[No.16420]
Re: 安藤優一郎:大名行列の秘密
投稿者:男爵
投稿日:2011/01/12(Wed) 20:56
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大名行列は将軍も例外ではない。
将軍家茂は東海道を行列して京都に着いてから、大阪城に入り長州征伐の本拠地としたのだが
結局家茂は大阪城で病死して江戸に戻られなかった。
この将軍家茂の東海道行列を来日したシュリーマンも見物している。
外国人が将軍の行列を見学している錦絵が残っている。
大名行列は費用がおどろくほどかかったので、各藩は経済危機に陥った。金を貸した商人たちが大名邸に押し寄せたし、増上寺も実は金貸しをしていたので僧侶たちが直訴に及んだ。これはさすがに幕府でも問題となり、増上寺は幕府の叱責を受けた。
こんなことが続き、大名の経済を救うため、幕府は江戸在府期間を1年から半年に減らした。
それは海外の侵略の恐れが出てきて軍事力の増強をはかるためであった。
大名は少し楽になったが、江戸の経済は悪くなった。
参勤交代の緩和に伴い、江戸に置いた大名の妻子の帰国を許した。
こうした処置は、諸大名の自立性を高め、幕府権威を失墜させることになっていった。
そして宿場町の宿屋も飲食業者も経済的にきびしくなった。
大名行列は、幕府の権威を高め、諸大名の力をそぐ目的があったが、経済的事情で続かなくなり、大名行列の縮小となり幕府の権威は低下して、ついには明治維新となるわけだが、現代の町おこしとして、大名のキャラクターとしての再発見、あるいは大名行列をモデルとした行列をイベントとすることなどが全国各地に見られることで、大名行列の意義のひとつが現代も生きているのではないかと著者は結んでいる。