マーチャンさん、こんばんは。
> もと住んでいた町にも「名物男」がおられました。 > 北欧系のアメリカ人との二世の方でしたが、子供会の世話役をかってでられ、 > 町内のご祭礼用の見事な段ボール製の「子ども神輿」を > ほとんどお一人で作られたと伺っています。 > そして、碧眼、長身のその方のお姿を「夏祭りの夜店」「盆踊り大会」 > などのイベントでいつも見かけました。 > 残念なことに、引っ越してくる前に、亡くなられました。
それで思い出したのですが、当地に現役バリバリの名物女がいます。毎年新春に行なわれる市の美術展にかならず油彩画を出品しているひとで、姓が日本名になっているので日本人の奥さんだと思います。この方に対しては、きょうポストに入っていたチラシを見て、まずます尊敬の念を深めました。
というのは、毎年「老人の日」の催しにかならず顔を出し、仕事中、口はほとんどききませんが、日本人の奥さん方に混じってお茶やお菓子を配ったりしながら甲斐甲斐しく立ち働いている外国人がいたのです。一体どういう素性の方かと、いつも気になっていました。そのナゾがきょう判明しました。
当地の社会福祉協議会の会報に、役員の名前がずらりと並んでいましたが、そのなかに、冨田クラウジェアさんがいたのです。肩書きは、子育て支援事業部長となっておりました。
ただの有閑夫人ではなかったのです。アメリカ人か、スラブ系か、北欧系かあっしにはマッタク分かりませんが、当地の美術協会の会員であるだけなく、地元のために日夜一生懸命働いていたのです。ほとんど喋らないのでまことに地味ですが、きっとどえらいひとなのでしょう。
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