メロウサロン 
[新規順タイトル表示] [ツリー表示] [新着順記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

[No.16115] 李進煕:韓国の古都を行く 投稿者:男爵  投稿日:2010/11/14(Sun) 21:07
[関連記事

李進煕:韓国の古都を行く
著者は1929年生まれ、明治大学大学院修了(考古学専攻)、文学博士、和光大学名誉教授

この本には 公州・扶余と慶州と釜山とソウルのことが書かれてある。
日本の飛鳥時代との関係が詳しい。

ソウルの国立博物館の金銅弥勒菩薩と京都の広隆寺の弥勒菩薩(アカマツ製)の類似性は有名であるが
この本によると、どちらも百済の流れをくむものである。

飛鳥寺址を発掘して、高句麗の寺院建築の技術が高麗(高句麗のこと)尺とともに百済に伝わり、さらに百済から日本へ渡ったことが裏付けられた。(高麗尺は)日本では百済尺とよばれたが、のちに鯨尺となった。

百済は新羅・唐の連合軍に滅ぼされるが、その時たくさんの百済の貴族たちが日本に亡命してきた。
このようなことは、かつて中国の戦国時代に多くの人々が戦乱を避けて朝鮮半島に移り住んできたように、世界各地の歴史では見られることである。
(江戸時代初期に、明代末期に満州族が北方から北京に来て清朝をつくったとき、多数の亡命者が中国大陸から長崎に移住してきた)

この著者の本貫は慶州で、始祖を瓠公という。「三国史記」によれば
「瓠公の出生明かならず、もと倭人にして、瓠を腰にさげ海を渡ってきた。故に瓠公と称す」とある。
だから、著者の先祖は日本列島のどこかから朝鮮半島に渡ったことになる。
しかし、瓠(ひさご)の原産地は南方の熱帯地である。
新羅の開国神話をみても、北方系の他に南方系もあり、さらに中国の神話もかぶさっている。
神話は人が運んだものであり、したがって朝鮮民族を単一民族だとするのは誤りである。
(同様に日本民族も単一民族とするのは人類学的に誤りであろう。日本人の先祖は回りが海だから、北方からも南方からも朝鮮半島からも中国大陸からも来ていたはずだ)
(きっすいの日本人と思われる我々の中にも、モンゴル人、韓国人、タイ人、フィリピン人などによく似た顔を見つけることができる)


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ※必須
文字色
書込暗証番号(必須 半角で7080を入力)
Eメール(必須 非公開を推奨) 公開   非公開
タイトル sage
URL
メッセージ  手動改行 強制改行 図表モード
暗証キー (英数字で8文字以内)
プレビュー   

- 以下のフォームから自分の投稿記事を削除することができます -
- 自分の投稿記事に返信(レス)が付いている場合は削除をご遠慮ください -

処理 記事No 暗証キー