[No.16144]
Re: 木村聖哉:添田唖蝉坊・知道
投稿者:男爵
投稿日:2010/11/20(Sat) 19:10
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> 木村聖哉:添田唖蝉坊・知道 演歌二代風狂伝
> 関東大震災の時、日暮里はかろうじて焼け残っていた。
> そこへ知道は作ったばかりの「大震災の歌」を引っさげて演歌に行く。21歳の若い演歌師であった。
> おそるおそる、まったくおそるおそる、オリンを弾き出し、うたい出してみた。せまい横丁である。あちこちから忽ちの、人が飛び出して囲まれた。けれど、怒られるのではなかった。みなしいんと聴いているのだった。被害の状況を語り綴った報道歌を、うたい終わったら、それをくれ、くれと、みな手をのばして寄ってきた。売れた、売れた。
> ほっとした。そこで「復興節」の方をうたってみた。これは軽快調である。すると、さわやかな笑いがおこってきたではないか。これでまったく安心した。
> そして、人は、どんな悲憤の底にいても、歌は欲している、ということを、思い知らされたのである。
これを読んだ私は
西條八十がやはり関東大震災のあとに
上野の山でハーモニカを吹く少年が
災害で悲嘆に暮れた人々を慰め元気づけるのを見て
「やはり音楽は人に元気を与える」と思ったことと
重なります。
$ 大混乱の人混みでなかなか進めず、深夜の上野の山で過ごすことになった西條八十は
疲労と不安と飢えで無口になった群衆のなかで、一人の少年がポケットからハーモニカを出して吹くこうとしていたのを見る。
$ 西條八十は一瞬、周囲の人々が怒り出すのではないかと案じ、止めようとしたがもう少年は吹きはじめた。
$ 「それは誰も知る平凡なメロディであった。だが吹き方はなかなか巧みであった。
$ と、次いで起こった現象、これが意外だった。群衆はわたしの危惧したように起こらなかった。おとなしく、ジッとそれに耳を澄ませている如くであった」
$ 上野の山の群衆はこのハーモニカの音によって慰められ、心をやわらげられ、くつろぎ、絶望のなかに一点の希望を与えられた。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/wforum.cgi?no=15867&mode=allread#15867
音楽はいいものなのです。 大衆芸術はいい。