[No.15807]
藤子不二雄Aの人生、トキワ荘のこと
投稿者:男爵
投稿日:2010/09/25(Sat) 07:31
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いつまでも児童漫画を描き続けた藤本は
人間として漫画家として純粋無垢の人生を送ってきたたまものであった。
ところが、著者は途中から別の道を突き進んだ。
年をとるにつれ次第に児童漫画を描くのが苦痛になっていった。
人間が年をとるにつれわきあがるいろんなことに対する欲望に興味がわいてきたのだ。
「ビッグコミック」に「黒イせぇるすまん」を描いたのがきっかけだった。
それまで愉快な少年漫画ばかり描いてきた著者が、人間のもつマイナーな要望を描くことがおもしろくなってしまったのだ。
児童漫画からだんだん青年コミック、成人コミックのほうへ移行していった。
スタートはいっしょだった二人の路線がはっきりわかれてきた。
こうして五十三歳のとき、四十年以上続けてきたコンビを解消した。
昭和六十三年一月、全日空ホテルで二人の独立記念パーティをした。
漫才のコンビでも別れて、一方がスターになって有名になるが、残ったほうは消えていくというパターンの再現になったら大変とがんばった。
著者は映画「少年時代」の制作や「笑ゥせぇるすまん」のアニメ化もやった。
昭和六十四(1989)年一月、昭和天皇が亡くなり、平成元年となった。
この年の二月九日に手塚治虫が亡くなった。
平成八年、著者と妻はドイツのヴュルツブルクでの世界失語症国際シンポジウムに参加し帰国したら、藤本が自宅で意識不明となり入院したことを知る。
九月二十二日、三年前に亡くなった園山俊二の長男の結婚式の次の日、藤本の死の知らせが届いた。
高岡から氷見にいく電車には、藤子不二雄Aの忍者ハットリくんが描かれている。
寺田ヒロオのトキワ荘の思い出、藤子不二雄Aの書いたトキワ荘、石ノ森章太郎の書いたトキワ荘の回想録などを合わせると、当時の若い漫画家たちの涙と夢の生活が浮かんでくる。