきました。
面白いのは
福島県の医師石田六郎の石川啄木の精神分析がやはり紹介されていること。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/wforum.cgi?no=15490&mode=allread#15490
あの自殺したノーベル賞作家は
孤独な生い立ちだったので
可愛そうな身の上と思われる女性に
特に惹かれる傾向があった。
伊豆の踊り子 駒子
ノーベル賞作家の初恋の人は岩手県の女性というのが定説であるが
その女性は本郷真砂町のカフェで働いていた小娘のような女性であったが
なぜか作家は気に入ってしまい、彼女が引越しした先の岐阜に訪ねていったのは
東京帝国大学二年生のとき。(伊豆の踊り子の3年後)
結局、父親が同意してくれるならと彼女が返事したので
それではと、作家は応援してくれる友人たち三明永無、鈴木彦次郎、石浜金作らと一緒に
わざわざ東大の学生服姿で、岩手県まで行って、婚約にこぎつけた。でも、結婚にはいたらなかった。
なお、鈴木彦次郎は今東光らとともに第6次『新思潮』を継承、新感覚派と呼ばれる文学活動をはじめた作家で、相撲小説、時代小説などの大衆文学に移行し、「両国梶之助」や「常磐津林中(ときわずりんちゅう)」などがある。
また岩手県立図書館館長、岩手県教育委員長などを務め郷土文化の向上に尽くした。
さて、事故のてんまつはノーベル賞作家から思いを寄せられ
迷惑と感じ、それでも父母や周りの人のために我慢して半年だけ
作家の家の女中となるが、その後に延長を強く求められ、そのしつこさにあきれながら
自分の気持ちを大切にするため、とうとうやめてしまった娘の話である。
女中になって作家の車を運転して東京に行くのだが、慣れない東京の道は若いからすぐ慣れてしまう。
でも、作家がどこへでも彼女を一緒に連れて行くのが、彼女の気持ちの負担になったようだ。
とうとう皇太子殿下の前に押し出され、作家から姪ですと紹介されると屈辱感を味わう(と小説では一人称で述べられている)。
強く延長をのぞまれるが、この意志の強い女性は周りの誰から勧められても
女中を続ける意志はなく、きっぱりと断る。
娘からはっきりと拒絶され、作家は自殺してしまう。
作家の亡くなった日の暮れ方に、奥さまが彼女に言う。
「あなたが、昨日承知してくれていたら、先生は死ななかった。あたしはそう思う」
これは小説なので、書かれていることがすべてが事実ではないだろう。
真実もあるだろうが。
この本の作者はノーベル賞作家の生い立ちが原因の心のゆがみが
異常な女性観の原因になったという推理を働かせている。
これもひとつの説だろう。そういうことが原因でノーベル賞作家は、それまで
彼独特の小説を書いたのかもしれない。
この小説では、若い娘の一人称の文体で述べられているのだが
岩手県の初恋の女性も貧しいため小学校も満足に出ていない不幸な過去を背負っているから
作家は関心を寄せたのだろうと推理している。
婚約した岩手の初恋の女性からまもなく婚約破棄の通知が届いて
それがノーベル賞作家に深く心の傷をつけ、それ以後作家はそういう不幸な身の上の女性にとらわれるようになったのではないかと若い娘は考える。
しかし、この娘は養父母の元で育っているが、自分が不幸せだと考えたことはない。
実の父母と会いたいという気持ちもない。ノーベル賞作家から一方的に不幸な身の上の娘だと思われていることは迷惑なのだという気持ちがあるようである。
徳島のかたすみでひっそり暮らしたモラエスと
ノーベル賞を受賞しながら自殺した老作家
もしかすると若い女性がなぐさめてくれることがあったなら
彼らはもう少し楽しい思い出が残ったのかもしれない。
しかし、人間の感情とか、出会いというものは理屈ではないので
良い関係もあれば不幸な出会いもあるということでしょうか。