ご当地の知られざる名物 
(期間:2009.12.1 - 2010.1.31)

全国に名を馳せている名物以外に、どの町にも「知る人ぞ知る」名物があると思います。
「名産品」「名物料理」「土地っこでいっぱいの食堂」「隠れた小さな美術館」「名物バーチャン?」などなど
ご当地の、あるいは故郷の、知られざる名物をご紹介ください。

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  • [No.114] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 23:30
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     ポテトさん、みなさん、こんにちは。

    > > 格式から云ったら当然この順天堂が一番に来なければならない分けですが、寺歴400年に負けてつい後回しにしてしまいました。なにしろ東京の順天堂の本家なんすからね。
    > そうでしたね。
    > 順天堂記念館 これは一度見なくてはいけません。
    >
    > 暖かくなったら桜の時期にあわせて
    > もう一度いってみるつもりです。

    実際に訪問される前に、チョッとこれをみてください。同病院は盛時3000坪の敷地があったと云われています。ここへ上がると、当時の手術道具や、治療費の表などを見ることが出来ます。

    http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/hakuranzu/shohen/1023.html


    [No.113] 老舗だらけのわが街・佐倉〜6 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 22:35
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    画像サイズ: 383×510 (56kB)
    今回は佐倉茶の「小川園」である。明治ご維新はたしかによい面も多かったろうが、武士の大量失業は各藩の一大事であったことも見逃せない。当佐倉藩でも盛んな起業が行なわれたが、茶業もその一つだった。

     小川園さんのパンフレットにも、重臣の倉次 亨(クラナミトオル)と云うものが、茶の栽培を始めたことが書かれている。22人の同志が、佐倉同協社という会社をつくった。

     その後絶え間のない研究の結果、明治8年には初めての茶摘を行い、46貫目もの収穫を上げることができた。事業は順調に進み、翌9年には早くもアメリカのニューヨークへ輸出するまでになった。

     茶畑も次第に拡張し、一時は総面積180ヘクタール、収量1200トンという驚異的な数字を記録している。☆

     同協社によるこの事業は大正の9年までつづき、この時点で解散した。小川園は初代の小川長太郎氏が、この佐倉茶の伝統を引き継ぎ、明治45年に創業。今日に至っている。なお、現社長は3代目の勝寛氏である。

     店舗は最初、佐倉市の新町につくり、平成の4年になって、本社を城内町に移転した。店舗数は、本店を除き7店舗を数える。また、本店と同じ場所に「うぃんける佐倉★」、商品センターがある。

    製茶は現在、他に委託しているが、佐倉茶の発祥地、同市飯野町にある自社の所有する茶畑で、伝統ある佐倉茶の復活をめざして、独自に栽培を始めている。 

     ★ここでは、お茶に限らず、佐倉の名産品を自由に買い求めることができる。 

       写真は、新町にある小川園、本店の社屋である。

     ☆ この項、主として「佐倉市郷土の先覚者 倉次 亨」を参照。


    [No.112] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜1 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 21:12
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     以下は補足です。

    物知りによれば、佐倉藩士の長男として生まれた浅井忠は、漱石にも出てくるようだ。たとえば『三四郎』では、この浅井が深見さんになっていて「深見さんの水彩は普通の水彩の積りで見ちゃ不可ませんよ」などとなっている。

     それから『それから』では、「中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が」となっているが、浅井は一時京都の聖護院洋画研究所で教えていたのでそれを云ったのだろう。模様画は、浅井が油彩、水彩のほかに、やっていたデザインをいったものと思う。

     いまNHKで司馬遼の「丘の上の雲」をやっているが、そこに出てくる子規に絵を教えたのも浅井だ。


    [No.110] Re: 横須賀 海軍カレー 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 21:00
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    キャロット さん

     こんばんは

    > 基地の街 横須賀の名物の一つに海軍カレーが有ります。
    >
    > 旗艦「みかさ」の前に立つ東郷元帥の銅像と「みかさ」の絵柄入りで
    >
    > お土産や贈り物に結構売れているそうです。

     わあ、横須賀のほうから芳ばしい香りがしてきました。

     海軍さんは、日露戦争の頃から軍隊食に「カレーライス」を出していたのですね。

     「坂の上の雲」にも秋山真之さんが、カレーを食べさせられる話が出てきます。

     日本式のカレーは、一皿に、ご飯もお肉も野菜も入っていて、スプーンで食べられるので

     狭い艦内、いそがしい艦隊勤務のお食事にはぴったりですね。

     ですから、その遥か後輩の平成サラリーマンも「カレー」が大好物なのでしょうか。


    [No.109] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:ポテト  投稿日:2009/12/23(Wed) 14:28
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    > 格式から云ったら当然この順天堂が一番に来なければならない分けですが、寺歴400年に負けてつい後回しにしてしまいました。なにしろ東京の順天堂の本家なんすからね。

    そうでしたね。
    順天堂記念館 これは一度見なくてはいけません。

    暖かくなったら桜の時期にあわせて
    もう一度いってみるつもりです。


    [No.108] 横須賀 海軍カレー 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 10:12
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    画像サイズ: 540×245 (47kB)
    基地の街 横須賀の名物の一つに海軍カレーが有ります。

    旗艦「みかさ」の前に立つ東郷元帥の銅像と「みかさ」の絵柄入りで

    お土産や贈り物に結構売れているそうです。


    [No.107] Re: ポンカン 投稿者:   投稿日:2009/12/22(Tue) 10:47
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    マーチャン

    >  子供の頃、台湾は、美味しいフルーツ産地ーーーとして名を馳せていました。
    >  バナナも「台湾バナナ」が出回っていました。
    >  乾燥バナナというものも、ありました。
    >  戦争が激しくなって「台湾産」が姿を消しました。
    >
    >  戦後、闇市に出回るようになりました。
    >  おかあさんが「坊や、これがバナナというものですよ」
    >  と教えているところが新聞に出ました。 

      マーチャンその通り台湾は果物の宝庫でした。今想いだしても
     トロピカルな情熱的な味、まず、バナナ、マンゴー、グァバ、
     パッションフルーツ、竜眼、ライチー、釈迦桃、ポンカン、
     ザボン、ボンタン、レンブ、パパイア 、パイナップル、ドリアン
     枚挙に暇がありません。振り返って何が一番美味しいかと
     問われれば、日本には出回らない小ぶりの甘酸っぱい芳醇な
     香りのする、、台湾で通称南洋バナナと言ったバナナが最高。

      次いで、パイナップル、マンゴー、楊貴妃が好んだと言うライ
     チーでしょうか、、、。林檎は台湾では産せず、日本からの
     輸入林檎は、高価で私たちは、病気のときしか口にできません
     でした。日本に帰国後、最高に美味しい果物と感じたのは、愛媛
     西宇和産の温州みかん、、文句なしに最高でした。 


    [No.106] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜5 投稿者:   投稿日:2009/12/21(Mon) 22:45
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    画像サイズ: 520×390 (53kB)
     店舗はこうした傾斜地に作られている。


    [No.105] 老舗だらけのわが街・佐倉〜5 投稿者:   投稿日:2009/12/21(Mon) 22:07
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    画像サイズ: 510×383 (59kB)
    玉屋といえば、有名な江戸の花火師だが、こちらは「玉家」である。☆わが街にはむかしこの玉家ともう一つ「花家」というふたつの料亭があったが、後者は10年ほど前に廃業した。

     創業者は名古屋の出身だというが、明治18年西暦にして1885年、この佐倉は仲町に開業した。その後明治24年(西暦1891年)現在の鏑木町に移転し今日に至っている。専門はウナギを始めとする川魚料理だ。3代目の和男氏が取り仕切っている。支店も長男が千葉市、次男が東金で営業している。

     ここでよく言われるのは、生簀を持っていることだ。生簀のある店は信用できるようだ。また、座敷も大小の部屋がいくつもあり、最大のものは100人を収容できる。室内の掛け軸などにも見るべきものがある。例えば中村不折の軸は、この書家(兼画伯☆☆)が、たまたま印旛沼で釣をし、帰りにここでウナギを食べ、あまりの美味さに即席で書上げたもの。ほかに、当地の殿様が将軍から拝領した香炉の台だという大型の器物がある。そのほか、世界のナガシマ、マラソンの高橋尚子、柔道の山下泰裕、「エーゲ海に捧ぐ」の池田満寿夫、などの色紙がある。いずれもここを訪れての一筆であるところがスゴイ。

     柔道の山下は、次男の東海大生時代の友人だそうで、長い付き合いだそうな。

     ☆  タマヤは本名、ただし、玉家ではなく、玉谷である。
     ☆☆ 漱石の「吾輩ハ猫デアル」の挿絵を描いたことでも有名。

    (つけたり) 我が家でも1、2回使ったが、2階の!の庭は見事だ。2階の障子を排してみる石楠花の美しい花色が、いまだに眼に焼きついている。これが見られるのも、じつは傾斜地に作った店構えのせいなのだが…。 


    [No.104] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜4 投稿者:   投稿日:2009/12/21(Mon) 19:29
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     マーチャン、みなさん、

    >  私は「桜炭」だとばかり思っていました。

    広辞苑では桜炭とも書くとあるので、同じものをいうのでしょうね。地名で行くか、形状で行くか。

    >  紋次郎さんも、炭焼きじいさん になられてはいかがでしょうか。

     そういえば、あっしは中学時代には、兵庫県で炭焼きをやっておりました。これも何かの因縁?前に一度やっているから、もう、この年になってやらなくてもいいでしょう。(^_-)-☆


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