大正の部屋  ー温故知新ー 
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[No.925] 婦人従軍歌。 投稿者:   投稿日:2009/02/04(Wed) 16:40
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まーちゃん、らめーるさん

>  亡父は、兵隊時代に東京の「衛戍病院」付属の「看護学校」のようなところに行かされたそうです。
>  当時(大正の初期)は、女性の看護婦さんが従軍することができなかったため
>  男性の看護師の資格を持った看護兵が必要であったからといっていました。
>  産婦人科と小児科以外のすべての臨床研修もしたそうです。

オヤ? こんな軍歌がありましたよ。
兵隊で火線まで行くのは衛生兵。 赤十字は多分後方勤務?

                            変蝠林(1917-)
   
  婦人従軍歌  加藤義清作詞  奥 好義作曲

火筒の響き遠ざかる 後には虫も声たてず
吹きたつ風はなまぐさく くれない染めし草の色

わきて凄きは敵味方 帽子飛び去り袖ちぎれ
たおれし人の顔色は 野辺の草葉にさもにたり

やがて十字の旗を立て 天幕(テント)をさして荷い行く
天幕に待つは日の本の 仁と愛とに富む婦人

真白に細き手をのべて 流るる血しお洗い去り
まくや包帯白妙の 衣の袖はあけにそみ

味方の兵の上のみか 言も通わぬあだまでも
いとねんごろに看護する 心のいろは赤十字

あないさましや文明の 母という名を負いもちて
いとねんごろに看護する 心のいろは赤十字

日清戦争当時、作詞者加藤義清は出征する友人を見送りに新橋駅に行ったところ、同じ列車で赤十字の看護婦たちが凛々しく戦地へ出発していくのを目の当たりにし、感動してこの詞を作り、奥好義に作曲を依頼してこの曲がうまれました。とかく男子の武勇伝が歌われる事の多い軍歌の中で、それも婦人の地位の低かった明治時代に、このような婦人の働きをたたえる歌ができた事は興味深い事です。


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