[No.15934]
Re: 奥本大三郎:書斎のナチュラリスト
投稿者:男爵
投稿日:2010/10/15(Fri) 15:11
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> 奥本大三郎:書斎のナチュラリスト
大学院時代いかにフランス文学を研究すべきか悩んだ著者は漱石の「文芸評論」に助けを求める。
夏目漱石が外国文学を読む二つの方法を紹介している。
その一
「言語の障害という事に頓着せず、明瞭も不明瞭も容赦なく、西洋人の意見に合うが合うまいが、顧慮する所なく、何でも自分がある作品に対して感じた通りを遠慮なく分析してかかる」方法
その二
「西洋人がその自国の作品に対しての感じ及び分析を諸書からかり集めてこれを諸君の前に陳列して参考に供する」方法
文学にしても、大学でやるとなると客観的、科学的方法をとるのがよいのであって、講義が面白いか面白くないかはともかく、資料が手に入るようなら底本を造ったり、作品の成立過程や構造の研究をするのがよいと思われる。フランス文学会の発表や学会誌を見ても、そのことはわかるけれど、これさえやっていれば論文が書けるという、何か安心して熱中できる一種の作業のような、「文学学」のテーマを学生に与えてやるのが、結局はいいフランス文学の先生ということになっている。
大学では、たとえば文学部であっても、感性とか文章力というような曖昧なことは、問題にしてはいけないようである。
お互いに迷惑のかかるようなことはしないのが大人というものなのである。
小林秀雄訳ランボーの「地獄の季節」の中の誤訳をあげつらうことは、今の大学院ぐらいの学生にでもできるであろうが、作品としてあれに匹敵する翻訳は現に、誰にもできないのである。
大学の文学部では
小説家のような文章を書けるようになる教育はしてくれない。
文章の流れとか、文法とか、引用資料の考察など、学術的なことを学ぶのである。
それは欧米文学の専門(英文学、仏文学、独文学)だけでなく、国文学でも同じことなのだろあ。