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[No.83] 老舗だらけのわが街・佐倉〜1 投稿者:   投稿日:2009/12/16(Wed) 23:27
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老舗だらけのわが街・佐倉〜1
画像サイズ: 420×386 (43kB)
たとえばイタリアのポンペイあたりへ行けば、2400年近く前の外科医の家だとか当時の売春宿の跡が残っていたりするが、かといって、今でも営業しているわけではない。

 わが街には、それほど古いものはないが、かなり古いのが今なお営業をつづけている。それも、幾らも歩かぬうちに次々と出てくるところがスゴイ。(^_-)-☆

 街中で一番古いかどうかは別に調べた訳ではないので何とも云えないが、まずこのお寺にトップバッターをお願いすることにした。寺歴400年と云うこの佐倉重願寺、墓地内に明治草創期の洋画家、浅井忠が眠っている。

 寺まで行って撮ればいいのだが、億劫で駅のホーム前の立て看で間に合わしてしまった。別に宣伝の為ではない。単に横着な為であるので悪しからず。(-_-;)


[No.85] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:   投稿日:2009/12/17(Thu) 11:17
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Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2
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格式から云ったら当然この順天堂が一番に来なければならない分けですが、寺歴400年に負けてつい後回しにしてしまいました。なにしろ東京の順天堂の本家なんすからね。

 現場に着いたときが生憎夕方だったのでチョッと画面が暗くなってしまいました。冠木門のある蘭学塾跡(現在は佐倉順天堂記念館)の右、生垣を隔てたすぐ隣の近代的なビル佐倉順天堂医院で、現在でも開祖佐藤泰然の後裔である佐藤先生が、毎日診察に当たっておられます。


[No.86] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:   投稿日:2009/12/17(Thu) 11:42
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Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2
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順天堂記念館にある説明板。司馬遼太郎は小説「胡蝶の夢」を書く前に、この蘭学塾跡や当時の順天堂医院・院長佐藤強氏(本年9月逝去)宅を訪れ、松本良順などについて詳しく話を聞いて帰ったよし。


[No.87] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:   投稿日:2009/12/17(Thu) 11:59
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Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2
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 記念館の庭にある順天堂の開祖・佐藤泰然の像。以前この館内で、訪問者サイン張の中に、オランダのフリースラント州の(ここでは標準オランダ語と違う西フリジア語が使われている)、医師の名があるのを見て驚いたことがある。


[No.109] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:ポテト  投稿日:2009/12/23(Wed) 14:28
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> 格式から云ったら当然この順天堂が一番に来なければならない分けですが、寺歴400年に負けてつい後回しにしてしまいました。なにしろ東京の順天堂の本家なんすからね。

そうでしたね。
順天堂記念館 これは一度見なくてはいけません。

暖かくなったら桜の時期にあわせて
もう一度いってみるつもりです。


[No.114] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜2 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 23:30
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 ポテトさん、みなさん、こんにちは。

> > 格式から云ったら当然この順天堂が一番に来なければならない分けですが、寺歴400年に負けてつい後回しにしてしまいました。なにしろ東京の順天堂の本家なんすからね。
> そうでしたね。
> 順天堂記念館 これは一度見なくてはいけません。
>
> 暖かくなったら桜の時期にあわせて
> もう一度いってみるつもりです。

実際に訪問される前に、チョッとこれをみてください。同病院は盛時3000坪の敷地があったと云われています。ここへ上がると、当時の手術道具や、治療費の表などを見ることが出来ます。

http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/hakuranzu/shohen/1023.html


[No.88] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜1 投稿者:   投稿日:2009/12/17(Thu) 12:15
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Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜1
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鴎外の親友、原田直次郎などと語らって明治美術会を作って活躍したご当地出身の絵描き、浅井忠の像。市立美術館の、向かって右側(屋外)にある。


[No.112] Re: 老舗だらけのわが街・佐倉〜1 投稿者:   投稿日:2009/12/23(Wed) 21:12
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 以下は補足です。

物知りによれば、佐倉藩士の長男として生まれた浅井忠は、漱石にも出てくるようだ。たとえば『三四郎』では、この浅井が深見さんになっていて「深見さんの水彩は普通の水彩の積りで見ちゃ不可ませんよ」などとなっている。

 それから『それから』では、「中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が」となっているが、浅井は一時京都の聖護院洋画研究所で教えていたのでそれを云ったのだろう。模様画は、浅井が油彩、水彩のほかに、やっていたデザインをいったものと思う。

 いまNHKで司馬遼の「丘の上の雲」をやっているが、そこに出てくる子規に絵を教えたのも浅井だ。